短編集58(過去作品)
大抵の客は花の種類も分からないくせに花に例えている。普通であれば社交辞令なのだろうが、美弥子の場合は違っている。おだてられてまんざらでもない美弥子のリアクションを男性たちは楽しんでいたのだろう。
そこが天然キャラと自分でも感じるところだった。だが、それで男性客が癒しだと思ってくれるのであれば嬉しい限りである。
花屋に勤めようとは以前から思っていたことだった。風俗をしていて男性を見ていると、表はキチッとしたサラリーマンで、花があるように見えるが、実際は上司の命令を絶対として聞いたり、上司になれば、命令したことの責任を負わなければならない実にストレスの溜まる仕事をしているに違いない。
いろいろな客がいたが、ある日から時々立ち寄るようになった男性に、美弥子は惹かれていった。まるで風俗にいた頃の自分を思い出させる男性だったからである。
――風俗にいたのを知られたくないくせに、不思議な感覚だわ――
花屋でアルバイトをしている美弥子に、いきなり求婚してくる男性もいた。今までにはなかったことだが。美弥子も考えてみれば、そろそろ結婚適齢期ともいえる。
だが、この時期を逃せば、今度結婚を望むとすれば遥か先になるのではないかと思った。まるで自分の人生が千里眼のように見えてきたのだ。
しかし、美弥子は、いきなり求婚を迫ってくる男性に対して興味はなかった。自分では治ったつもりではいたが、男性恐怖症が残っている。いきなり求婚してくるような男性は、きっと自己顕示欲が強く、支配欲もあるに違いない。男性に服従しての生活は、過去の仕事で十分だった。過去の仕事が嫌ではないが、今さら思い出したくはなかった。
――何のために誰も知らない街にやってきたんだ――
と思わないでもないからである。
一週間に一度、花を買っていく男性客がいた。彼はてっきり結婚していて、奥さんのために買っていくのだろうと思っていたが、そうではなかった。実際に花が好きなのも事実だが、
「買う時に見るあなたの笑顔に会いたくて」
毎週会っているのに、数ヶ月目にやっとその言葉が聞けた。
美弥子にとって、どんなプロポーズよりも素敵に聞こえた。店で話すようになり、そのうちに食事に誘われた。デートを数回重ねるようになって、最後は結婚にまで至ったのだ。
その期間、一年を要したが、美弥子にとって一年という期間が自分の人生に大きな転機の訪れを示していることに気付き始めていた。
彼は一人暮らしで、美弥子は最初彼の部屋に引っ越していったが、さらに一年して、少し広いマンションに引っ越した。
「会社の同僚を連れてこようと思うんだが」
せっかく広い部屋に引っ越してきたのだから、お客さんが来ることは別に構わない。たまには夫の顔を立てるのも悪いことではないと思った。美弥子自身、それほど、今の性格に満足していたのだ。
果たして夫が連れてきた客を見て、美弥子は愕然となってしまった。何と、以前の仕事で最後に切りつけてきた変な男にそっくりだったからだ。まったくの別人なのだろうが、美弥子にとって、愕然となってしまってからの自分をすっかり失くしてしまっていた。気がつけば寝室で寝かされていて、家事を夫がしてくれている。
「どうしたのかしら、私」
起き上がってくる美弥子を夫は制しながら、
「何か呟くように倒れたんだが、心配ないようだね。どうやら疲れが溜まっているんじゃないかと思ったよ」
――よかった。彼には何も知られていない――
と安堵の溜息を吐いたのを、夫は知らないだろう。
しばらくして、夫は警察に事情聴取された。どうやら、殺人があり、その参考人ということだったが、すぐに釈放された。
殺されたのは、実は美弥子をナイフで切りつけた男だった。美弥子とその男の関係はまったく表に出ていないが。夫とその男の関係は、どうやら同僚ということであった。
夫が以前連れてきた同僚。彼は実は同僚でも何でもない。彼が探してきた同僚に似た男だった。
殺された男は何かの原因で、同僚の妻が以前自分が切りつけたことのある女であることを知った。
男は以前彼女に切りつけたことで、逮捕され、精神的にもかなり屈折してしまっていた。すべてを美弥子のせいにして、自分を正当化させようとしていたのだ。
美弥子の夫、つまり自分の同僚を脅迫していた。夫は美弥子に否がないこと、さらには、同僚が男の風上にも置けないどころか、人間的に最低で、生きる価値もないやつであると信じて疑わなかった。
密かに彼の殺害を計画する。
まず、やつに似た男を美弥子に確認させ、事実関係をしっかりとさせる。そして、美弥子には悪いが気が動転しているのを幸いに、事実を聞き取る。そして、同僚が美弥子との関係を示すものが何もないことを確認した上で、同僚を殺した。
美弥子に知られたとしても、彼女はそう感じるだろう。
だが、事実は違っていた。
美弥子に切りかかった男性が死んだのはずっと前だった。美弥子と結婚する前、つまり、一年以上も前である。夫は美弥子と同僚の関係を密かに知った。そして自分が殺した男がいまだに美弥子のことを知っているような話をしていたことで、自分の殺害が彼女によって知られたのではないかという危惧があった。夫にとっては、最初偽装結婚のつもりだったのだ。
だが、結婚してしまうと、それまでになかなか感じることのなかった安息の世界が感じられた。失いたくないために、彼女へのショック療法が必要だったのだ。
犯罪自体は完全犯罪に近いもの。だが、犯罪の露見しても、美弥子に対しては事実を知られたくない。そのためのお芝居だったのだ。
――誰にも知られたくない過去を背負っているのは私だけ――
という美弥子の強い気持ちが、余計に夫の計画を強固なものにしていることに気付くことはないだろう。世の中とは、そして、男女関係とは、実に皮肉なものである……。
( 完 )
作品名:短編集58(過去作品) 作家名:森本晃次