小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

年末年始

INDEX|4ページ/17ページ|

次のページ前のページ
 

4:色褪せた景色



 新幹線での苦行のような時間を終え、克樹は目的の駅になんとか降り立った。相変わらず気分は悪いままだったが、残っていたペットボトルのお茶を飲み干すことで、多少の落ち着きを取り戻した。
 この駅から実家まで徒歩2分のバス停まで、路線バスが通っている。時間は30分と少しかかるが、在来線に乗って最寄りの駅に行き、そこから10分ほど歩くよりは速い。克樹はバスに揺られるルートを取り、何事もなく家近くのバス停までたどり着いた。
 あの角を曲がれば、懐かしい実家が見えてくるはずである。その角を見て克樹は「おや」と思った。そこには無味乾燥な灰色のシャッターが閉まり、『テナント募集』という張り紙が無造作に貼り付けられていたのである。
 ここには、確かに何かがあったはずだ。しかし、その何かが何なのか思い出せない。克樹は思わず立ち止まり、記憶を手繰り寄せてこの角にあった何かを思い出そうとした。だが、しばらく考え込んでも思い出せない。喉まで出かかっているなんてもんじゃない。記憶がすっぽりと抜け落ちている。仕方がない。こんなことは実家に帰って母に尋ねればよい。常日頃ここで生活を営んでいる母ならば、以前ここに何があったか忘れてはいないだろう。克樹は漠然とした謎を抱えたまま、『河西』という表札の付いた実家の扉を開いた。
「ただいま」
克樹の声が響き渡ると同時に、すぐさまどたどたと大柄な体を揺さぶって母が玄関にやってくる。
「おかえりー」
何か言おうとする母より速く、すかさず克樹は問いかける。
「あの角のとこ、何あったっけ?」
母は一瞬きょとんとして首を傾げるが、すぐに答えを提示してくれる。
「コンビニだったでしょ。少し前に閉まっちゃったけど」
「あー、そうだ」
赤と橙と緑でデザインされたコンビニのロゴが、克樹の脳裏に浮かび上がる。今住んでいるアパートの近くにはそのコンビニはない。どうりですんなり出てこないわけだ。胸の奥のもやもやがやっと取れてすっきりしている克樹に対し、母は言葉をかける。
「あんたの部屋、掃除しといたから。あと、今日の晩御飯しゃぶしゃぶにしたわよ。あ、お風呂もう沸いてるから、なんならすぐ入っちゃって。えーと、あと明日、お姉ちゃんたち来るから」
「お姉ちゃんたち」というのは、克樹の姉である佳苗とその家族のことである。克樹よりいくらか年の離れたこの姉は、数年ほど前他家に嫁ぎ、昨年元気な男の子を出産していたのである。
 克樹は心中で、四つの情報のうち二つは朝にも聞いたな、と思った。しかし、そのことは言わなかった。同じようなことを何度も何度も言わないでくれ、と実家にいた頃母には口を酸っぱくして言ってきたが、ろくに取り合ってくれたことなどなかったからだ。「あらぁ、お母さんもそろそろボケてきちゃったかしら」なんて笑いながらかわされてしまうのがせいぜいなのだ。母のこの悪癖を矯正することについて、すでに諦観の域に達している克樹は、母の言葉に小さく頷くだけ頷いて、そそくさと自分の部屋へと歩を進めたのだった。
 懐かしい自室のふすまを開けると、自宅のアパートのフローリングとは違う畳の匂いが鼻孔をくすぐった。部屋には、学習机とテレビ台の上に乗せられた小型テレビがあり、半分ほど開かれた押入れには布団が畳まれて置かれていた。
「なっつかし」
克樹は学習机に座ってみる。思いのほか椅子が低く、肥えたお腹が机につっかえる。子供の頃いたずらで貼りつけたシールが、色褪せながらも懸命に机上を彩っている。机にはリモコンが二つ乗っていた。片方はエアコンの、もう片方は小型テレビのそれだった。
 手持ちぶさたな克樹はそれらのリモコンを操作し、部屋を暖かくしてテレビを観始める。今住んでいるアパートにはテレビがないので、テレビを観ること自体久しぶりだった。元来、これはゲーム機を繋いでいたテレビなのだが、ゲーム機は弟の部屋へと移動し、小型のテレビだけがここに残されているのである。しかし、久々に観てみるとこれはこれで面白い。ザッピングしながら夢中になっていると、ふすまが急にスーッと開いた。
「兄ちゃん、飯できたって」
高校生の弟、恭治が晩御飯の時間を知らせに来たのだった。


作品名:年末年始 作家名:六色塔