魔導士ルーファス(1)
空色ドレスにご用心2
ローゼンクロイツはルーファスト別れたあと、お世話になっている修道院には戻らず、国立図書館に足を運ばせた。
図書館の中に入ったローゼンクロイツは、案内板も見ずにスタスタと歩いていく。まるで図書館の見取り図と、本の配置を完璧に覚えている足取りだ。
そして、迷わず手を伸ばして一冊の本を取る。
分厚い表紙の本だ。この本は枕になるほか、武器にもなる代物だ。実際の用途は薬草全集の第1巻だ。
ページをパラパラと開き、中身を確認していく。パラパラ漫画を見るときのスピードだ。
パタンと本を閉じて、本棚に戻して代わりの本を取る。薬草全集の2巻目だ。
再びパラパラとして、パタンと閉じて、本棚に戻して代わりを取る。
その作業を何度も何度も繰り返した。
薬草全集は今のところ100巻以上を数え、新しい薬草が出るたびに続巻されている。
そんな本を全部確認する勢いでローゼンクロイツはパラパラしていた。本当に確認できているのかは疑わしい。はたから見たらパラパラしてるだけだ。
そのとき、ローゼンクロイツの手がピタリと止まった。
指先はある項目に置かれている。
レインボーマタタビと呼ばれる植物だった。
そして、閉じた。
読むの早っ!
数秒でローゼンクロイツはページ丸ごと記憶した。文字情報としてではなく、映像情報として脳には保管されている。けれど、この人間コンピューターは不良品なので、いつ忘れるとも限らない。
「……忘れた(ふにゃ)」
貸し出し不可、コピー厳禁、盗難はもちろんダメ。
仕方なく再びページを開く。
「……ページ忘れた(ふにゃ)」
いつにも増して深刻そうな表情を作るローゼンクロイツ。自分の不調に自分が一番気付いているのだ。
あまりにも物忘れが激しすぎる。
生活に支障が出るレベルまで達している。
昨日の晩御飯なんて忘却の彼方だ。
今日の朝食だって忘却の彼方だ……食べていないことすら、もう覚えていなかった。
急にローゼンクロイツは辺りを見回した。
そして、ボソッと。
「……ここどこだっけ?(ふにゃ)」
重症だ。
生活に支障が出るどころではなく、生きることすら困難になりそうな状況だ。
しばらくローゼンクロイツは辺りを見回して、なにか納得して頷いた。
「……図書館か(ふあふあ)」
よかった、かろうじて思い出したようだ。
だが、今手にしている本を、なぜ手にしているのか思い出せない。
とても重要な本だったはずなのに、なんで図書館にやって来たのか思い出せなかった。
しかし、偶然にも今手が乗っているページこそが、レインボーマタタビのページだった。なのに、それすらローゼンクロイツは気付いていない。
結局、ローゼンクロイツは家路に着くことにした。
もちろん、出した本を本棚に戻すことを忘れて図書館をあとにした。
そんな一部始終を本棚の影からウォッチングしていたのは、アインだった。
ローゼンクロイツが机の上に残していった本を、すかさず確認するためにダッシュ。
「(ガイア出版の薬草全集?)」
開かれたページにはレインボーマタタビのことが、ズラズラーっと書いてある。
ポイントだけ押さえると、レインボーマタタビは猫の霊と交霊したり、猫憑きと呼ばれる猫に憑依された人物の猫の人格を呼び起こしたり、時には取り憑いた猫を惹き付けて引き剥がすことにも使えるらしい。
猫人に変身するローゼンクロイツは、もしかして猫に憑依された猫憑きなのだろうか?
だとしたら、このレインボーマタタビを使えば、クシャミで発作が起きることがなくなるかもしれない。それは周りの人々にとっていいことだ。
しかし、アインにとっては違うらしい。
猫人に変身したローゼンクロイツをモーソーするアイン。顔がニヤけている。
「萌え〜」
ローゼンクロイツのネコミミは、マニアの間では萌えなのだ。
しかし、本人が困っていて、治したいというのならばアインも協力を惜しま……ないかもしれない。
揺れ動くアインの心。
ネコミミのローゼンクロイツも捨てがたいのだ。
あんなカワイイ姿が見納めなんて、そんなこと耐えられない。
でも、それでローゼンクロイツが喜んでくれるなら……。
揺れる乙女心。
急に熱が冷めてアインは視線を止めた。
「(絶滅種?)」
そう、絶滅種。
レインボーマタタビは絶滅種だったのだ。つまり、この世にはもうない。
万が一、秘境や魔境の奥地には、生息している場所があるかもしれない。が、そんな場所がどこにあるかもわからない。塩に埋もれた砂糖粒を探すようなものだ。
アインは微笑んだ。
ネコミミローゼンクロイツ安泰♪
激しい物忘れと格闘しながら、ローゼンクロイツは通常の2倍の時間をかけて宿舎に戻って来た。
聖カッサンドラ修道院。この場所でローゼンクロイツは15年以上過してきた。
あの雪の晩、ローゼンクロイツを拾ったのは、ルーファスの母だった。ルーファスが生まれる以前のことだ。
夕食を断り、ローゼンクロイツは早い時間からベッドで横になった。
記憶が抜けていく感覚がする。
風が抜けるように、次々と記憶がどこかに抜けていく。
深い闇が瞼の裏に現れる。
そして、再び瞳を開くと光が広がる。
見覚えのある景色。
噴水のある広場から空を見上げると、時を奏でる時計搭が見えた。
そこはクラウス魔導学院の中庭だった。
中庭は昼寝をしていた?彼?は誰かに声をかけられた。
「――ちゃん!」
桃髪の仔悪魔が駆け寄ってくる。
?彼?は『違う』と呟いた。
それと同時に桃髪の仔悪魔が消え去り、空色のドレスを着た人影が現れた。
?彼?はその人物の名前を思い出そうとした。
空色のドレスを着た人物は、幼馴染の――。
「やあ、ローゼンクロイツ」
と、?彼?が言った瞬間、?彼?の身体から何かを飛び出し、空色の身体に吸い込まれていった。
「やあ、へっぽこクン(ふあふあ)」
ローゼンクロイツは意識を取り戻した。夢の中でローゼンクロイツは具現化したのだ。
なにが起きたのかルーファスは理解できなかった。
夢なのに意識がはっきりしている。そんな感覚をルーファスは感じていた。
「これ……夢だよね?」
尋ねるルーファスにローゼンクロイツは頷いた。
「そうだよ(ふあふあ)」
「なんか変な感じがするんだけど?(夢なのに夢じゃないような)」
「ごめんよルーファス、キミの夢を借りたんだ(ふにふに)」
「はぁ?」
やっぱりルーファスには理解できなかった。
夢を夢だと理解できることは珍しいが、ルーファスはこれが夢だと理解できた。
目の前にいるローゼンクロイツは夢の住人。ルーファスが作り出した幻想であるはずだった。
頭の整理ができないルーファスを置いてローゼンクロイツが歩き出した。
「じゃ、ボクは先を急ぐから(ふあふあ)」
「ちょっと待ってよ、夢を借りたってどういうこと?」
「そのままの意味だよ(ふあふあ)」
夢ならでは意味不明さだ。
ため息をついて嫌そうにローゼンクロイツは説明をはじめた。
作品名:魔導士ルーファス(1) 作家名:秋月あきら(秋月瑛)