星の流れに(第三部・焦土)
実際、あと十日も終戦が遅れていたら餓死する者が後を絶たなかっただろうと思う、自分も含めて……。
幸子たちは一旦収容所に入れられ、日本からの復員船を待った。
収容所で兄と会うことはついぞなかった、どの隊にいたのかもわからない、中山博幸と言う名前だけではその消息を知ることも叶わなかった。
そして昭和二十年十一月、女性で非戦闘員である幸子たちは一番船に乗せられた。
船がマニラ湾を離れる……幸子はほっとする気持ちと共に、この地で命を落とした同僚たち、そして看護の甲斐もなく亡くなった兵士たちに思いを馳せずにはいられない。
そっと和子のロケットを取り出し、数珠代わりにして夕日に染まる山々に手を合わせた。
亡くなった人の冥福を祈って……そしてまだこの地に残っているかもしれない兄の無事を祈って……。
約三週間の船旅を経て、幸子は鹿児島の港に降り立った。
約三年ぶりに踏む日本の土に心底ほっとしたが、やはり戦争の爪痕は深く残っている、食料も充分ではないようだ。
それでも逸る気持ちに急かされるように汽車に乗った、早く東京に、両国に帰って両親の消息を知りたい、その一心だった。
途中、広島を通る。
新型爆弾のことは知らなかった、だが街の様子を見れば想像もつかない威力を持った爆弾だったことはわかる、広島で乗り込んできた人から奇妙な病気が広まっていることも聞いた、それが何なのか幸子の知識ではわからない、だが、今の医療では手の施しようがない得体の知れない病気であることは想像できた、ここ広島では恐ろしいことが起こっただけではない、それはまだ人々に恐怖を与え続けているのだ。
自分はルソン島で何度も死線をくぐり、飢えや病気に耐えて生き延びた、尋常でない体験をしたと思っていたのだが、それは内地でも同じだったと知り、看護婦としての本能のようなものが呼び覚まされた心持ちがした。
東京に戻る……それは故郷に戻ることには違いないが、そこで自分が果たすべき使命はまだまだ山積みなのだと心に刻んだ。
何度も汽車を乗り継ぎ、東京が近付いて来る。
本来ならば心が浮き立つのだろうが、逆に幸子の心は沈んで行った。
広島にも劣らず酷い有様だった……。
そして、とうとう両国の駅に降り立つと辺りを見回した。
かつて活気に満ちていた町は跡形もなくなっている、何とか焼け残った国技館と両国小学校、それがなければ自分の家があった辺りすら見当がつかない。
ここまで焼き尽くされた町……両親のことが気にかかる。
家のあった辺りに見当をつけて歩いていると、顔見知りに出会うことができた。
馴染みだった魚屋のおばさんがバラックからひょっこり姿を現したのだ。
「おばさん!」
「え? 幸子ちゃんかい?」
「そうです、中山です、中山幸子です」
「あれまぁ、南方へ行ったって聞いてたけど、よく無事で戻ったねぇ」
「あの……両親の行方を知りませんか?」
「ごめんねぇ、あたしたちは空襲の時は親戚を頼って疎開してたんだよ、いつまでも厄介になっていられないから終戦を聞いてすぐに戻って来たんだけどさ、帰ってきたらこのありさまでびっくりしたくらいなんだよ……もう四か月くらいになるけど、中山さんは見かけないねぇ」
「そうですか……」
「ごめんねぇ、役に立てなくて」
「いえ……」
考えたくないことが頭をよぎる、しかし今のところは『行方がわからない』であって、死んだと知らされたわけではない、幸子は自分が戻ったことを知らせる立て札だけ立て、重い脚を引きずりながら住む場所と仕事を探しにその場を離れた。
幸い、そのどちらもすぐに見つかった。
焼け残っていた品川の病院を訪ねると、一も二もなく採用され下宿も世話してもらえた。
空襲で大火傷を負った人々、負傷を抱えたまま復員して来た兵士などで病院は溢れかえっていて人手はいくらあっても足りないくらいだった、戦地で三年の経験を積んだ看護婦ならば即戦力になる、幸子は病院側にとっても喉から手が出るほど欲しい人材だったのだ。
病院には三月十日の大空襲を経験した患者が多数いたが、顔見知りはなく、両親の行方は依然としてわからない。
ただ……あの夜、両国橋で生き残った人から一つの希望を聞き出すことができた。
両国橋の袂から上流へ向かって泳ぎ出した姉妹がいた、と。
(きっと静子と静枝ちゃんだわ……)
幸子はそう確信した……もっとも、泳ぎ出した後、二人がどうなったのかまではわからなかったが……。
作品名:星の流れに(第三部・焦土) 作家名:ST