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短編集58(過去作品)

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 毎日が充実して感じられる。
 小学生の頃から、毎日がただ流れていたように感じていた。友達を意識しているのは、そんな平凡な生活にアクセントを与えるわけではなかった。相手も毎日同じ行動をしているのであって、もし、彼が毎日を違った行動していれば、追い続けることなどなかったに違いない。
 今だから言えることなのかも知れないが、人を追い続けるのは、高校になってから性格が変わることを予期していて、そのための予行演習のようなものではなかったかというのは言いすぎであろうか。少なくとも結果として現れたことだけを判断すると、そう解釈せざるおえないだろう。
 高校に入った時に、最初から自分と意見の合わないような人を遠ざけることになるのは予想していたことだった。目立たないようにしているのは、決して人を遠ざけているわけではない。自分から人に近寄ろうとしているわけではなく、もし人が近寄ってきたとしても、受け入れることはできたのではないかと思う。ただ、目立たない人間に寄ってくる人はいなかった。それを思うと、
――意外とまわりが意識していたのかも知れない――
 と思ってしまう。
 目立たないようにしていることが却って目立ってしまっていることに気付いたのは高校に入ってからだ。クラスに同じように自分の気配を消している人がいるが、彼を見ていて気付いた。そんな彼を一番受け入れられないと思っているのは、実は井上で、実に皮肉なことではないだろうか。
 だが、それは井上だけに限ったことではない。
 それまでと性格や生活が一変してしまった人が、もしそれまでと同じような性格の人を見ればどう感じるだろう。そのことを井上は考えていた。
 賑やかだった人が、急に物静かになることもある。
「出る杭は打たれる」
 という言葉もあるが、目立ちすぎるというのは、得てしてまわりからの反感を買ってしまうこともあるようだ。特に目立ちたいという人間ほどまわりの視線に敏感であるもので、まわりの人から疎ましいと思われていることに気付けば、そのショックは計り知れないだろう。
 しかし、なかなか自分のことに気付かないのが人間で、気にしている間は分からないかも知れない。精神的に猪突猛進になっていて、それが幸か不幸か自分を疎ましいと思うことを気付かせないだろう。しかし、気持ちに少しでもアイドリングのような遊びの部分ができれば、そこに容赦なく入り込んでくるに違いない。
 これは気持ちの余裕とは違うものだ。余裕であるなら、自分の考えが飛躍するスペースを持てるのだが、アイドリング状態であれば、いつ始動するか分からない。そこには考えを飛躍させるスペースは存在しないのだ。
 井上にはアイドリングの状態が続いていた。ある時に、そのことに気付いてから、少しずつ気持ちの中に余裕が芽生えてきた気がするが、まわりが見えてくると、今度は自分の考えが合う人と、合わない人とで見え方がまったく違っていることが分かってくる。
――しっかり見極めないと、大変なことになるぞ――
 これが性格の合わない人を遠ざけるようになった理由の一つであった。
 井上は時々、急にゾクゾクした視線を感じていることに気付いた。
 その視線の元がどこなのか、よく分からない。ひどい時には。まわりに誰もいないのに、痛くなるほどの視線が浴びせられる。寒気は悪寒を感じたのはその時で、それから誰であっても、人の視線を浴びると寒気がするようになった。
 トラウマと呼ばれるものである。最初はそれほどでもないのに、二度、三度と続くと意識しないではおれなくなる。
 ひどくなると、視線を浴びていない時でも、あるシチュエーションになると、勝手に身体に悪寒が走るのである。
 学校が終わるのは四時頃であった。部活をしているわけではない井上は、毎日同じように学校を後にする。家から学校までは近い方ではない。バスを使って通学しているが、バス停を降りてからも、少し歩くことになる。
 バス停を降りる時間というと夏の時期はちょうど夕暮れの時間である。西日を背にして歩き始めるのだが、まわりには結構木が生え揃っているところでもあった。
 西日に当たった影が伸びているのを見ていると、立体感溢れる光景に、いつもよりも森が大きく、そして深く感じられる。一本一本の木でもそうなのだが、森全体が浮かび上がって見えてくるのだ。
 最初は森を見つめながら歩いていたが、そのうちに自分の足元を見つめて歩くようになる。
 足元から伸びる影は果てしなく長く、
――こんなに長いものなのだ――
 と感じると、まるで別人ではないかという錯覚が襲ってくる。まるで電柱のように長く、誰だったか覚えていないが、一度学校から行った美術鑑賞で印象に残っているスペインの有名な画家が描く影に似ている。
――幻想的だな――
 というイメージが頭の中に残ったのを覚えているが、それがまさか自分の影として、こんな身近で感じられるように思えるとは思えなかった。
 そういえば絵を見ながら、
――どこかで見たような光景だ――
 と思った。間違いなく見たことのない光景だったはずなのに、そんな風に感じたのは、いずれ毎日感じるようになる自分の影を潜在意識の中で分かっていたかのような不思議な感覚に襲われた。
 その影を見つめていると、次第に、
――これって本当に自分なんだろうか――
 と思うようになっていた。
 事実としては、自分以外の何者でもないはずなのに、そんなことを感じていると、影から見つめられている気がして仕方がなくなった。
――どこかで味わった気持ち悪さ――
 トラウマとして残っている悪寒だと感じるまでにしばらく掛かった。それほど前に感じた感覚でもないくせに、なかなか思い出せなかったのは、きっと意識の中に、
――思い出したくない――
 という思いが潜在していたからに違いない。
「時々言い知れぬ恐怖に襲われることがあるんだ」
 友達が話していた。
「どういうことだい?」
「夜道を歩いていて、誰かがいつもうしろから追いかけてくるように思えてならないんだ。振り返ると確かに影のようなものを感じるんだけど、誰だか分からない」
 その気持ちはよく分かった。同じような思いをした人間でない限り、それは分からないだろう。
 井上は友達の話を聞いていて、最初こそ追いかけられる者の気持ち悪さを感じていたのだが、途中から逆の立場で見るようになった。
 普段では考えられないことだ。
 元々井上は器用な方ではない。芸術的なことも小学生の頃に早々と諦めてしまった。絵を描くにしても、音楽をするにしても、器用でないとできないと思ったからだ。特に音楽に対しては、
「僕には無理だ」
 と感じさせたのは、楽譜を見る力とかではなく、不器用さを意識していたからだ。
 楽器の花といえば、ギターやピアノであろう。そのどちらも井上にはこなすことができない。それは、左右の手で別々の動きをすることができないからだ。
 それが不器用だということに直結するかどうかは分からないが、少なくとも芸術的な器用さでないことは確かである。リズムに乗ることができず、それぞれの動きを制御できないのだ。
作品名:短編集58(過去作品) 作家名:森本晃次