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⑦冷酷な夕焼けに溶かされて

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相変わらず声を出そうとしない私に苛立ちを募らせた彼が、私の左足首の枷を外す。

その一瞬の隙をついて、自由になった左足で私は彼の腹部を思いきり蹴りつけた。

「っぐ…!」

不意の攻撃に呻き声を上げ、彼は私から飛び退いて距離をとる。

「ほんっと…よくこんな女を寵姫に…ルーナにしたな!!」

その言葉に、傷だらけの彼がぴくりと反応した。

「ルーナの名汚しもいいとこだ!」

蹴られた腹部がよほど痛いのか、彼は顔を歪めながらそこをさする。

「ほんと戦場に立ってきた女は、めんどくさいな!」

ぶつぶつと言いながら、彼ははたと何かに目を留めた。

「…そうだ。これを試すんだったな。」

その言葉に、私もハッとした。

ニヤリと口の端を歪めた彼の手には、あの星一族の小瓶が握られている。

それを見た瞬間、どくりと心臓が嫌な音を立てた。

「おまえ、これを知ってるだろう?」

言いながら、彼は傷だらけの彼の手に、八角形の小瓶を握らせる。

それでも、ピクリとも反応しない彼の瞳は、相変わらず焦点が定まらないままだ。

「ふん、知らぬ存ぜぬが通ると思うなよ。」

舌打ちしながら、彼は傷だらけの手から小瓶を取り上げると、ニヤリと笑った。

「今から、これをおまえのルーナで試す。」

言いながら、彼は私の顎を捕らえる。

「どうなるんだろうなぁ?」

狂気じみた笑顔に背筋がぞくりとふるえ、口元に押し付けられた小瓶がゆっくりと傾いた。

唇を貝のように固く閉じてみるものの、顎の骨を軋むほど強く握られてしまえば、あまりの痛さに力が抜ける。

「ほら、さっさと口を開け。」

喉の奥で愉しげに笑う彼の手によって、もう顎に力が入らなくなった私は、最後の手段に出た。

毒薬で苦しんで声を上げてしまうくらいなら、舌を咬み切ってしまおう。

そうして舌を歯で挟んだその瞬間、ギィンと弦が震えるような音が室内に響き渡る。

するとそれを合図にしたかのように、ペーシュが素早く彼の手に飛びついた。

「にゃっ!」

「うっ!」

突然、手に噛みつかれた彼は小瓶を取り落とす。

そのまま床に落ちた小瓶が音を立てて割れ、中の液体が弾け飛び散る音がした。

その瞬間。

「ぎゃおおぉぉぉぉっ!」

ペーシュの、断末魔のような叫び声が聞こえ、ガタガタと激しく暴れる音が室内に響いたのも束の間、すぐにシンと静まり返る。

「…ペーシュ…?」

思わず、そう呼び掛けてしまった。

いつもなら、すぐに反応してくれるのに、何も応えてくれない。

「ペーシュ!?」

我を忘れて、身を起こそうともがきながらもう一度名を呼んでみた。

けれど、やはりペーシュは応えてくれない。

そして、どんなにもがいても鉄がガチャガチャと耳障りな音を立てるだけで、私の体は思うように動かせなかった。

「ふん…やはり毒薬だったか。」

彼は冷ややかにそう言い捨てると、屈む。

「毒の耐性があるだろう忍の使役動物が、わずかな量が体にかかっただけで即死とは…どれだけの猛毒なんだ。」

ペーシュが事切れているのを確認したのか、再び立ち上がった彼は傷だらけの彼の胸ぐらを掴んだ。

「これで、母上や俺を殺そうとでも思ったか?」

そのまま壁に叩きつけたけれど、それだけでは気が収まらなかったのか、何度も何度も乱暴に壁に叩きつける。

痩せ細った体は抵抗する余力もないのか、まるで人形のように跳ねながら壁に打ち付けられた。

「ミシェル様!」

あまりにも見るに耐えないその様子に、私は思わず名を呼んでしまう。

私の声に、二人共ビクッと体をふるわせた。

そして、同時にこちらを見る。

「…。」

焦点の定まらない瞳は、私を探すように忙しなくあちこち動き回った。

「ニコラ…?」

低い声は、かすれている。

けれど、ハッキリと私の名を呼んでくれた。

「はい…ミシェル様…。」

会いたくて仕方がなかった、夢にまで見た彼の声をようやく聞けた喜びに我を忘れ、私はつい答えてしまう。

すると、その声をたどって、彷徨う瞳が私をとらえてくれた。

「なぜ、ここに…。」

言いながら、彼は自らの胸ぐらを掴む手を払いのける。

その様子は、先程まで抵抗する気力もないように弱々しかったのが嘘のようだ。

「ルイーズは、どうした?」

言いながら私の手を取ろうとするけれど、やはりよく見えていないのか傷だらけの手が空を切る。

そしてその手が私を拘束する鎖に当たり、ジャラッと音を立てた。

「…。」

彼はその鎖をそっと手に取ると、それを伝い、ようやく私の左手を掴む。

そのまま薬指を探し当てると、指輪の感触を確かめるように包帯の上から握りしめてきた。

「これは、ルイーズの妻だ。」

言いながら、鎖を外そうと手で探り始める。

「もう、私とは関係のない女だ。」

(っ!)

彼の言葉で、ようやく真意を知ることができた。

あの別れ際にルイーズとの婚姻を命じたのは…私を守るため…。

(この人は、どこまでも…。)

端正な顔が歪み、痣だらけな上、目まで見えなくなって…どれほどの拷問を受けたのか…いや、真新しい傷もたくさんあるところから、いまだ継続して暴行されているのかがわかる。

けれど、その中でもなお私を守ろうとしてくれるミシェル様に、目頭が熱くなった。

「私と無関係ということは、帝国とも無関係だということだろう?
ならば、このように拘束され拷問されるいわれはないはずだ。解放してやれ。」

先程までとはうってかわって、以前のような力強い口調で若干早口に言い募る彼に、もうひとりの彼がニヤリと口の端を歪ませる。

「…必死だな。」

くくっと喉の奥で笑うと、壁に預けていた背をゆらりと浮かせた。

「おまえのその様子を見る限り、無関係とは思えないがな。」

そう言いながら、彼は私を張り付けていた鎖をひとつひとつ外し始める。

「では、無関係と言うのならば、なぜ帝国の王位継承の証をこの女へ与えた?」

「っ!」

(王位継承の証?)

私は、自由になった手を思わず見た。

(指輪の宝石は、王位継承の証だったのね!)

だから、彼は『帝国へ帰れない』と言っていたのだ。

そう気づいた瞬間、ジャラッという音と共に、私の体は鎖ごと彼へ引き寄せられる。

「…。」

そんな耳障りな音をたどって、傷だらけの彼は焦点が定まらないままふり返った。

「ニコラ?
ニコラをどうするつもりだ!?」

先ほどまでの無気力な様子から一変して、傷だらけの彼から以前のような威圧感が滲み出る。

「『ニコラ』じゃないだろう?
この女は、今もまだおまえの『ルーナ』のままだ。」

そんな彼を、帝国の彼は挑発しながら私を抱きしめる腕に力をこめた。