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スーパーソウルズ

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プロローグ



1986年1月
東欧アルメニア共和国の首都エレヴァンの中心地に位置する市民公園は、暮れかかる夕陽のオレンジ色に染まりつつあった。
公園の一部となる市民広場は噴水を囲むように広く円形に石畳が敷きつめられていた。
その円形の縁にあたる場所にいくつか店舗が建っており、空を見あげた店主たちが店じまいの準備に取りかかった。
カフェのオーナーはテラス席の椅子を店内に集め、チキン料理を移動販売する男はキッチンカーの周囲に配置した看板を片づけた。
観光客が途切れた土産物屋の店主は、蛇腹式のシャッターを半分閉め黙々と商品棚の整理をする。
そんな市民広場は南側の一角が、公園の地形を活かした見晴らしの良い高台になっていた。
高台に向けては、傾斜の緩やかな斜面に御影石で造られた階段状の石段が据えてある。
石の階段をのぼると、アルメニア国立歴史博物館の荘厳な景色が出迎える。
鳳が羽を広げたような大屋根が特徴的な建物である。
正面玄関の吹き抜けは、四方の窓が美しいモザイクガラスに彩られていた。
大屋根を支える8本の太い石柱は、古代ギリシャ神殿のエンタシスを模したものだ。
落陽に映える博物館を背にして、鷲鼻の男が広場に繋がる石段を数段駆けおりた。
立ち止まって銀色に波打つ髪を掻きあげると、男は幅広の石段の上に腰をおろして新聞紙を広げた。
男の開いた新聞の一面を飾るのは、民衆を前に演説するロナルド・レーガンアメリカ大統領の写真。
男はレーガンの面を折りたたむと裏面の小見出しに目をやった。
文字が読み取りやすくするために、男は新聞を高く掲げた。
残り火のような夕陽の明かりに、新聞紙面が照らしだされた。
”ハレー彗星まもなく最接近”
文字面だけの小さな記事だった。
「まだ、時間はあるか」
石段の下から上段に向かって声をかける男がいた。
黒いソフト帽を被った大柄な男だ。
博物館の玄関付近で案内看板を片付ける職員に向けて、大声で尋ねたのだ。
聴こえなかったのか聴こえなかった振りをしてるのか、職員は片付けの手を止めない。
ソフト帽の男は厚手のダッフルコートを揺らしながら石段を駆けあがった。
「まだ閉館時間まで15分ある。中を見物する時間はあるかと訊いている」
ソフト帽の男は両膝に手を置き、息を切らしながら職員を睨んだ。
ソフト帽の男の肉付きのよい横顔が残り火の淡い光に映しだされた。
銀髪の男はソフト帽の男の手元を目で追った。
新聞紙のようだった。
新聞巣は丸めて握られているが、ハレー彗星の文字はしっかり見てとれた。
博物館職員はソフト帽の男に向かって、無愛想に顎先で入場券窓口を指し示した。
窓口に掲示されているCLOSEDの看板を見て、ソフト帽の男は周囲に響く大きなため息をついた。
帽子を取り、あがった呼吸を整えた。
「トランジットのある長旅は好きではない」
そう言うとソフト帽の男は鷲鼻銀髪の傍らに腰をおろした。
「イビサ碑文は展示されてましたか」
ハレー彗星の記事が銀髪の男から見えるように、ソフト帽の男は新聞を膝の上に置き直した。
「ええ。その文字列が示す意味はまだ解読されてないとの説明文も」
「奇妙ですな、10年ほど前にドーハに住む7歳の少年が解読に成功したという記事を見かけましたが」
「主の御霊に触れてはならぬ、ですね」
「いかにも」
「少年はのちに述懐しています。あれは、我は主の営みを妨げない、と読み解いたのだと。誰かが曲解して広めたのです」
銀髪の男は遠くに見える山々の夕映えを眺めながら続けた。
「そのあとの文字列も解読したと言ってますが、当時の歴史学会は意味をなさないと黙殺してしまった」
「ただし存在が脅かされるときはその限りではない。互いに手を取り合うとき、それは審判のときである」
「碑文の意味はともかく、碑文のもとに周期ごとに集まることのほうが意義深い」
「その意味でいうと、あとひとりまだ見かけませんね」
しばらく館内に姿を消していた件の職員が、ふたりの男たちのところにやってきた。
両手で抱えるように白い紙袋を持っていた。
「バロン上院議員と、ペリエ教授ですね」
「いかにも」
男たちは頷いた。
「イギリス領事館から電話がありまして、おふたりにこれをお渡しするようにと」
職員ははにかむような表情で紙袋を男たちに差しだした。
無造作に袋の中に入れられていたのは、両の手のひらに乗るくらいのサイズの木造船の模型であった。
「これは館内のスーベニールショップで売っているもので、この先のアララト山に流れついたという・・」
「見ればわかる」
ソフト帽の男が職員の言葉を遮った。職員は肩をすくめ、”確かに手渡しましたよ”という仕草をしながら立ち去った。
銀髪の男は袋の中から模型を取り出して言った。
「ノアの方舟、ですか」
「ノア、ですね」
ソフト帽の男は帽子を取り、眉間を揉むようにつまんだ。
「嫌な予感がします」
「同感です」
「3千年続いたのに」
「わずか3千年しか続かなかった。そう思いたくはありませんね」
「何のためのイビサ碑文だったのか」
「イビサ碑文そのものに疑問を呈する者もいる」
「真実は闇。ただ混乱をきたさぬように、我々がハレーの夜に集うをいう慣習であったものが・・・」
「希望を持ちましょう」
「希望をお持ちなのですか」
「もうすぐ世界規模で統一規格の通信網が完成します」
「それで世界が変わると?」
「変わります。互いに手を取り合いましょう」
「楽天的ですね。そうしてそんなに楽観視できるのですか」
「さあ、どうしてでしょう」
陽が落ちた。まだ碧みが残る東の空に宝石のような金星が輝きを始めた。
それから数週間後の1月28日、スペースシャトルチャレンジャー号が打ち上げに失敗した。
空中爆発事故を起こし、6人の宇宙飛行士が落命した。
そしてその年の4月にはソ連(現ウクライナ)チェルノブイリ原子力発電所で未曽有の炉心融解事故が起きる。
審判のときは、刻々と迫っていた。



作品名:スーパーソウルズ 作家名:椿じゅん