影惑い 探偵奇談19
休憩に入る。一年生は慣れない練習に参っている様子だった。弓道というと、美しく華やかなイメージがあるが、その基礎は根気強い繰り返し。弓を手にするまでには驚くほど長い道のりがあるのだ。
「瑞、ちょっといいか」
「はい」
伊吹に呼ばれて事務室に入ると、ホワイトボードの掲示板に細々と予定を書き込んでいる主将の姿が目に入った。指導、稽古内容や試合の日程調整、主将会議に顧問とのやりとり、伊吹の仕事は雑多で膨大である。
「週末の自主練のことなんだけど、俺出られないから任せていいかな」
「大丈夫ですよ。先輩が来ないの珍しいですね」
「三年は進路説明会があるんだ」
「そうか…先輩は来年卒業ですもんね」
部活だけに専念するわけにもいかなくなるということだ。とはいえこの学校は、部活動に学業成績が大きく関わっており、成績不振であれば公式戦に出られない等の厳しい規約も存在しているため、運動部に所属する者は成績が優秀な者が多いのだ。特に主将クラスは。伊吹も学業においては優秀な成績を収めているから、今から慌てて受験勉強をするわけではなく、これまでもきちんと準備をしているはずだ。
「俺は、引退するまでは部活に100パーつぎ込みたいんだけど…。でも三年になったら、やっぱ進路のこととか、そういう話が同時進行で進んでいくわけだよ」
「…先輩は、進学するの?」
「一応そのつもり」
そうか。この人と一緒に高校生活を送れるのは、あと一年。一緒に弓を引けるのは、その半分くらいだろうか。引退が迫っているのだ。今更気づいた。三月に宮川主将らが卒業したのを見送ったときも、自分に置き換えて考えることはなかったけれど。一年後自分は、同じように伊吹を送り出す立場にあるのだ。
「瑞、どうした?」
黙り込んでしまった瑞の横顔に、伊吹の静かな声が降る。
「…え、俺やだな。先輩が卒業したら。なんか、普通にずっと一緒にいられるもんだって…思ってたかも…」
高校生活はたったの三年間。学年の違う伊吹と過ごせるのは二年間。そのうちの半分がもう終わってしまった。当たり前のことだけど、あまりに短いではないか。
「短いよな」
同じことを考えていたらしい、伊吹がぽつりと零す。
「その三年間で友だちと思い出作って、仲間と一緒に部活して、誰かを好きになって恋愛して、自分の人生の大半を占めるであろう進路を決めるって、時間足りなさすぎだよ」
「そうだね…」
あと一年…。来年桜が散る頃には、もう伊吹はここにいない。
作品名:影惑い 探偵奇談19 作家名:ひなた眞白