今よりも一つ上の高みへ……(第一部)
高校卒でプロ入りして4年目、くしくも雅美と同学年の松田隆、まだ一軍での実績はゼロだが、昨年二軍では最も出番が多かったキャッチャーで、ドラフト外入団ながら小山がずっと指導してきた。
誰を正キャッチャーとするか、それを決定するのは監督だが、小山は打撃を度外視して守備力、リード力で選ぶべきだと考えている、そして、そんな小山の眼鏡に最も適うのが松田と言うわけだ。
雅美がローテーションに入るには松田のような守備力に長けたキャッチャーが必要だ、逆に言えば、松田にとっても雅美が一軍で投げることは松田も一軍の試合に出場するチャンスになるのだ。
「松田、ちょっと受けてみてくれ」
「はい!」
松田は、自分がこうして一軍キャンプに参加できているのは小山の進言があったからと知っている、そしてかつては守備とリードでレギュラーの座をつかみ取った小山のアドバイスには真摯に耳を傾ける。
「おっと……」
雅美の一球目を松田はミットに当てて落としてしまった、手元まで変化し続けるナックルに対応しきれなかったのだ。
「どうだ? 確実に捕れるようになれそうか?」
小山にそう訊かれた……その瞬間、松田は小山の意図を理解した。
つまり、このプロ野球界初の女性ピッチャーを生かすには自分が必要と思われている。
このキャンプでの目標は一軍に定着すること、田口と武内に次ぐ三番手になることだった、だが、三番手の出番は極端に少ない、田口も武内も打力があるだけに代打を送られることはまずないのだ、だが、このナックルを生かすには自分の守備力が必要、小山はそう考えているのだと悟ったのだ。
「手元まで変化し続けるんでキャッチングが難しいですね」
「俺も半分落としちまうよ」
「ストレートはどれくらいですか?」
「120キロくらいだな、受けてみた方が実感できるだろう」
「ええ」
次のストレートはやや鈍い音を立てて松田のミットに収まった。
受けたミットをしばらくそのままに保持し、感触を自分の中に取り入れてから、松田は構えを解いて言った。
「特注のミットが欲しいですね」
「確かにな」
小山は微笑を浮かべてそう答えた。
松田は全てを理解していると確信したからだ。
翌日、松田はクッション材をほとんど抜いたミットを用意して来た、新しいミットは昨日のうちに特注したが、届くまでには一週間程度かかる、そこまで待ってはいられないのだ。
パァン。
乾いた音を立てて雅美のストレートが松田のミットに収まった。
「あんこを抜いたのか」
「ええ、ほとんど」
いくら120キロしか出ていないと言っても硬球を素手に近いほどクッションを除いたミットで捕れば骨まで響く、だが、松田はそれをやろうとしているのだ。
しばらくストレートを投げさせた後、ナックルを試す。
やはりまだこぼすことも多いが、ミットがついて行けないと言うことはない、相当に軽量化した効果だろう。
キャンプが進めば小山は他のピッチャーの相手もしなくてはならなくなる、小山は腹を決めた。
「二人とも良く聴いてくれ、石川、お前が心置きなくナックルを投げ込むにはこの松田が必要だ、ナックルがどれだけ有効でも捕れるキャッチャーが居なくちゃ出番はない、松田、知っての通り現状では一軍の三番手にほとんど出番はない、お前が一軍の試合に出るには石川が必要だ、お前たち二人は運命共同体だ、二人とも日の目を見るか、二人とも二軍でくすぶるかのどちらかしかない、俺もできるだけお前たちを見るが、かかりきりと言うわけにも行かない、二人でよく話し合ってどうしたら良いか考えてくれ、俺はいつでも相談に乗るから」
雅美と松田は力強く頷いた。
「良くキャッチャーを女房役と言うが、お前たちの場合は男女が反対だな、でも今の時代、そんなバッテリーがあってもいいだろう」
小山はそう言って笑い、松田の尻をポンと叩き、雅美の尻を……叩くのを止めて肩をポンと叩いた。
作品名:今よりも一つ上の高みへ……(第一部) 作家名:ST