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スーパーソウルズ

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#1.椿谷裕司




揺さぶられて目が覚めた。
身体ごと小刻みに上下する振動だ。
乗用車の後部シートに押し込められている。
仰向けになった状態で激しく揺らぐ車の天井を、椿谷裕司は見つめた。
徐々に記憶が蘇ってきた。
神奈川県三浦半島にある霊園墓地で何者かに拉致されたことを、裕司は思いだした。
霊園の祭壇がある部屋。
近づいてきたサングラスの男に背を向けた途端、首筋に痛みを感じた。
気が遠くなり、それきり・・・。
両腕が臍のあたりで胴体ごと、麻縄で縛られていた。
身動きがままならなかった。
首を少しあげて窓の景色を見る。
スモークガラスを通して、緑の枝葉が後方に飛び去っていくのが見えた。
前方の運転席と助手席にそれぞれ男性であろう人の気配を感じる。
運転席の男のレイバン型の細い弦が時折光る。
次の瞬間、裕司の眼前に車が進む方向の景色がブワっと広がった。
片側は、人の背丈ほどの擁壁と、樹木が生い茂る山肌、
対向車線側は、途切れ途切れのガードレールと、谷に落ちていく傾斜面。
陽光に照り輝く樹木の緑色は、眩しいほど鮮やかだ。
車はその風景の中を滑るように走行している。
だが、裕司は後部座席に仰向けになったままである。
運転者の見ている景色が裕司の脳漿に流れこみ、瞬時に視覚野で映像に変換された。
裕司は頭の中で、ただその風景をぼんやり見ているのである。
裕司が錯視を正そうと首を左右に振ると、車が突如スピードをあげた。
助手席の男が運転者のほうを見て何か叫んだ。
緩やかなカーブで、車は膨らみつつ車線を外れていった。
そして猛スピードのままガードレールをつき破った。
松の細い木をなぎ倒しながら斜面を下り、太いブナの木に激突して停まった。
クラクション音が鳴り響く。
ボンネットから激しく立ちのぼる水蒸気がフロントガラスを曇らせた。
運転者は、作動したエアバッグに顔面を打ちつけて気を失っているようだった。
レイバン型の細い弦がよじれ、レンズが蜘蛛の巣状にひび割れていた。
助手席の男も出血した額を押さえ、呻いている。
衝撃を免れた裕司は、男たちの隙を見て両足でドアを蹴り破った。
身をよじらせて車から脱したが、勢い余って地面に転がってしまった。
助手席の男も呻き声を発しながら車を降りた。
立ち上がりかけては斜面を転がる裕司。
それを繰り返すうちに、両手を縛っていた縄が緩みほどけた。
「待てー!」と叫びながら男が追ってきた。
裕司は縄を解き、痣のついた腕をさすりながら、さらに森の深くへ逃げこんだ。
逃げ足なら負けるはずがない。陸上部駅伝要員。
そう裕司が思ったとき、「逃げても無駄だー!」と別の男の声がした。
「こっちだー」「出てこいー!」四方から声がした。
追手はひとりではない。ふたりでもない。多数の声と気配がする。
何なんだ、こいつら。得体の知れない追手に恐怖が過った。
枯れ枝に何度も足をとられながら裕司は駆けた。
地中に水分を含んだ、じめじめとした谷に出た。
濡れた枯葉が裕司の足がすべらせる。
幾筋の水の流れが集まって細い渓流となっているぬかるみを、裕司は上流に向かって進んだ。
やがて花崗岩がむき出しの岩場にさしかかった。
ごつごつした岩が土中が急傾斜を形づくり、岩の裂け目から水が流れ落ちる。
平坦な道をひたすら走ることにかけては多少の自信はあったが、山道のトレッキングや岩場のボルダリングの経験はない。
太腿に乳酸がたまるのを感じながら、裕司は細い渓流沿いを伝って慎重に足場を選び進んだ。
爬虫類のように全身の関節を柔軟に曲折して、清流が流れくだる岩場をよじ登った。
真っ青な空、美しく輝く木々の緑、冷たい沢の水。
夏休みのレジャーならきっと満点に楽しい場所に違いない。
しかし今はそれどころでなかった。
90度にそそり立つ岩壁。あと少しでてっぺんに達する。
岩場の出っ張りに指をかけ、つま先に体重をかけて身体を押しあげる。
しかし出っ張りの先端がポロリと剥がれた。
手が宙をつかみ、バランスを保てず裕司は滑落した。
咄嗟に目で捉えた水場に落ちるように体をくねらせたが、右足先が水面から突き出た岩に衝突した。
足首の骨が引き裂かれる音がした。
水しぶきが上がる音と、裕司の悲鳴が重なって森に響く。
小さな滝壺の水深は浅かったが、身体が水没するのに十分な深さはあった。
手足をバタつかせて水面に顔をだし、激痛をこらえて水際づたいに乾いた岸辺まで這い出た。
遠くで異様な音がした。
獲物を求める獣の咆哮のようだった。
その声は次第に近づいてきた。
追手が放った猟犬だろうか。
もうだめだ、足を負傷した。歩けない。
裕司は仰向けになって、天空を見上げた。
青空高く鳶か鷹のような群れが、きれいなVの字を描いて飛行しているのが見えた。
その飛行体から何か黒いものが剥がれ落ちて、宙を舞っている。
なめらかな線に沿って等間隔に落ちるその黒いものは、瞬く間に空を隠すほど数えきれない数に膨れあがった。
裕司は強く首を振った。
違う。これは僕の見ているものじゃない。誰かの記憶が混濁している。
ひと握りの白い雲が浮かぶ真っ青な空。
遠くで連続した爆発音がする。
12時の方向から何かが燃える匂いが漂ってくる。機銃の爆裂音が近くなる。
こんなところで死にたくない。
僕は・・僕は・・僕は・・・
誰だ?
「立ってください」
頭上で男の声がした。
裕司が首を伸ばして見上げると、公立中学校の教師にいそうな平凡な男が立っていた。
スーツはねずみ色、黒縁の眼鏡をかけている。
男の背後のある景色は、陽光が散る濃い緑の林。
立ちのぼる煙はなく、機銃の音もしない。
男が立っている。
それは幻ではなかった。
追いつかれた。逃げ切れなかった。
負けた。試合終了。
僕はこんな普通の男に走りで負けたのか。
裕司が妄想を巡らせてモタモタしているので、男が「早く」と急かした。
「足が・・・、足が・・・」と裕司が訴えても、男は無言で見おろしているだけである。
負傷した右足をかばいながら、裕司は膝立ちになった。
その裕司の襟首を男が掴もうとしたとき、男の足元で犬が吠え始めた。
さほど大きくもなく鳴き声もひ弱な野良犬。
白い毛並みが土色に汚れている。
男は、その野犬に構うことなく裕司の首に手を伸ばした。
が、背後に別の気配を感じて振り向いた。
背中の肉が盛りあがった大型の犬が二頭、舌なめずりしながら近づいてきた。
小さめの野犬とは比較にならない、熊のような体格だ。
調教された猟犬ではなく、あきらかに野生で育った野犬である。
男のこめかみが引きつった。
次の瞬間、二頭の大型犬は、鋭い爪を立て男に飛びかかった。
裕司は腰を抜かして尻餅をついた。
反撃する間もなく、男は野犬に押し倒された。
何が起きているのか混乱しかない裕司は、恐怖に震えながら後ずさりする。
野犬を刺激せずこの場から逃れること。
それが最優先と見定めた裕司は、ゆっくり立ち上がった。
男の悲鳴に耳を塞ぎ、惨劇に目を背け、痛む足を引きずってその場から離れた。
気力の限りを尽くして足を動かした。
渓流の谷から遠ざかり、森の中を彷徨うように走った。
幸い、恐ろしい野犬に追われたり出くわしたりすることはなかった。
日の暮れが迫っている。
作品名:スーパーソウルズ 作家名:椿じゅん