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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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 操舵室の扉をそっと開ける。薄暗い室内に人影はない。
 視界の隅で何かが動いた。同時に何かが転がる音。
 あの子だ――
 暖野は咄嗟に思った。
「待って!」
 室内の空気が張り詰める。暖野は音のした方に語りかけた。「さっきはごめんなさい。もうあなたの物を勝手に使ったりしないから」
 黙したまま右手でマルカを制し、暖野はそちらへと一歩踏み出した。
「約束する。だから、出て来て」
 いつしか室内に満ちた緊張感は薄れていた。
 ゆっくりと、また一歩を進める。
「お話がしたいだけなの」
 部屋の反対側が見える場所まで来る。だが、そこには誰もいなかった。
 暖野は体中の力が抜けるのを憶えた。
「ノンノ?」
 マルカがその位置のまま問うてくる。
 暖野は首を振った。
「いない……」
「こちらには来ませんでしたよ」
「ええ」
 操舵室のドアは右舷側と左舷側に一つずつある。そのどちらも二人が入って来た時以外に開け閉めされてはいない。
「私、そんなに怖がられてるのかな?」
「小さな子供からすれば、私達はとても大きく見えるでしょうからね」
 確かに暖野も小学1、2年生くらいの時には、高校生はとてつもなく大きく見えた。両親も大きかったが、知らない大人に対する恐怖心はあったと思う。
「出て来てくれるまで、気長に待つしかないのね」
「そうですね。さっきノンノも言っていたように、無理に引き出そうとするのは逆効果でしょうね」
 暖野はしばし考えた。そして、あるアイデアを思いついた。
 置きっ放しになっている荷物の所まで引き返す。それらはどれも荒らされた形跡はなかった。
 決して悪い子ではないようだ。心の底から怒っているのなら、中身をぶちまけられるか、最悪の場合は湖に投げ捨てられていてもおかしくない。
 暖野は学生鞄を開けて、内側のポケットを探る。
 すっかり忘れていたが、現実世界にいた時に買った飴がまだ残っているはずだった。
 ミント飴だった。これはどうかと、少し考える。子どもには喜ばれそうにないな、と暖野は思う。
「はい、マルカ」
 暖野はその一つをマルカに渡す。自分でも一粒口に入れる。
 ミント味の割には刺激は少ないと感じる。
「おいしい?」
 マルカに感想を聞いてみる。
「おいしいですね」
「辛くない?」
「少しだけ舌がピリピリします」
 暖野も子供の頃はミント飴はあまり好きではなかった。フルーツ味にしておけばよかったと思っても、こんな状況を予見することは誰にもできない。
 しかし、今出来そうなことは、これくらいしか思いつかない。
 操舵室に戻ると、紙にひらがなでこう書いた。

――さっきはほんとうに、ごめんね。
 ちょっとからいかもしれないけど、
 これあげるから、ゆるしてくれる?
 きらいなら、すてちゃっていいからね――

 船長席らしい机にメモを置き、その上に青い包装氏の飴を三つ載せた。
「なるほど」
 マルカが言う。「それは子どもには効果的な方法ですね」
「あのね。べつにお菓子で釣ろうってわけじゃないのよ」
「そうなんですか?」
「当たり前じゃない。お詫びとお礼、それだけ」
 味方とは言えないまでも、少なくとも敵ではないことを知ってもらう必要があった。打算的な行動をとったところで、簡単に見破られてしまうだろうと暖野は思った。
 今もどこか物陰から様子を窺っているかも知れないが、敢えて捜そうとはしなかった。
「行きましょ? さっき、船の中を見て回ったんでしょ?」
 暖野はドアに向かった。「どこか落ち着く所は見つかった?」
「はい。いい部屋がありましたよ」
 二人は一階ホールに戻ると、荷物を持った。
 受付横の階段を昇り、二階へ戻る。今度は上へは行かず、そのまま通路を前方へ進む。
 マルカは船首側突き当りの船室へ暖野を案内した。部屋は広く、一見して一等船室だろうと分かった。展望は前面と左側に開けている。
「では、私はいつものように隣の部屋にいます」
 マルカがドアを閉める。
 この一角は上等級エリアらしい。ここへ来るまでの廊下の雰囲気も他の所とは違っていた。
 マルカの部屋は舷側側になり、これまでとは位置は逆になる。
 室内には浴室、大きなベッドが二つ。背の低い仕切りで区切られた左側にはソファとテーブル。これは一等ではなくスイートだ。ベッドがあるということは、この船が長距離を結ぶものだということを物語っている。海とは違い波もほとんどないだろうから、船酔いの心配は少なそうだ。
 前部の窓からは、船の向かう水面が見える。水平線がわずかに上下しているのが分かった。
 暖野は荷物を置くと、ソファに身を沈めた。
 ソファの布地を通して、それとは気づかない程度の振動が伝わってくる。昨夜は良く寝たはずなのに、眠気が緩やかに訪れる。穏やかな揺れも手伝って、暖野は次第に眠りへと誘われていった。