年末年始
13:父の生きざま
名残惜しい中水野の宅に暇を告げて、克樹は実家に戻った。その頃には、もう陽はすっかり西に傾いている時分だった。
部屋に戻り一息ついて階段を下りると、リビングで父が一人、発泡酒を飲みながらテレビを見ていた。そういえば、ビールや日本酒は特別な日だけでそれ以外の日は発泡酒にするよう父に厳命したと、前に母が言っていた気がする。ということは、父はあれ程大好きなビールを殆ど飲むことができず、後の日は(さすがに休肝日は取っていると思いたい)発泡酒を飲んで、凌いできたということになる。
克樹は、父の我慢強さと忍耐に驚異を感じると共に、「もう少し飲ませてあげても良いじゃないか」と思った。古臭い言い方かもしれないが、やはり父は一家の大黒柱だ。この男が居なければ、この家はあごが干上がってしまう。それに、ここを出て一人で暮らしている自分も、実家が不安定になったらやはり不安に思うだろう。ただ、逆に考えれば父の体を慮っているからこそ、ビールよりカロリーや糖質の低い発泡酒で我慢してもらおうという考えもあるわけで。
どちらにしても、自分には如何ともし難い問題だ。そう思いながら克樹は、父の向かいに座りコタツに足を入れる。テレビを見ながらおせちの余りの蒲鉾を肴に発泡酒を味わう父を、同情的な目で見ようとした。だが、父の顔には一点の曇りもなかった。
「……」
克樹はその顔を見て、『父よ。貴方は酒であれば、何でも良いのですか』と心中で呟いた。克樹自身も正直、ビールと発泡酒の違いはそれほどよく分かっていない。しかし、父はそれこそ克樹が生まれる前から、ビールを嗜んできているのだ。ぽっと出の発泡酒なんぞに飼い慣らされてほしくない。そんな父の姿は見たくはないのだ。それに、前述もしたが父は一家の大黒柱だ。もっと威厳があっても良いのではないか。確かに母も、この家では重要な役割を負っている。だが、ここまで唯々諾々と従う必要はないだろう。誰もが父の大好物と認める酒に関することだというのに。
だが、そこが父の父たる所以なのではないだろうか。父はこういう事態に対処する際、耐え忍ぶという方法を、最も得意としているのかもしれない。『何事も時が解決する』のならば、いずれ風向きも変わりまたビールをしこたま呑める日々が来るだろう。そういう考えなのかもしれない。
「……それに」
克樹は別の可能性に思い至る。実は、酒よりも大事なものが父にはあるのではないだろうか。もちろん酒も好物だが、それをも上回る何かが。
命だろうか。だとすれば、多少健康を考慮して発泡酒を呑む理由もわからんでもない。だが以前祖父が亡くなった時、寡黙な父が「ぽっくり逝けて、よかったよ」と涙を流しながらも呟いたのを克樹は思い出す。この一言でもって全てを判断するのは早計だが、父の死生観は恐らく『何かを我慢してでも、長生きするべきだ』というものではないだろう。
「と、すると……」
克樹は、最後の可能性に突き当たる。父は、何よりも母を愛しているのではないだろうか。無論二人は結婚し、長年連れ添っている仲だ。愛していない訳がない。だが、その母が酒についてくちばしを入れてきたらどうだろうか。
父は大好きな酒のために、そのくちばしを一蹴することもできたに違いない。だがそれ以上に愛している母からの、その心遣いが嬉しかったのだろう。かくして、天秤は後者に傾いたというわけだ。
克樹は父から視線をテレビに移し、しばらく番組を視聴していた。視界の端から、舌鼓や飲み干した後の吐く息の音が聞こえてくる。
「克樹、お前も呑むか」
缶を三つほど空にした父が、トロンとした目で克樹に言う。どう見ても、呑み足りないので目の前にいる息子をだしにして、おかわりに有り付こうとしていることは見え見えだ。だがまだ正月も2日。これぐらいは良いかということで、克樹はご相伴に預かることにした。
「母さーん。克樹も呑むからおかわり持ってきて。あ、おつまみもねー」
普段の寡黙さからは想像もつかないような大声で母におかわりを要求し、父は満面の笑みで最後の一切れの蒲鉾をほおばった。
『やっぱこの人、酒なら何でも良いんじゃねえかな』
父のその笑みを見て、克樹は先程までの考えが正しいかどうか再び考え始めていた。