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短編集63(過去作品)

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ダメージコントロール



                 ダメージコントロール


 もう三十年以上も前のことなので、記憶は定かではない。何しろ小学生の頃、自分も年を取ったし、まわりの環境も変わってしまい。何よりも小学生時代というのは、思い出したくない記憶ばかりだった。
 本田忠正は小学生時代のことを思い出したくないくせに夢に見ることが多かった。
 名前が武将のように恰好いいのに、実際は苛められっこだったことを思うと、今でも恥ずかしい。それでも、現代のいわゆる「苛め」とは違い、どこかルールに則ったものがあり、さらに原因があるから結果があるのだと、大人になって気付いた。
 苛められる理由としては、まずいつも自分が一人でいることが多かったことである。一人でいることを、
「まわりが相手してくれないんだ」
 とあからさまにまわりのせいにしていたこともあってか、まわりが次第に相手にしなくなる。
 すると、自分から相手になってもらいたくてすることというと、まず目立ちたいと思うことだった。自分からまわりに溶け込むという意識がなかったのは、
――どうせなら自分が中心になりたい――
 という意識が強かったからだろう。
 何をするにも順序が違っていた。人と同じことをするのが嫌で、天邪鬼なところがある本田にとって、人に歩み寄るという一番当たり前のことが嫌だったのだ。
――人に歩み寄るくらいなら、一人の方がいい――
 と感じていた。自分が中心でなければ気がすまないのも、天邪鬼な性格から起因しているのかも知れない。
 逆に天邪鬼な性格が、自分中心主義から起因していたのかも知れない。どちらにしても自分で納得したことでないと信じなかった性格に繋がっていった。
 自分で納得したことでしか信じなかったりするのは悪いことではないだろう。慎重派な人間とは少し違い、現実主義者であった。理屈がともなわなければ納得しないのは誰も同じだろうが、いくら先生のいうことであっても、少しでも疑問があれば、行動をしなかった。
 本田にとって、苛められることは日課になってしまった。休み時間に教室にいるのが怖くて逃げ回っていたのも、それほど苦痛ではなかった。時々足を蹴られたりされる暴力も受けていたが、精神的な屈辱にまでは至らなかった。クラスに一人は苛められっこが存在したが、彼らの中でもマシな方だったかも知れない。あまり派手なリアクションを取らなかったからだ。
 他のクラスの苛められっこは、苛められっこ同士でコミュニケーションを取っていた。その輪の中に本田は入っていない。入ろうという気がしなかったのだ。
「きっと傷を舐めあっているんだろうな」
 自分も苛められっこのくせに、苛められっこを見るのは嫌だった。それは自分を見ているという感覚に陥るからで、そんな思いに陥ることが分かっているのに、どうして皆苛められっこだけで輪を作ってしまうのかが不思議でならなかった。
「皆、自分を見ているような気分にならないのかな?」
 そう思うと自分だけが違う種類の苛められっこに思えてくる。
 確かに違う種類の苛められっこだった。中学に入って、苛めはなくなったのだが、それまで自分を苛めていた連中とも話ができるようになった時、
「お前は他の連中とは違って、苛めていても、俺たちが情けなくなることがあったんだ。シラけながら苛めていたんだ」
「じゃあ、苛めなんかしなければいいじゃないか」
「でも、そうも行かないんだな。本能のようなものがあって、お前の顔を見ると、どうしても苛めてしまう。お前には本当に気の毒なことをしたんだろうが、そういう感覚が存在するのは本当なんだ」
「だか、苛めってなくならないんだな?」
「俺もそう思う」
 苛めっ子と苛められっこのツーショットだったが、まわりから見ていると、まさかそんな関係だと思えないほどのコラボレーションだ。だが、会話は間違いなくかつてのいじめっ子と苛められっこ。実に異様な光景だったに違いない。
 実際に中学に入ると、バッタリ苛めがなくなった。まわりの皆が大人になったのか、それとも本田自身が変わったのか、それとも、本田を相手にしなくなったのか、一つ言えることは、他に苛められっこができたのは一つの要因でもある。しかし、不思議なことに苛めている連中は本田を苛めていた連中とは違う。苛められっこが違えば、苛める側の人間たちも変わってくるのだろう。
 他にターゲットができたというのもある意味本田にとって幸運だったかも知れない。
 もしあのまま苛めが続いていたらと思うとゾッとすることもある。
 あの当時から苛めの体質も少しずつ変わって行った。苛められる側にこれといった問題がなくとも苛めが行われるようになった。それまで存在していた暗黙の了解のようなルールも見受けられなくなり、見ているだけで実に悲惨である。
 苛めている側はどうなのだろう?
 中には、それまで苛めに加わっていた連中も、急に苛めをやめるようになる。だが、その時にやめることができたやつはいいのだが、その時にやめることができず、そのまま続けていて、後になってやめたいと思っても、それができなくなってしまう。
 苛めというのは一人でするものではない。一人の苛められっこに対して、数人のいじめっ子が存在する。これは今も昔も変わらないが、昔は苛めている側にそれほど上下関係が見受けられなかった。
――一つの目的を持った数人の集まり――
 という程度だったはずだ。
 それが次第に、上下関係で結ばれるようになってくる。結ばれるとうと団結しているように見えるが、あくまでも上の人間の意志で動く下の人間、下の人間は奴隷に近いように見えてくる。自分が苛められていたから見えているのか、それとも苛められなくなったことで見えてきたのか分からないが、見ていると、まるで奴隷扱いである。
 いじめっ子でなければ、苛められっこという構図が最近は出来上がっている。本田の場合は以前苛められっこだったことで、免除されているのだが、もし、意志が弱い人間であったら、その頃は奴隷扱いを受けているかも知れない。
 苛めが社会問題化してくる中、苛められっこの自殺が毎日のように報じられている。以前であれば、苛められる側にも問題があったのだが、今はモラルが感じられないので、自殺する苛められっこのことは、
「あの子、苛められていたんだわ」
 と、死んでから分かることになる。覚悟の遺書を見て、家族は愕然とするに違いない。
 本田が苛められなくなったのは本当に偶然だったのだろうか。中学に入って急に苛められることがなくなった。
「あいつを苛めても面白くないかあらな」
 そんなことを言っていたという話を何かの拍子に聞いたことがあるが、理由はどうあれ、苛められなくなったのは嬉しいことだった。
 それから自分が大人しい性格のくせに、自己主張が強かったことに気がついた。要するに、
「黙っていればいいものを、喋るから腹が立つんだ」
 という言い草であった。苛められっこの本田でも、理由もなく無性に腹が立つやつがいた。そいつも苛められっこで、なぜか本田を慕ってきていた。だが、その男の声を聞くだけで、虫唾が走るくらいに嫌であった。背中が痒くなって、じんましんが起こりそうになる。
作品名:短編集63(過去作品) 作家名:森本晃次