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ジャスティスへのレクイエム(第3部)

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 少し無神経な言い方なのかも知れないが、ここまで難民の話題に対してそれぞれの国家が不満を漏らす形で進行していることもあってか、話の内容も濃い話でもあるので、話をしている本人はナーバスにもなっているにも関わらず、話に対して感覚がマヒしてきているという矛盾を抱えているようだ。
「宗教といえば、同じ宗教でもそれぞれに派閥があって、私の国のまわりには、同じ宗教であっても宗派の違いから絶えず対立している国もあります。宗教がネックになって戦争ではいつも劣勢に立たされている国があるかと思うと、いつも優位に立っている国もあるわけなんですが、争いになっても、結果的にどちらが勝つというわけにはならないんです。いつも一進一退の戦争が続いていて、いつの間にか休戦協定が結ばれるということが多いんです。でも休戦協定なので、戦争が終わったわけではない。またいつの間にか戦争になっていて、あのあたりはよく分からない状況になっています」
 というと、
「宗教が絡めばそういうこともあるんでしょうね。しかも、戦争で決着がつかないことを、神様が望んでいるという考えもあるくらいで、本当はわざと決着をつけないようにしているんじゃないかと言われることもあります」
「そんなことってあるんですか? お互いに決着をつけないということはただ消耗戦を繰り返しているだけで、何もメリットがないようにしか思えないんですが」
 というと、
「それは表から見ているだけだからそう思うんです。戦争状態を継続させることが彼らにとって大切だということは、実際に中に入ってみないと分かりません」
「あなたには分かるんですか?」
「いいえ、私にも分かりません。私たちは先祖代々、宗教を司ってきましたが、先祖から受け継がれることはほとんどないんですよ。つまりは確定したことだけしか受け継ぐことはできませんから、それだけ確定したことがないということになるんでしょうね」
「宗教団体がその国を滅ぼすということもありますからね。武器を持たない兵隊という発想もあるくらいで、宗教団体の信者は、まるでゲリラのようだと言われていたりもするんですよ。そのつもりで宗教団体の人と接しないと、特に国家に従事する人には国家の命取りとなることになるので、慎重な対応が必要になってきます」
「ところで宗教団体の難民というのはどんなものなんですか?」
「普通の難民とは少し違います。彼らには難民になってまでも布教という意識が強くあります。つまり、どこかの国に受け入れを頼みに行く時、布教活動も一緒に行うというのが彼らの考え方なんですよ」
「それはかつて植民地時代の元祖になったやり方だね。まずは植民地になりそうな国を物色して、その国に布教活動と称して入り込み、さらにその国の国王なりに貿易で利益を得ることを教えて、甘い汁を吸わせた後で、自国の宗教団体との間に騒乱を巻き起こし、混乱に乗じて相手国に軍事介入し、そのまま植民地にしてしまうというやり方ですね」
「そうです。そのやり方でどれだけの国と地域が植民地とされたか。WPCでもそんな時代を繰り返さないようにしようとしているんですよ」
「植民地競争に比例して、母国大陸でも自国の領土や権益を守らなければいけないということで、それぞれの同じ体制や事情の国と軍事同盟を結ぶことで、自国の権益や体制を守ろうとする状況が続き、そこに民族運動が関係したことで、先の世界大戦に発展したんだったですよね」
 と、まるで歴史の教科書に載っているようなことを話した議員がいた。
 しかし、この言葉は、
「それ以上でもなく、それ以下でもない事実」
 と受け取っていいだろう。
 どんなに言葉を変えて言ったとしても、最後にはここに辿り着いてくる。それぞれの体制にそれぞれの言い分はあるのだろうから、言い訳はいくらでもできるだろう。しかし最終的に戻ってくる結論が決まっているのだから、
「歴史というものは、原因があって結果の間に存在するものの継続だ」
 と言われているのかも知れない。
 歴史は一本の線で描くことができる。直線でなくとも、線は一本だ。しかし、それは歴史上の事実という意味であって、可能性という意味では、無限に広がっている。それを科学者用語では、
「パラレルワールド」
 というのだろう。
「歴史に、『もしも』などない」
 とよく言われるが、まさしくその通り。しかし、この言葉が正当だとすれば、パラレルワールドは永遠に否定されることになる。
 あまり話題には上らないが、意外と誰もが知っているこの言葉、暗黙の了解でタブーとされているのかも知れないが、それだけに話題に上ると無限の可能性を秘めているだけに、いつ終わるとも分からない議論が展開される。きりがないと言ってもいいだろう。
 WPCの国際会議には歴史学者も同席している。何名かいるのだが、彼らが発言することはない。別に発言を止められているわけではないが、こちらも暗黙の了解で、誰も発言する人はいなかった。
 しかし最近参加するようになった歴史学者の中には発言する人もいた。
 最初は議員も驚いて、彼の発言を不思議そうに見ていたのだが、そのうちに億劫になってきたのか、彼が発言すると、すぐに別の話題に変えられることがほとんどだった。
 歴史学者の発言は、どうしても学者としての発言と思われてしまうと、頭でっかちの人間の発言として煙たがられる。そのことは最初から分かっていたことで、発言する方も覚悟の上だったと思う。だから、学者が発言することはなかったのだが、一度誰かが発言すると、他にも発言したい人がいるのが、雰囲気として分かってくる。
「皆さんは、どうしても過去の世界大戦と比較して今の世情を考えたいのだと思いますが、もうすでに数十年も経過していて、時代は完全に変わっています。いまさらかつての大戦を思い出し、重ねて見るのは少し違っているのではないかと思います」
 と、歴史学者の一人は言った。
 すると、今度は別の歴史学者が、
「そうでしょうか? 歴史というのは、過去があって現在がある。そしてその先に未来があるのだとすれば、未来は過去を投影していることになる。それが歴史学者としての姿勢ではないのでしょうか?」
 と言った。
 彼の発想は、歴史学者の権威と言われる世界的にも有名な博士の言葉だった。彼はその博士のことを尊敬していて、この言葉を聞いてから、彼は歴史学者を目指したのだった。
「世界は絶えず流動しているんですよ。だから、時代に乗り遅れてはいけない」
 と反論すると、
「いや、歴史は繰り返すと言います。過去の研究を教訓としなければ、未来を見ることなんかできないんですよ。だから、この場でのかつての世界大戦を意識しているのは至極当然のことで、それを否定することはできないんじゃないですか?」
 と言い始めると、さすがに議員連中も黙っているわけにはいかなくなった。
 会場はざわつき始め、
「まあまあ、ここは学説を唱えるところではないので、少し自重していただきたい」
 と、議長が会場をなだめるように言った。
 会場は、しばし騒然としたが、それ以上の意見が出ることもなく、結局結論を導き出すことはできなかった。
「いつものことじゃないか」