年末年始
7:『こっち側』と『あっち側』
食卓へとたどり着く前に、克樹は甥っ子の想良(そら)と彼を抱きかかえる義兄、小林 道彦に出会った。
「あ、おはようございます」
「おはよ、克樹君。ごめんね、せっかく帰ってきたのにお邪魔しちゃって」
会話すらほとんどしたことのない間柄なのに、この気遣いである。母の言から推し量るなら、ここに来るという連絡をしたのは、小林家の方が先のはずである。いざ帰ってきたらこんな図体のでかい無口な奴がのさばっていると思うと、こちらの方が謝らなければならない立場なのではないだろうか。
だいたい、ここは姉にとっては実家だが、この義兄にとっては義理の実家である。恐らく彼にとってここは、「アウェイ」であるという思いが強いのではないのだろうか。ただでさえ年末。このゆっくりしたい状況で、敵地での不利な戦いを余儀なくされた上に、得体の知れない義弟という敵がもう一人(別に敵対する気はないが)帰省しているのである。例えるならば、スケジュールの厳しいプロジェクトの大詰めで、そこそこの規模の仕様変更が発生したようなものだろうか。
克樹は克樹なりに、殆ど会わない義弟にまで気を使う義兄を慮り、自分の立場に置き換えたらこんな状況だろう、と推測した。これまでのことからもわかるようにこの気の小さい青年は、相手の気持ちを汲んで思考を巡らせるのが得意であり、常日頃からこういう風に考える癖がついているのだ。ただ本人は、あまりこの能力を長所だとは思っていないようだが。
「いえ、こちらこそ。どうぞゆっくりしていってください」
考えに考え抜いた結果、克樹なりの精一杯の愛想で受け応える。昨日帰ってきて、年明けに再び出て行く男がゆっくりしていけ、と言うのも何か違う気がするが。
そんなやりとりをしている間、甥っ子である想良は克樹に向かって笑顔で、「だー、だー、あぐー」と声を上げ続けていた。
食卓に着き、起床と食事を始める挨拶をした後、箸を取る。
「この野沢菜、取れたてを漬けたやつ、道彦さんからいただいたのよ」
そういえば、実家は農家を営んでいると前に聞いたような気がする。
「お昼ごろ行けばいいって言ったのにさ、朝に食べてほしいから、って早起きさせられたんだよ」
隣の姉はそう言って、大あくびをしている。さっきまで弟を起こしていた姉と同一人物だろうか。口に出したらぶっ飛ばされそうなことを思いながら、小鉢に入っている野沢菜漬けを箸で摘まんで口中に運ぶ。程よい塩気としゃきしゃき感が、箸の動きを加速させる。
克樹は朝食を食べながら、先ほどの考えを撤回せざるを得なかった。どうも義兄さんは、ここを「アウェイ」だなんて微塵も思っていないようだ。なぜなら、先ほどの姉の言葉を信じるならば、予定よりも早い朝に小林家がやってきたのは、義兄の発案によるものだからだ。
「……この人も『あっち側』の人間か」
克樹は、ごはんを箸でかきこみながら心中で思う。恭治といい姉といい、どうも家族に『あっち』側の人間が多いなあと感じてしまう。
この『あっち側』というあいまいな概念についてだが、克樹は時折人を脳内で『こっち側』と『あっち側』というワードで括るのである。これを世間の人にわかりやすく説明するならば、『陰キャ』と『陽キャ』、『ぼっち』と『リア充』、そういったワードが比較的近いかもしれない。
ともかく克樹は、義兄への認識を改め、再度彼を横目で見る。リビングで息子を膝に乗せ、テレビを見せながらあやす彼は、確かにこの場にいることへの屈託などないように見えなくもない。
「でも……」
それでも、克樹は疑いを拭い去ることができない。頭の中でそのような人間がいると想像できても、身近な弟や姉が、『あっち側』であることを痛いほど理解していても、自分が『あっち側』でないゆえに、本当にそんな人間がいるのだろうかと心で疑ってしまうのである。例えば、早朝にこの家に来た一件にしても、嫁や実家への点数稼ぎである可能性は否めないではないか。それに……。
「克樹、克樹」
再び深い思考の海に潜り込もうとしたとき、突如として佳苗の声が侵入してきた。
「克樹、後で買出し行くから付き合って。アイス買ったげるから」
「あら、ダメよ。この子太っちゃったし、甘いもんなんか食べさせちゃ」
克樹が答えるより早く、母が山盛りの茶碗を持って「お前が言うな」と言いたくなるような横槍を入れる。
「行くよ、行きますよ。アイスもいらないから」
全てが面倒臭くなった克樹は、何もかも自分が譲歩して強制的に話題を終わらせた。