スーパーソウルズ
「ゼーレ_ファーストインパクトでは、たくさんのご視聴、反響をいただき、ありがとうございます」
ユアトは軽く会釈した。
白く塗り固められた壁の前にユアトは立っていた。
YouTube動画である。
そのタイトルは、”ゼーレ_セカンドインパクト”
ファーストインパクトが公開されてから3日後のアップロードだった。
ユアトはもうサングラスもかけておらず、キャップも被っていなかった。
涼しげな瞳で、カメラの向こうの視聴者に語り始めた。
前回同様、60inchモニターがユアトの背後にあった。
モニターに一冊の書物が表示された。
表示されたものと同じものが現物として、ユアトの前のテーブルの上に置かれていた。
「アシュロフ博士が著した唯一の書籍”超存在論"です。ドイツ語で書かれた約千ページの本。残念ながら絶版で日本語訳もされていません。
どういう経緯で私の手元にあるかは、伏せておきましょう」
ユアトは白い歯を見せて微笑した。すぐに真顔に戻して続けた。
「この書物の第1章は、脳科学の黎明期から近代までの脳研究史が、博士の視点を交えて書かれています。
哲学的な考察や他の研究者の論文を引用した部分がかなりありますので、詳細は割愛します。
ここでは、自我や自意識はその当人固有のもの、という程度の認識で良いと思います。
後半第2章は、博士自らが被験者の元に赴き、フィールドワークを重ねた研究結果をもとに構成されています。
本来、人生経験や感じたこと、芽生えた感情というのは本人固有のものです。
その実体験や肌感覚を、文字や言葉にして他人に伝えることは可能です。書物がぞの最たるもの。
他者の実体験であれ、想像の産物であれ、ページを開きさえすれば時間の経過に関係なく共有できます。
しかしごく一部に、文字や言語で伝えた痕跡もなく、時間的・地理的に伝えられたとは考えにくい、まったく赤の他人の体験や感情の記憶を持つ者がいます。
生まれ変わりと表されることもある。
でもその表現はあまりに抽象的で非科学的です。
他人の体験や感情の記憶はどのように脳に流れこみ、脳のどの部分に蓄積されているのか。
自我とは一線を画すまったく別領域に別物として、”何か”、が脳の中にあるのではないか。
その”何か”を探究するプロセスと仮説が、この本の骨子です。
自我を表す言葉に”エス”という語があります。
博士はそのエスと区別するために、その”何か”をゼーレ”と名付けました。
ゼーレ研究に動かされた理由に博士は、他者の記憶を宿す者の数の多さを挙げています。
博士が実地に聞き取りをした被験者の数は約800人。そのうち約70%の577人が、ゼーレを持つ可能性があると結論づけています。
ハーバードやソルボンヌ大学の研究機関では、6000人を超える被験者が過去の経験や人物のプロフィールをほぼ正確に語っています。
数十人なら、偶然の一致や非常に特異な例外的な現象で片付きますが、数千人だとそうはいきません。
そしてこの不可解な現象を理論的に説明できる科学を、ヒトは未だ持っていないのです。
そこでアシュロフ博士は仮説を立てました。
ゼーレ外来説です。
ヒトの脳を研究し尽した博士にとっては当然の帰結なのですが、そうすると、いつ、どこから、どうやって、何のために?
という様々な疑問が沸き起こります。
残念ながらいつ、どこから、どうやってという疑問に対する答えは、この本には記されておりません。
唯一、何のためにだけが推論されています。
ゼーレの目的は”存在”すること。
”生存”ではなく、”存在”。
生存を超越した存在なので、超存在論。
残念ながら学会からの視線は冷ややかなものでした。ゼーレやその由来を論じたゼーレ外来説は、突拍子もない可笑しな仮説だとして歯牙にもかけられませんでした。
落胆し研究意欲を失った博士は、研究活動を続けることなく一線から身を引きます。
時期尚早だった。私がこの本を読む限り、博士の不幸はこの一点に尽きます。
超存在論。
本当に面白い本です。
ゼーレがヒトとどういう関係性を持つのか気になりますね。ゼーレがヒトに及ぼす影響と言い換えてもいいかもしれません。
博士の研究はその部分にフォーカスしていきます。
博士の研究では、ゼーレが脳に転移することを”トランスする”と表現されています。
ドイツ語圏でもトランスはトランスらしいです。
ゼーレがトランスするのは、ヒトの脳だけではありません。
ある程度の大きさの脳を持ったヒト以外の哺乳類、爬虫類、鳥類、両生類、有袋類にもトランスすると、アシュロフ博士は考えています。
二足歩行のヒトが現れる以前にもきっと地球上のゼーレはいた。
それは様々な動物にトランスして存在していたはず。
そしてホモ・エレクトスが誕生すると、”ヒト”にトランスし、人口増加とともにヒト・チェザルモの数は増していった。
現在ヒトは食物連鎖の頂点に君臨していますが、この100年振り返ってもヒトは互いに万単位で殺し合っている。
”存在”のゆりかごに最も相応しいチェザルモが、ヒトなのか動物なのかを考えたとき、動物を選択するゼーレが相当数いたとしても不思議ではない。
それがヒト以外の動物・チェザルモ説の論拠なのですが、博士は、動物は専門外ということで、追究は避けておられます。
ですので、セカンドインパクトでは、ヒトに範囲を限定して、話を深堀していきます」
モニターにカタカナの語が5つ、縦に表れた。
”ジュノック”
”アテン”
”ギルス”
”ヘブロ”
”モルガ”
「古代よりゼーレは、精霊とか霊能力とか第三の目とか様々な言葉で表現されていると、アシュロフ博士は述べています。
古い文書によるとゼーレを持つ者は能力者とされ、能力の強弱によっていくつかのステージに分類されているものが多く見られます。
5つの分類がもっとも多く、モニターにある5つの言葉はなかでも頻出するステージ名です。
能力の高い順、ヒトとゼーレの関係性でいえば関係性の濃い順に上から並んでいます。
逆に言うと一番下のモルガがもっとも関係性が薄い。
本人も周囲もゼーレを持っていると気づかないチェザルモがモルガ。
これはファーストインパクトでヒト型のイラストで説明した典型的なタイプです。
へブロ、ギルスとステージがあがっていくに連れ、関係性が色濃くなっていく。
個別に説明してもわかりにくいと思うので、ここである街頭カメラの事故映像を見ていただきましょう」
一台のベンツが尋常ではない速度で交差点に突っこんでくる。
青信号の横断歩道を、子どもを乗せた自転車が通りすぎる。
そのすぐ後ろを男子高校生が歩いている。
ベンツが赤信号を無視して交差点に突っこみ、自転車に衝突する。
自転車に乗った母子が自転車もろとも宙に舞う。
巻き添えを喰う形で、男子高校生が車道端の植え込みに弾きとばされる。
自転車を撥ねたベンツは、そのまま交差点を徐行していた大型バイクをかすめ、交差点に進入してきた路線バスと側面衝突。
大型バイクは反対車線にはみ出し、走ってきたタクシーと接触、タイヤを巻きこまれる形でタクシーのシャーシにめりこむ。
バイクに乗り上げて停車したタクシーに後続のトラックが追突。