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スーパーソウルズ

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昭和29年に開館した江の島水族館は平成に入って新・江ノ島水族館と名称が変更された。
しかし”えのすい”という愛称は引き継がれた。
日本百景のひとつ名勝江の島のたもと、片瀬海岸に面しており、都心からのアクセスもよい。
ニシンやエイ、コバンザメが泳ぐ大水槽のほか、鯨の骨格標本や深海探査船など多種多様な展示やイベントがあり、1年を通じて多くの来場客を集めている。
中でも人気を博しているのは、イルカ&アシカショーだろう。
1000人が一度に収容できるコロシアム形式の大型専用施設は、こちらも年中無休だ。
客席にのみ屋根がある屋外型で、真冬には観客は防寒着を着ての観覧となる。
よほどの荒天でない限り、雪の舞う日でもショーは開催される。
プールと客席を隔てているものは,人の背丈の倍程の高さの湾曲したアクリルガラスである。
縁を歩くと、ガラス越しにプールの中で泳ぐイルカやアシカの姿を見ることができた。
ショーが始まる前、ウォーミングアップのようにゆったりと泳ぐイルカたちを見るのが、童門香織は好きだった。
この日も香織は、ひとりプールの縁を歩き、水中を覗いた。
香織がアクリルガラスに手を触れると、バンドウイルカのミレニが泳ぐのを止めて香織に近寄ってくる。
いつものことだった。
香織は間近に見るミレニの顔が好きだった。
ひとしきり香織と戯れると、ミレニは水の中に消えていった。
香織は会場スタジアムを振り返った。
イベントの開演時間の1時間前とあって、観覧席には数えるほどの客しかいなかった。
香織は階段をのぼってお気に入りの席についた。
中段よりやや上、右寄りの席。
そこはプールの水面がアクリル板の上端に邪魔されず全体を程よく見渡せる位置。
プールサイド奥側は、トレーナーやパフォーマーが立つスペース。
アシカ、アザラシにとってのメインステージだ。
横に長いステージ背面のすぐうしろは、サーファーたちで賑わう片瀬海岸のビーチに地続きだ。
その向こうには青々とした相模湾の海原が広がる。
少し視線を転じると左手正面に、こんもりとした小さな森のような江の島が佇む。
開演を待つ間、そんな風景をぼんやり見ている時間が、香織にとって至福であった。
「おい、キョーイチ。あそこ」
客席中段付近にぽつんとひとりで座る女性を、真凛が指さした。
最上段の通路にいる恭一は目を凝らしたが,香織の顔が黒髪に隠れてすぐに判断できなかった。
少し歩いて浅い角度に回りこみ、横顔を後方から確認した。
「童門先輩です」
「キョーイチの予想、大当たり!!」
恭一は自慢げに口角をあげた。
「やっぱ、生きうつしだわ・・・」
真凛は香織の端正な横顔にしばし見とれた。
「ひとりかなぁ」
「さぁどうでしょう」
「何て声をかけたらいい?」
「わからないっす」
「キョーイチ、お前おんなじ陸上部だろ」
「何言ってるんですか、真凛さん」
「偶然を装ってさ」
「無理です」
真凛と恭一が話をしている背後を、長身の男が通り過ぎた。
ボディローションの甘い香りが真凛の嗅覚を刺激した。
男は飲み物の入ったカップをふたつ手に持って階段をおりると、香織の隣に座った。
生成のTシャツを着た茶髪ロン毛の若い男だった。
男が飲み物を香織に手渡す。
香織は表情を変えずプールに視線を置いたまま、飲み物を受け取った。
「ほらね、真凛さん。もう帰りましょう」
「待てよ、キョーイチ」
男は香織に話しかけているが、香織がそれに答えている様子がなかった。
「ナンパされたばかりかも」
「付き合ってるふうですよ」
「だとしても日は浅い」
「どうしてなんですか、どうしてそんなに童門香織にこだわるんすか、真凛さん」
「わからない、俺にも。心がざわつくんだよ」
「あんまりいい噂聞かないですよ、童門先輩。ヤバい奴と付き合ってるとか、クスリやってるとか」
「関係ない。悪い噂話は信じない」
「でももし本当だったら」」
「本当だったら、真実を確かめる」
真凛と恭一は、観覧客に紛れて階段をおりた。
空席だった観覧席が少しずつ埋まるなか、真凛たちは香織のすぐ斜め後ろの席に陣取った。
遊びに来たカップルの振りをしながら、背後から香織と若い男の会話に耳をそばだてた。
「10万でいいんだよ。お願い」
若い男が香織に金をせびっているようだった。
「俺が紹介してやった店、居心地悪くないだろ? 店長もいい人だし・・・」
「2度目の前借りは無理」
「そこを何とか。俺から店長に話つけとくから」
「もういい・・・」
「え、貸してくれんの、10万?」
「貸さない。もう話したくない」
「なんでだよぉ、香織。アシ代が足りねえんだよ」
ショーが間もなく始まるというアナウンスが流れた。
香織と若い男は会話を中断して、ショー始まるのを沈黙して待った。
前方の席は水がかかるなどの諸注意のあと、いきなりポップな音楽とともにショーが始まった。
水面から飛びだしたイルカが1回ひねりをして着水する。
ザブーンと水しぶきが撥ね、客席前方に飛び散る。
前方席にいた客は、事前に配られたカッパが役に立たないほどずぶ濡れになる。
それを承知でショーを楽しんでいる。
ヘッドセットをした爽やかな印象の青年が3人、ウエットスーツを着てステージに登場した。
こうしてアシカ&イルカショーは始まった。
だが真凛の興味はイルカショーにはない。
アシカがお茶目なダンスをしても笑わず、イルカが豪快なジャンプを決めてもおざなりの拍手をするだけだった。
視界の隅にきっちり捉えている香織と若い男の一挙一動に心の針が振れた。
イルカが泳ぎながら胸びれを動かし、まるでバイバイしているような仕草でショーは終わる。
若い男が話の続きを始めたようだった。
「じゃあとりあえず5万。5万でいい」
「もう・・・」
「本当なんだって。沖縄の大会に行くのにかかるんだって」
「嘘ばっかり」
香織はこれ以上聞きたくないと憤慨して立ち上がった。
と同時だった。
3棟のイルカが大きく弧を描いてジャンプした。
ザブーンと水しぶきがあがる。
再び客席から拍手が沸き起こる。
舞台をおりる準備をしていた3人の若きトレーナーたちは、驚いて顔を見合わせた。
予定にないジャンプだっだ。
トレーナー3人それぞれ「オレじゃない」と首を横に振り、周囲にいる職員や客席を見廻した。
「嘘じゃないって」
「宮崎も行ってなかってでしょ」
「あれは・・・」
今度は3頭のイルカが水面に顔を出し、喉笛を転がすような発声法で鳴きだした。
トレーナーのリーダーは3頭の視線の先に、ひとりの女性がいることに気づいた。
香織は若い男を残し、席を離れた。
階段通路を一段一段のぼる。
若い男もすぐあとを追って
「ちょ、待てよ、香織」
イルカたちがけたたましく鳴き声をあげた。
追ってくる男より、イルカの鳴き声が気になった香織はくるりと振り返った。
そのとき、香織を追って階段通路に立った男の顔が急に青ざめた。
片足立ちになり両手をバタつかせて転落寸前であった。
体勢を低くした真凛が、男の脛めがけて蹴りを入れたのだ。
脛は千本の槍を受けても倒れなかった武蔵坊弁慶の泣き所といわれる個所だ。
作品名:スーパーソウルズ 作家名:椿じゅん