スーパーソウルズ
敦木警察署に110番が入った。
相模川の土手で、イノシシらしき動物を見たという、市民からの通報だった。
目撃者はふたり。
相模川でアユ釣りをしていた釣り人と、地元のラーメン店主。
通報を受けて大下巡査以下3名が、2台のパトカーに分乗し、目撃された現場に向かった。
大下は堤防沿いの側道にパトカーを停め、河川敷を見おろした。
河原を見る限り、確認できる動物はいない。
イノシシは遠くに移動したか、草むらに潜んでいるのか。
それとも目撃者が野犬をイノシシと見間違えたか。
同乗していたもうひとりの警官と手分けして、大下は周辺を捜索した。
イノシシの目撃現場は、一級河川相模川の河岸。
川幅は広く、葦が生い茂る河原は遮るものもなく見晴らしは良い。
上流と下流にそれぞれ川を跨ぐ橋が架かっている。
その上流側に架かる相模大橋を、佐賀を乗せた警察車両が偶然通りがかった。
佐賀は、土手にパトカーが2台停まっているのを見つけた。
「何かあったのかな」
佐賀が車のハンドルを握る同僚に言った。
「さあ」
と、同僚は土手の方をちらっと見て淡泊に返事をした。
河川敷で何かを捜しているような大下の姿を、佐賀は車の窓から認めた。
橋のたもとの赤信号で車が停まったところで、佐賀は運転する同僚に断りを入れて車から降りた。
椿谷裕司のことが頭を過ったのだ。
腐乱死体だけは勘弁してくれ、と念じつつ、佐賀は土手を駆けおりて大下に声をかけた。
「大下巡査、ご苦労様です」
「あ、これは佐賀係長。本庁研修お疲れさまです」
「ほんと、疲れたよ。ところで事件ですか」
「いえ、それが・・・」
「もしかして、あの少年の手がかり?」
「いえ、その・・・」
「何なの?」
「イノシシ・・・」
「イノシシ?」
佐賀の声が裏返った。
「イノシシが出たの?」
「らしいです。通報がありまして。本当かどうか疑わしいのですが・・・」
「それで緊急出動か」
「どうしてこんな街なかに?」
「ふつう山で食いっぱぐれて、農作物を荒らすっていうけどな」
「今年は日照り続きでしたから、きっと・・・」
「山の食物は喰い尽くしたか。にしても山からここは遠い」
「そこなんすよね」
ひとりの制服警官が土手を駆けおりてきた。
「目撃者から話が聞けました。野犬などではなく、確かにイノシシだったと」
制服警官は、目撃者が描いたという、けものの絵を大下に見せた。
「写真はないのか」
「はい。突然だったとか」
写実的な絵ではなかったが、イノシシと推認できる絵だった。
「びっくりして逃げたら、追っかけてきたと」
「こえー」
傍で聞いていた佐賀が他人事のように呟く。
2頭のイノシシが、河川敷を下流方面にうろつきながら移動していたという目撃談を、制服警官は付け加えた。
「いやぁ、本当にイノシシなんだ・・・」
「初めてかなイノシシ。いや赴任した直後に数回あったか。20年以上前だ」
「イノシシなんてどうやって捕まえるんですか。教えてくださいよ、佐賀係長」
「俺も知らないよ」
「どっか遠くに行ったって、報告しちゃおうかな」
「おいおい、もし駅前の飲食店街に現れたらどうする? 残飯あさるっていうぜ」
「勘弁してくださいよ」
「市民の生命財産を守るのが務めでしょ」
「忙しいんですよ。イノシシどころじゃない」
「あれか」
「あれです」
「だよな。俺もあれで東京に呼ばれた」
「益岡先生、次の総裁選出馬するの、本当なんですかね」
「次は無理そうだけど、狙ってるのは確かだな」
「なんかあの先生、敵多いからな」
「言うね、大下くん。地元の大先生だよ」
「だから困ってるんです。いろいろ注文が多いと、うちの課長も頭抱えてて」
「たしか来週だっけ、市民会館」
「そうなんです。高速からの導線に警備つけろとか、客の身体検査やれとか」
「そこにイノシシか」
「手伝ってくださいよ、捕まえるの」
「やだよー。怖いし。それに安全課の仕事邪魔しちゃ悪いし」
「悪くないですよ」
警察無線が入ったことを知らせる報知音がパトカーから聞こえてきた。
大下の傍にいた制服警官が車に戻った。
佐賀は自分が大下に会って話す理由を思いだして大下に言った。
「そうそう、あの子、どうなった? 捜索願の」
「気になりますか?」
「気になるから聞いてるんだ」
「群馬県警から連絡がありました。金精峠のトンネル出口に25cmのスニーカーが落ちていたと」
「それで?」
「失踪人の靴かどうか・・・」
「かどうか・・・?」
「まだ特定できていません」
「何やってんだよ」
「だから、イノシシ・・・」
パトカーから警官が戻ってきた。
「大下さん」
警官は大下の顔を見たきり、言葉を継げずにいた。
「どうした?」
大下が尋ねた。
「ツイッターに写真があがってるそうです」
「ほう、市民からの情報提供か」
「東名高速の橋脚の下で撮られた写真。イノシシが5頭写っていたそうです」
「5頭?」
佐賀はひとり土手を離れ、徒歩で市の中心部である駅のほうに向かった。
万が一のことも考えて、佐賀は駅前の交番に知らせてやるべきだと考えた。
ヒラの警察官に、自分が20年前遭遇したイノシシの経験談を話してやろうと企んだ。
ついでになじみの定食屋で早い夕食をとるつもりだった。
駅前の交差点では、男子大学生らしき若者が3人、スマホを手に談笑していた。
ひと組だけではなかった。
交差点の角コーナーに都合3組の若者グループが、行き交う車と手元のスマホを見較べて話していた。
不在の間に若者が興味を惹くような事故でもあったのか?
佐賀がそのひと組に耳を傾けると、たしかに交通事故の話をしているようだった。
佐賀は若者グループにすり寄った。
「何かあったの?」
若者は、佐賀が醸し出す険しい雰囲気に一瞬ひるんだ。
「いえ、別に・・・」
「ユアトの言ってることが本当かどうか・・・」
別の若者が答える。
「ユアト?」
佐賀は気になったことはお構いなしにずけずけ訊くタイプ。
若者は、スマホの画面を佐賀に見せて、言った。
「ちょっと前にあった事故の映像なんですけど・・・」
佐賀は、その映像が3か月前にあった多重連鎖事故だとひと目見てわかった。
「ちょっとよく見せて」
YouTube動画だった。
「なんでこれが?」
事故の顛末がすべて収められていた。
よく見ると、一般市民には入手困難な映像も含まれている。
特殊なケースの多重追突事故だったが、重傷者も死者も出ていない。
よって、ローカルニュースにしかならなかった事故だ。
それがネットに取りあげられて、しかもその事故現場に3か月も経って若者が群がっている。
佐賀は、引っかかるものを感じた。
投稿者のユアトという人物に、心当りはなかった。
「ユアトって誰?」
佐賀は若者に尋ねた。