ノーサイド
「よう」
「うん、今日は紺野君が先だったね」
「二限目が休講でさ……何にする?」
「パスタランチがいいかな……紺野君は特盛のランチ?」
「ああ……ところでさ」
「何?」
「俺、ラグビー部の寮に入ることにしたよ、親の了解も取れてる」
「そうなんだ、本格的に身を入れるつもりになったのね?」
「ああ、サポートよろしくな、マネージャーさん」
「任せて」
「早紀のおかげだよ」
「何が?」
「俺、大学ラグビーは最初から無理だって諦めてた、でも早紀に引っ張られるみたいにラグビー部を見学した時自分の胸に聞いてみたんだ、挑戦もしないで諦めて良いのかよってね、やってみてどうしても無理だとわかったらその時に考え直せばいいことで、最初から諦めたら悔いは残らないのかよ、ってね、いつかレギュラーになれるかどうかなんてわからないけど賭けてみる価値はある、やってみてわかったんだ」
「あたしはただ……高校でマネージャーになって3年間充実してたから大学でもやろうって思っただけ……でも紺野君がやる気になってくれたのは素直に嬉しい」
「わかんないよ、1年か2年でやめちゃうかもしれないし、最後までやってもレギュラーになれないかも知れないしな」
「でも、大学時代に悔いは残さない、それは決めたんでしょ?」
「ああ」
「じゃあ、それで良いじゃない」
「そうだな……ほら、食券」
「ありがと、席、一杯だね」
「テラスは空いてるじゃん、天気も良いんだ、テラスで食おうぜ」
充実した毎日を過ごしている悟の顔は輝いて見える、この先どうなるかわからないけけれど、この顔を見れただけで幸せ……早紀はそう思った。
それから2年。
悟はポジション争いに勝利して3年生で背番号10のジャージを貰った。
全てが順調……そう思った時に不運は襲ってくるものだ。
秋のリーグ戦の最中、首位をひた走る明央は最下位のチームとの対戦。
実力差は明らかで大量リードの終盤だった。
パスを受けた悟は正面の敵をかわそうとフェイントを入れた、左にカットすると見せかけて右に……だがそのフェイントは予測されていた、イチかバチかのタックルが悟の左脚に横から入り、膝が不気味な音を立てた。
膝を抱えたまま起き上がれない悟に真っ先に駆け寄ったのは早紀だった。
「大丈夫?」
「あんまり大丈夫じゃないみたいだ、今日はもう無理みたいだな」
「担架呼ぶわ」
「大げさだよ、それより肩貸してくれねぇ? それで大丈夫だ」
「でも……」
「大丈夫だって」
早紀の肩を借りて医務室に、そして医師の判断で悟は病院に搬送された。
『半月板損傷並びに靱帯損傷で術後4~6か月のリハビリを要する』
それが悟の膝の診断結果だった。
「思ったより大ごとになっちゃったな、『今日は』どころじゃなくて『今年は』無理だったんだな」
直ちに手術を受け病院のベッドで過ごす悟は浮かない顔だ。
「でも、来年があるよ」
早紀は努めて明るく言ったが、語られずとも悟の胸の内はわかる。
大学でラグビーをやる、一言でそう言うが、それは生活のほとんどすべてをラグビーに捧げると言うことなのだ、ラグビーが上手くなるためにグラウンドで汗を流し、強靭な体を手に入れるためにジムでトレーニングに励み、体重を付けるために無理にでも飯を詰め込み、世の大学生が浮かれて遊んでいる間も節制に務める、元々体が大きくはない悟だ、身体づくりにも励んで来た、それが4~6か月もまともに運動できないのではせっかく作り上げて来た体がなまって萎んでしまう。
それに悟が出場できないとなれば同学年のライバル、前田が10番を付けて試合に出ることになる、悟のパフォーマンスが元に戻らなければ復帰した時にポジションを取り戻せるどうかもわからない。
それでも焦りは禁物、歩けるように、日常生活に支障がない程度に回復すれば良いのではない、ラグビーができるまで回復しなければならないのだ。
医師の作成したメニューを逸脱すれば膝を悪化させてしまい、リハビリが長引く可能性もある、焦る気持ちを抑えて地道に回復を待たなければならないのだ。
「なあ、俺、治るのかなぁ」
「当たり前じゃない、手術は上手く行ったんだし、少しづつだけどリハビリメニューも増えてるでしょ?」
「治るって、そう言うことじゃなくて、元通りにラグビー出来なきゃ治った内に入らないよ、こうしているうちにも前田は試合に出て上手くなってるんだぜ」
「それはそうかもしれないけど……」
「あ~あ、明日になったらすっかり治ってねぇかな、一日でも早くグラウンドに戻りたいよ」
人一倍努力家の悟の事、勝手に無理をしてしまわないとも限らない。
早紀は毎日のように病院を訪れて悟を抑え、励ました。
翌春、悟はようやくグラウンドに戻った。
しかし皆が基礎トレーニングに励んだ冬を悶々と過ごさなければならなかった悟は別メニューの練習、悟の定位置だったスタンドオフのポジションでは前田が躍動していた。
元々体格とパワー、そしてキックの飛距離では前田に分がある、前田は自力でタックルを跳ね返してぐいぐいと前進して行く、そしてそれに引っ張られるようにバックス陣も前へ、前へとボールを運んで行く。
そして練習試合でも前田はぐいぐいとチームを引っ張って、チームは好調を維持している。
悟がスタンドオフを務めていた頃、スクラムやラック、モールから出たボールは素早くバックス陣に回した、あるいはキックを選択してボールを前に進めた。
だが、前田は自分で走ることが多い、捕まっても容易には倒れないのでモールが形成されでボールは前へと進んで行く。
悟がスタンドオフを務めていた時、チームはパワーとスピードのバランスが取れていた、だが前田に代わると明らかにパワー寄りのチームになっていた、それで結果が出ているのだからどちらが良いとか悪いとかではない、そういう戦い方になっているのだ。
悟は一層不安を募らせた、自分が休んでいる間にチームは変わった、このチームに自分の居場所はあるのか……と。
「あれ? 早紀?」
「やっぱりね」
「やっぱりって何だよ」
「キックの練習しに来たんでしょ?」
「まあな」
「手伝ってあげる」
「何をだよ」
「ボール拾い、高校の時からやってるじゃない、集めておけば効率的でしょ?」
「ああ、そうだな……でもいいのか? もう夜だぜ、俺は寮住まいだから良いけど、早紀は自宅だろ?」
「大丈夫、近くのアパートに住んでる友達に泊めてもらう約束してるから」
「そうなんだ……じゃあ頼もうかな」
キックの練習を始めた悟だが、踏み込む左脚の膝に力が入りにくいのでどうしても軌道が定まらない。
「くそう……」
「もっと近くから始めたら?」
「あまり簡単じゃ意味ないよ」
「だって左ひざに力が入らないんでしょ?」
「あ……ああ……」
「キックもリハビリからだよ」
「もどかしいけど……そうだな」
そうやって悟は徐々に飛距離を伸ばして行った。
秋のリーグ戦を目にしたミーティングで……。
「スタンドオフ、10番、紺野」
監督が司令塔に指名したのは前田ではなく悟だった。