魔導士ルーファス(1)
不良娘はピンクボム2
折れた箒が転がっている。
その近くで倒れていたビビがピクッと身体を震わせた。
「うう……どこ……」
両手を床につけ立ち上がろうとしたビビ。
「痛っ!」
足首に激痛が走った。
仕方がなくビビは足を伸ばして床に座った。
「え〜っと……ルーちゃんといっしょにホウキで飛ばされて……」
フラッシュバック。
大砲のようにぶっ飛んだ箒につかまり、空高く夜空の星になりかけた。ホウキは操縦ができなくて、グングン迫ってくる大きな建物。それは王都アステア最大の聖堂――聖リューイ大聖堂だった。
辺りを見回すビビ。
空が近く、背の低い建物がここよりも下に見える。床だと思っていたのは屋根だった。
「……ルーちゃん! ルーちゃんどこ!?(どうしようルーちゃんがいない!)」
斜めになって折り返している屋根の向こうから人影が現れた。
ふらつく足取りのルーファス。頭を押さえて今にも倒れそうだ。
「うう……」
「だいじょうぶルーちゃん!(あぁ……よかった)」
屋根から足を滑らせそうになったルーファスをビビが抱きかかえた。足が痛むのか少しビビは苦しそうな顔見せたが、すぐにそれを隠して笑顔を作った。
ビビとルーファスが間近で顔を合わせた。
瞳に映るお互いの顔。
ビビは息を呑んだ。
時間が止まったようにふたりは動かない。
そしてしばらくして、ルーファスの口がゆっくりと動き出した。
「……君、だれ?」
「…………」
見る見るうちにビビの瞳孔が開かれていく。
パチパチとビビの瞳が開閉した。
「ええぇ〜〜〜っ!? うっそー、ウソだよねルーちゃん!?(どういうこと、なにが起きたの!?)」
空まで響き渡ったビビの叫び。
ルーファスは首を傾げて、不思議そうな瞳でビビを見つめている。
「ルー・チャンって僕のこと?」
『ルーちゃん』が名字と名前みたいな発音になっている。
これはまさかの記憶喪失ってやつだろうか?
おそらく原因は落下による衝撃。
状況を把握したビビは焦った。
「アタシのこと覚えてないの!?」
「ぜんぜん」
「えっと、アタシの名前はシェリル・ベル・バラド・アズラエル、愛称はビビ。これでも魔界ではちょ〜可愛い仔悪魔でちょっとは名前が知られてるんですけどぉー……覚えてない?(うわぁ〜ん、どうしよールーちゃんがアタシのこと覚えてない!)」
「ごめん、ぜんぜん覚えてないんだ(というか、自分のこともよく思い出せない。困ったなぁ)」
記憶喪失確定!
現状、最大の問題はルーファスが記憶喪失だということ。
そして、ほかにも身に迫った問題があった。
「アタシがどうにかしなきゃ……えっと、えとえと……まずは病院にルーちゃんを連れて……」
辺りを見回したビビはある問題に気づく。
「降りれない!」
ここは屋根の上。屋根伝いに行けそうな場所もない。聖堂から伸びる塔がいくつも見えるが、遠くて遠くて話にならない。
つまりこの場所に閉じ込められたのだ。
「ルーちゃん魔法でビューンと下りられない?」
「……僕、魔法使えるの?」
ガーン!
そこまで忘れてしまったのか……。
でも、魔法を覚えていたとしても、ここから下りられる魔法をルーファスが使えるかは怪しい。
自力でどうにかできないなら、助けを求めるしかない。
「ちょっとルーちゃんここでじっとしてて」
ビビはそう言い残して歩き出そうとしたのだが、
「いっ!」
激痛が足首に走った。だんだんと悪化しているようだ。
心配そうな瞳でルーファスがビビの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
「うん! ぜんぜんへーき!」
ビビは精一杯の笑顔で答え、足の痛みを隠しながら歩き出した。
それでもルーファスに背中を向けたあとは痛みを隠せない。痛くて痛くて歯を食いしばってしまう。隠そうとしているのに、どうしても歩き方がぎこちなくなってしまう。
「(ルーちゃんに心配かけちゃいけない。きっとルーちゃんは記憶を失って不安で仕方ないんだから、アタシがしっかりしなきゃ!)」
ビビの気持ちとは裏腹にルーファスは――。
「(いい天気だなぁ)」
空を見上げて和んでいた。
ビビは屋根の端までやって来て、身を乗り出して地面を眺めた。
聖リューイ大聖堂前には巨大なアンダル広場があり、その周りには多くの建物が囲んでいる。時計台や鐘楼、行政館や郵便局などから、美術館や博物館まである。人通りも多く、観光客でいつも溢れかえっている。
ビビは地上にいる人に向かって手を振った。
「助けてー!」
ビビが手を振ると向こうも振り返してくれるが、見事なまでに笑顔。
声は高さの壁に掻き消され、どうやらまったく意思疎通ができていないらしい。
「手を振り返して欲しいんじゃなくて助けて!」
でも笑顔で手を振り返される。
建物の高さもあるが、この地域は風が強いことでも有名で、ダブルパンチで声が掻き消される。
「だめっぽい」
溜息を落としてビビはルーファスの元へ戻ることにした。
ルーファスは屋根に腰掛け座っていた。
「お帰り」
「うん(困ったなぁ。下りれないし、ルーちゃん記憶喪失だし)」
悩みでモンモンとしながらビビはルーファスの横にちょこんと座った。
空を見上げると太陽がギラギラ輝いている。陽が落ちるのが早くなりはじめているが、たまに夏の日差しが戻ってくる。夕暮れも近いが、暑さが引くのはまだ先だろう。
日が暮れれば夜が来る。
ビビがボソッとつぶやく。
「いつまでここにいればいいんだろ」
誰かが気づいてくれるのを待つか、それとも自力でどうにかするしかないのだろうか?
さすがに明日くらいになれば、誰かが二人に気づいてくれるかもしれない。
箒でビューンっと飛んで行って、そのまま消息不明になれば、普通は気にしてもらえずはずだ。
遠くを眺めているルーファス。その横顔を見つめるビビ。
「(ルーちゃんなに考えてるんだろう。やっぱり不安なのかな)」
「(お腹すいたなぁ。なんでだろう、ご飯食べてなかったっけ?)」
「(なんだか深刻そうな顔してる。やっぱり不安なんだ)」
「(あっ、あの雲クロワッサンに似てる)」
「(やっぱりアタシがどうにかしなきゃ!)」
男女のすれ違いが起きていた。
ビビは穏やかな眼差しでルーファスを見つめた。
「ねぇ、ルーちゃん?」
「ん?(ルー・チャンって呼ばれてもしっくり来ないなぁ)」
「自分の名前も覚えてないんだよね?」
「ルー・チャンっていうんだよね?」
「うん、ルーファスだよ。だからルーちゃんなの(あ、そういえばアタシ、ルーちゃんのフルネーム知らないや……そんなことも知らなかったんだ)」
「えっ?(ルー・チャンじゃなくて、ルーファスって名前だったんだ)」
驚いた顔をしたルーファスを見てビビに不安が過ぎる。
「どうしたの驚いて?(アタシなんかマズイこと言っちゃったのかな?)」
「別に、なんでもないよ(ルーファス……ルーファスかぁ。けっこうカッコイイ名前だなぁ)」
「(アタシに言えないこと? どうしよう、アタシどうしたらいいんだろう)」
見事なすれ違いだった。
不安を胸に悩むビビ。
作品名:魔導士ルーファス(1) 作家名:秋月あきら(秋月瑛)