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オオサカタロウ
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novelistID. 20912
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Jane Doe

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二〇一九年 十月 夜 現在
  
「あーちょっと今日ね。事件が起きちゃって」
 腰を壊して以来、歩き方がジグザグになった田賀が言った。『合法ヤクザ』と命名されるきっかけになった、刑事然とした鋭い眼光も、いつもなら理奈の前では少し和らぐが、今日は違うようだった。理奈はその迫力に少し気圧されながら、田賀に棒棒鶏定食を渡した。
「ほんと、色んなメニュー作れるよなあ。いただきます」
「皆さん、今日は出ずっぱりなんでしょうか」
「そうだな。まあいったん食べに帰ってくるだろうけどね」
 理奈は、ほとんど空っぽになった事務所を見回した。いつもなら刈田が『世間話の間』で待っているが、ひっかけた上着を乱暴に掴んで出ていったのか、刈田の席は椅子が回転して、反対方向を向いたままになっていた。ラップをかけた料理を各々の机の上に置いていくと、田賀が言った。
「全部俺がつまみ食いするから、適当でいいよ」
 理奈は笑いながら料理を並べ終えて、田賀の元に戻った。書類を机の上にばさりと置いた田賀は、用意していた代金を封筒に入れて手渡し、理奈がぺこりと頭を下げるのと同時に言った。
「理奈ちゃん、おうちはちゃんと鍵をかけてる?」
「はい、玄関は確実に……」
 理奈が言うと、田賀は不正解だと言うように首を横に振った。
「玄関だけ閉めててもダメだよ。窓とかも閉めないと」
 理奈は黒縁眼鏡をずり上げると、小さくうなずいた。田賀が給湯室に調味料を取りに行っている間、理奈はそれとなく田賀の机に視線を落とした。田賀は唐辛子の瓶を持って帰ってくると、理奈の目に浮かんでいる好奇心を補うように言った。
「強盗があったんだ。夫婦が殺された」
 駐車場まで引き返しながら、理奈は腕時計を見た。今日は、ただ運んだだけだった。あまり意識したことはなかったが、時計の針から逆算すると、消防署と警察署だけで、いつも三十分近く話していることになる。理奈は、香苗にメールを送った。
『少し早めに戻ります』
  
 伊波は、傷だらけの携帯電話を手に持ったまま、しばらく黙っていた。ようやく決心がついたように、着信履歴から相手へかけ直した。折り返すまでに費やしていい時間にも、決まり事があるようだった。里川はその様子を眺めながら、思った。耕助と香苗は、伊波が取引をするのを何度も見ているはずだから、何をやり取りしていたのかは、薄々にしろ気づいていただろう。しかし、果たして伊波の言う『五千万円』は、本当なのだろうか。
「なあ、この伊波ってのは、何者なんだ?」
 まるで本人が目の前にいないように、里川は耕助に話しかけた。耕助は首を傾げた。
「さっき自分で言ってた。薬局なんだろう」
「何年も前から来てたんだよな?」
 里川が言うと、耕助はうなずいた。
「いつもあの席だよ。コーヒーを飲んで、相手が来たら飯を食いながら世間話をして、出ていく」
「相手は、あのスーツケースを持って出るのか? で、伊波の手元に金が残る」
 その言葉を待っていたように、耕助は里川の目を見た。
「いくらの取引をしているのかは、俺も知らない。五千万という保証はないぞ」
 里川は笑った。強盗仲間のような口ぶりだった。
「それなら、取引が終わってから店の中で伊波を殺せば、それで済むんじゃないのか?」
 耕助は首を横に振り、香苗が言った。
「いつも一緒に出ていくから、それは無理だわ」
 二人の様子を見ながら、里川は思った。この二人は厨房で鍋を振りながら、ずっとそのことを考えていたのではないか。里川が二人から目を逸らせたとき、伊波が顔を上げて、村瀬に手で合図をした。
「もしもし、あーごめんね。ちょっとトイレにいてさ」
 伊波は携帯電話を耳に当てていた。電話の向こうには、これから会いに来る『相手』がいるのだろう。伊波は誰にともなく作り笑いを浮かべながら、相手の言葉を聞いていた。何度か口を挟むタイミングを伺っていたようだったが諦めて、思い切ったように口を開いた。
「了解、十五分後に」
 それからもしばらく相手は話していたようだったが、伊波は適当に相槌を打って、電話を切った。
「大変な奴だよ、ほんとに。最後になんて言ったと思う?」
 村瀬は、答えが全く考え付かず、伊波の言葉を待った。伊波は呆れたように、携帯電話をポケットにしまい込んだ。
「なんで復唱したんだ。隣で誰か聞いてんのかって、言いやがった」
 村瀬は苦笑いしながら、店内をぐるりと見回した。何かが壊れたり、倒れたりしているなど、特に疑わしい様子はない。村瀬はナプキンを取ると、床に点々と散った血を拭った。包帯を少し緩めると、再度きつく締め直した。そのとき、車のタイヤが砂利を踏む音が聞こえて、伊波を除く全員が駐車場の方を向いた。シルバーのノアが駐車場に入ってきて、中途半端な位置で停まっていた。道に迷っているように、運転手はスマートフォンの画面を見ている。ルームランプでぼんやりと照らされた車内を、村瀬は見つめた。運転手の雰囲気からして、家族連れのようだった。
「早く行け……」
 里川が呟いた。伊波はそんなこと意に介さない様子で、耕助に言った。
「あんたらが厨房の外にいたらおかしいだろ。レバニラを作ってくれ」
 耕助は、その言葉に我に返ったようになり、村瀬に言った。
「悪いが、仕事に戻るよ」
 村瀬は全員の携帯電話を座席の隅に寄せると、うなずいた。香苗がテーブルの上に残った皿を片付け始め、伊波は里川に視線を向けた。
「取引が済んだら、おれの目の前で撃て。おれにも返り血が飛んでないと、リアリティがないだろ」
 村瀬は、耕助と香苗がカウンターの後ろに入るのと同時に、拳銃の位置を確認している里川に言った。
「見張ってろ。タイミングが来たら、カウンターを蹴る」
 里川が同じように厨房の側へと移り、拳銃を抜くと、外から見えないように身を低くした。村瀬は上から新しく包帯を二重に巻き、血の跡が見えなくなったことを確認した。ノアが駐車場から出ていき、ほどなくして、油を引かれたフライパンに野菜が放り込まれるときの、弾けるような音が鳴った。
      
 潰れて光らなくなった照明柱の下に車を停め、鈴野はダッシュボードをこつこつと指で叩きながら、考えていた。最終型のチェイサーはすでに十五万キロを走っていて、ダッシュボードのパネルにはひび割れがあるし、ハンドルは生乾きのまま放置されたように、べたついている。シフトレバーはぐらぐらで、一速と三速は特に分かりにくかった。しかし、『殺し』でない仕事なら、用意される道具というのは、大抵こういうものだ。馬力はあるが、使い古された車。もし、仕事を完了させるのに不安が残る場合、自腹で補う必要がある。受け渡しは、いわばアルバイトのようなもので、四十代半ばに差し掛かったベテランの鈴野は、それが本業だと考えたことはなかった。むしろ、海外に出ることの方が多い。観光客然とした用意をキャリーバッグに詰め込んで、ホテルでカクテルを飲み、現地の人間と話し、屋台を食べ歩く。鈴野がホテルをチェックアウトして帰りの飛行機に乗る頃、プールの底に沈んだ『標的』が発見される。
『国内では、顔を売らない方がいい』
作品名:Jane Doe 作家名:オオサカタロウ