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今よりも一つ上の高みへ……(第一部)

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5. 主砲・広田




「下半身の強化ねぇ、それは自分でもわかってるんだけど……」
「わかってるけど?」
「あたし、ランニングってあまり得意じゃないのよね」
 キャンプ序盤は体力トレーニングが主体、それも野手組と投手組に分かれて行い、投手組の体力トレはサブグラウンドで行われるので、雅美と松田が一緒に練習できるのは午後のブルペンだけ、だが、松田は必ず雅美の相手を務め、ピッチング練習後や宿舎で二人だけのミーティングを行うのが常だ。
「ラスト一周で競走になるといつも置いて行かれちゃう」
 実際にその様子を見てはいないし、後れを取ってもある程度は仕方がないとは思うのだが、雅美に競う気持ちが希薄なのが気になる。
 今まで話してきた中でも雅美の甘さは気になっていた、女子高校野球は正直なところあまり盛んではない、ソフトボール部はあっても女子野球部がない高校は多い、と言うより数えるほどしかないのが実情だ、その中で雅美の実力は抜きん出ていた、何とかレギュラーを取ってやろうと自分の体を苛めるような練習はしてこなかったらしい。
 女子プロ野球に進んでも状況はそう変わらない、入団当初から雅美はローテーションピッチャーだったし、二年目からはエース扱いを受けて来た、スピードならば雅美と同等のピッチャーは他にもいたが、ナックルを投げるピッチャーは他にいない、雅美の牙城を脅かすピッチャーなどいなかった。
 そんな環境ならばピッチング練習さえしっかりやっていれば文句はつけられない、ピッチング練習は好きで身を入れてやるが、ランニングや筋トレは嫌いだから皆と同じメニューをただこなすだけ、それで通って来たのだ。
 だが、男に混じってプロと言う最高の舞台で戦うには、今のままではおぼつかない、ラスト一周で競走になった時、歯を食いしばって全力で走るのと、諦めてジョギングに切り替えるのでは効果はおのずと違う。
 松田はそれを力説し、雅美も頷きながら聞いているのだが、その実あまり危機感を感じてはいないようなのだ。
 下半身の強化が必要、それは松田だけでなく小山も同じ見解だ。
 あと10キロ……ストレートで130キロ、ナックルなら100キロ、やはりそれだけのスピードは欲しい、そうでなければ雅美は男に混じって成功できない、そう考えているのだ。
 雅美はボールを担ぐ、一見キャッチャーのようなフォームで投げる、ナックルボーラーに共通した投げ方だ、もっと腕を大きく振ればスピードは増すだろうが、今のフォームは大きく弄らない方が良い、と言うのも小山と松田の一致した結論、ナックルを主体に投球を組み立てる以上、ナックルとストレートでフォームが違ってしまっては意味がない、ならばスピードを上げるためには下半身を強化する他はない。
 そのことには雅美も同意したはず、実際、今まであまり身を入れてやらなかったランニングや体力トレにも取り組んではいる、だが、やっていると言うだけで雅美は努力しているつもりになっているようなのだ。
「とにかく、もっと石にかじりつくような気持で取り組まないとだめだぜ、身に付き方が違ってくるんだから」
「うん、わかった」
 雅美はそう言うのだが、本当にわかっているのか……松田は心許ない気持ちでいる。

 翌日、トレーナーから雅美に一枚のメモが渡された、夕食後にジムで自主的に行うべきトレーニングのメニューだ。
 松田の進言を受けて、小山がトレーナーに依頼したものだ、本来なら雅美自身が依頼すべきものだが……。
 
(やらないと怒られちゃうな……)
 夕食後、雅美は重い腰を上げてジムに向かった。
 ドアを開けてみると……ジムは大盛況だった。
(こんなに大勢が?)
 雅美はちょっと気圧された、一軍定着を目指す若い選手ばかりではない、中堅、ベテランもこぞってマシン相手に汗を流しているのだ。
(みんな夜もやってたんだ……)
 少し身が引き締まる思いで空いているマシンのウエイトをメニューに記されている通りに調整する、雅美が女性であることを考慮に入れて軽めの負荷が設定されているのだ。
(え~? こんなに重いの?)
 トレーニングを始めるなり、雅美は驚いた、ウェイトを少し外してもこの重さと言うことは、それまでこのマシンを使っていた選手はこれよりもかなり重いウエイトでトレーニングしていたと言うことになる。
(これくらいはやらないといけないんだ……)
 雅美は自分の認識の甘さを感じながら黙々とマシンに向かった。

 夕食後、中々重い腰を上げられずにいたこともあり、選手たちは自分のメニューを終えて一人、また一人と部屋に戻って行き、雅美がどうにかメニューを終える頃にはジムには二人しかいなかった。
 最後まで残ったもう一人は大ベテランの広田だ。
 広田は39歳、チームでも最年長だが、不動の四番を任される主砲だ。
 雅美は神奈川の出身、神奈川の野球好きの間ではシーガルズともう一つの横浜をフランチャイズにするチームが人気を二分している、雅美はどちらか一方のファンと言うことはなかったが、シーガルズの試合はTVで良く見ていたし、父親にせがんで生観戦したこともある。
 雅美が小学三年生で野球に興味を持ち始めた頃、広田は既にプロ8年目、三番を任されるようになっていた、反応が早く、強肩を生かしたサードの守備も華麗で人気急上昇のニュースター、雅美も(かっこいいなぁ)と思って見ていた選手だ。
 その後、広田は四番を任されるようになり、押しも押されぬシーガルズの中心選手となった、五年前に膝を痛めてからはファーストにコンバートされたが、今もどっしりと四番に座っている。
 そんな選手と肩を並べてトレーニングしているのもちょっと緊張するが、それ以上に驚いたのは広田ほどの選手が最後までジムに残っていると言うことだ。
「石川雅美……だね?」
 広田の方をチラチラ見ながらトレーニングしていると、広田の方から声をかけてくれた。
「あ、はい、今年からシーガルズにお世話になってます」
「君のことは知っているよ、ドラフト会議の時は俺もびっくりしたからね、でも、その後動画とか見るとなかなか大したピッチャーじゃないか、マウンドの上で堂々としてた、ピッチャーはああじゃなくちゃいけない」
「あ……ありがとうございます」
「まあ、そう固くなるなよ、チームメイトじゃないか」
 広田はメニューを終えたのか、マシンから離れてベンチに腰掛けて汗をぬぐった。
「でも、子供の頃憧れた選手と一緒にトレーニングしているなんて、なんだか実感がわかなくて」
「ははは、子供の頃、か……俺もずいぶん長くやって来たもんだな……もうトレーニングは済んだのか?」
「はい、メニューは一通り……」
「そうか、それじゃ隣に来るか? 俺は22年目になるが、女性と一緒にトレーニングしたのは初めてだよ、若いレディと話せたら嬉しいんだがね」
「レディだなんて……」
「グラウンドを離れれば野球選手だって紳士じゃなけりゃいけない、野球好きの子供たちにも見られてるんだからな、君は特に野球少女の憧れだろうからな、グラウンドを離れたらちゃんと綺麗にしてなきゃいけないぞ」
「あ、はい、よく憶えておきます……でも、広田さんほどの選手が最後までジムに残られていたんでびっくりしました」