スーパーソウルズ
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ゆりかもめを降りて、真凛は竹芝埠頭から船に乗りこんだ。
船内にスマホを充電できる設備はなく、真凛は電池の切れたスマホを握りしまたまま、デッキの上から外洋をぼんやり眺めるしかなかった。
真凛を乗せたジェットホイール船は1時間余で伊豆大島岡田港に着いた。
ナイッアダイビングショップという店名はしっかり憶えていた真凛であったが、住所はおろか電話番号も地図も記憶にない。
港周辺にそれとわかる案内板はなかった。
伊豆大島は島といっても、山手線の内側の面積より大きい。
行き当たりばったりで探したら確実に日が暮れる。
真凛は開店前の土産物屋の店先でせわしなく立ち働く中年女性に、ダイビングショップについて尋ねた。
女性は、ダイビングショップは島内に4か所ほど海岸沿いに点在するが、名前と場所が一致しないという曖昧な答えを返してきた。
ナイッアという具体名を出して訊いても首をひねるばかり。
真凛は開店前のスーパーマーケットの駐車場に場所を移して、360度周囲を見廻して叫んだ。
「レオ!!!!!」
電柱に取り付けられた防犯カメラのランプが赤く光った。
「助けてくれ〜!! ナイッアはどっちだ!!」
しばらくすると、”10時開店です”というスーパーのデジタル看板の文字が消え、”右500mY字左800m”という文字に切り替わった。
「サンキュー、レオ!」
言うなり真凛は走りだした。
スーパーマーケットの前道を右に行くと、ほどなく道が二手に分かれた。
真凛は迷わず左側の道を選び海岸伝いを駆け続けた。
コバルトブルーの大海に向けてぽつりぽつりと店や家屋が立ち並ぶ道の先に、南国を思わせるシュロの木が2本見えてきた。
木の下にカラフルな看板があった。
”ナイッアダイビングショップ”
「あった!!」
真凛は走るスピードを緩めた。
ペンキを塗った板壁、木製のテラスに数着のウエットスーツが干してあった。
前庭には簡易なシャワー設備もあり、シャワーヘッドから水滴が滴りおちている。
壁際には封緘した数本のエアタンクが整然と立てかけてある。
ショップはOPENの木札が出ており、窓越しに立ち働く人影があった。
”中に香織がいますように”
そう祈りながら真凛は、ショップのドアを開けた。
店内には水中マスクやフィンが並ぶ棚と大きなテーブル、壁際に受付のカウンターらしきものがあった。
「あのぉ・・・」
と真凛が店内を見渡した。
屈んで商品を整理していた女性が来訪者に気づいて
「いらっしゃいませ」
と応対した。
女性は日焼けした肌にブロンドの長髪を胸元に垂らしていた。
店内はその女性だけで、他に人の姿はなかった。
ブロンドの女性は真凛を見て一瞬、戸惑ったような表情を浮かべた。
依然として真凛の顔は痣だらけで、手には包帯を巻いている。
ダイビングをする客には見えなかっただろう。
女性は気をとり直して
「ご予約いただいているお客様ですか」
とマニュアル通りの問いかけをした。
「香織さん。童門香織さんはいますか」
「童門香織さん? お友達ですか」
女性が香織の名前を口にし、訊き返した。
ということは、童門香織は確実にここに来ている。
「はっ、はい・・・」
そう思っただけで真凛は上気して、言葉がうまく続かなかった。
「珍しいお名前ですから、憶えています」
そう言うと女性はカウンターに入り、タッチパネルを操作して壁掛け時計を見た。
「もう桟橋を出てますね。今頃ダイビングスポットに着いている頃かしら」
「えっ、もう沖に出てる?」
女性は微笑みながら頷いた。
「お友達を心配なさって来られたんですか」
「ええ、まあ・・・」
「大丈夫、深いところには潜りませんから」
「あぁ・・・。そこに行くにはどうしたら・・・」
「ご心配なく。ベテランの店長と経験豊かなインストラクターの2名が同行しています」
「船はないんですか?」
女性は暫し考えて
「あいにく・・・。あと1時間もしたら戻られると思います。お掛けになってお待ちください」
と椅子を勧めた。
あと1時間。
待つことが正解なのか?
そわそわしてじっと座って待つこともできず、真凛は店内をブラつくように歩きまわった。
するとカウンターの上に見覚えのあるアクセサリーが目に入った。
シルバーのイルカのピアスだった。
ピアスが一対、レジの横にぽつんと置かれていた。
「これは?」
「あ、これ童門様の。更衣室に置き忘れてあったもの。本人に確かめてからと思って」
「彼女、私物は?」
「ほとんど持っていらっしゃらなくて・・・」
女性はテーブルの上に、炭酸水の入ったグラスを置いた。
真凛は店の窓から外を眺めた。
はるか水平線まで真っ青な海が広がっていた。
マスクを押さえ、タンクの重みで船のヘリから海中にエントリーする。
教えられた手順で香織は海の中に身を沈めた。
透明度の高い海中、香織の傍ら手が届く距離にインストラクターが潜っていた。
インストラクターは、深く沈みこまずに上手く水中に留まれるよう息の吐き方を身振りで指導した。
呼気の泡がきらきらと海面にたちのぼる。
水の中から見る海面は陽射しを浴びて、まるで空のように香織の目に映った。
伊豆大島近海の海底は、多種多様色鮮やかなサンゴに満ちていた。
20世紀には見られなかった熱帯のサンゴや熱帯の魚たちが、上昇した海水温に導かれて群生している。
射しこむ陽光と水の揺らぎが相まって、地上にはない夢幻の世界がそこに広がっていた。
海中を黒い影が横切った。
香織たちに近づき、遠ざかった。
インストラクターは、”バンドウイルカ”とマグネットボードに指で書いて香織に向けた。
香織はマスクの中で小さく微笑んだ。
次に現れたのは黒い影ではなく白い影だった。
インストラクターはボードに素早く“シロイルカ”と書いた。
シロイルカはふたりのダイバーのすぐ傍まで接近した。
そして香織の目の前に来ると、顔を2回縦に振った。
シロイルカに呼応するかのように香織も2度首を縦に振った。
”初めて見たわ”
インストラクターは興奮気味に手を叩いた。
香織は驚く素振りもなく、ふうっとインストラクターと距離をとった。
後方から、バンドウイルカがまたやってきた。
香織とインストラクターの間をそのイルカが通り過ぎようとしたとき、香織は両手を伸ばし、イルカの尾びれをしっかり掴んだ。
香織の身体がイルカに持っていかれる。
イルカは香織を引っ張りながら泳いでいく。
海中に泡が立つ。
一陣の風に吹かれた木の葉のように、インストラクターの視界から香織の姿が消えた。
インストラクターは慌ててイルカが泳ぎ去った後を追った。
ナイッアダイビングショップで電話の鳴る音がした。
それは店の固定電話ではなく、ブロンド女性の携帯電話だった。
「チーフ。どうしました?」
女性が電話に出た。
待ち疲れて椅子に掛けていた真凛は、女性の電話での話し声に聞き耳を立てていたが、女性の表情がどんどん険しくなっていくことに心がざわついた。
女性が通話を終えると同時に
「何か、あったんですか?」
と、真凛が尋ねた。
「いえ、べつに・・・」
と答えた女性の顔に不安と焦りの色が滲んでいた。
「香織さんに何かあったんですか」