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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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6. 蒼の共奏


 眼下を光の列が通り過ぎる。
 来るもの去って行くもの、何本の電車を眺めただろう。
 少し先には駅がある。既に夜も近くなり、明るいホームに溢れる人々が個性を失った影のように見えている。
 全てが自分から切り離された遠い世界。
 人も、電車も、明かりも。
 それは、私には手の届かないただの映像でしかない。
 もう何も感じられない。
 ただ私の周りで繰り広げられる幻。
 だから、このまま……
 私は、最初からいなかった。
 いてはいけなかった……
 急行電車が駅を通過して向かってくる。
 手すりを握り締める。
 灯火が近づく。
 目を閉じ、両足に力を込めた。
 だが、出来なかった。
 腕から力が抜けてしまう。
 これまで、何度も何度も繰り返して来た。
 楽になりたい――
 もう、許して……
 手すりに手を掛けたまま蹲る。
 陸橋の下を電車が轟音を立てて走り去る。
 スカートのポケットから一通の手紙が滑り落ちる。
「あの、もしもし?」
 肩を叩かれる。「これ、落ちましたよ」
 サラリーマン風の男性だった。
 私は彼が差し出すものを見て、急いでそれを奪い取る。
「大丈夫ですか?」
 身を屈めて訊いてくる。
 私はその男を強く睨みつけた。
 放っておいてよ――今さら、優しい振りなんかしないで!
 全力で走る。
 どうせあの男も、私のことなんて心配してやしない――
 みんなみんな、善人の面を被った化け物でしかない――
 線路沿いの公園まで来て、ようやく走るのをやめた。
 誰も追って来てはいない。
 暮れてしまった公園に、人の姿はなかった。
 道路を挟んだ向こう側を、電車が通り過ぎる。
 無理だった。
 結局出来なかった。
 このまま生きてたって、いいことなんて何もないのに。
 誰も、助けてはくれない。
 みんな笑って見てるか、見て見ぬ振りをするだけ。
 私がどんなに辛くとも、どんなに泣いて助けを求めても、誰も目もくれないどころか笑い蔑むだけ。
 神様でさえ、こんな私を見て楽しんでるんだ。
 私は……ただの玩具なのよ……
 お母さんには申し訳ないと思う。
 でも、もう本当に限界……
 市役所に他校への転校願を出した。でも、そこで言われたことは忘れられない。
「学校を変わっても、君に原因があるなら状況は変わらないですよ」
 職員は、まるで私が悪いと言わんばかりだった。
 お母さんは抗議してくれたけど、取り合ってもらえなかった。
 もう学校へ行かなくていいと言ってくれたけど、それじゃ駄目なのよ。だって……
 神様なんて嘘。そんなの、絶対にいない!
 乾き切った目が痛む。
 もう嫌! お願いだから楽にさせて!
 助けてくれないなら、最後のお願いだけでも聞いて!
 お願い!
 跪き、固い地面に爪を立てる。
 苦しい――
 涙が溢れてくる。
 もう枯れてしまったと思っていたのに。
 不意に下腹部に痛みが走る。
 これは……
 そのまま横ざまに倒れ込む。
 自分を中心に闇の色が広がってゆくのが、ぼんやりと見える。

 私……これで……

 やっと、楽になれる……


 暖野は跳ね起きた。
「何、今の!?」
 無意識に下腹部を抑えている。
 痛みはない。だが、その感覚は残っている。
 船の中だ。いつの間にか窓が一か所だけ開いており、そこから風が吹き込んでいる。白いカーテンが風にあおられて舞っている。
 また夢を見たのだ。それも、これまでで最悪のものを。
 暖野は身を震わせた。
 足元を確かめるようにゆっくりと立ち上がり、窓を閉める。風を失ったカーテンが覆いかぶさって来た。
 大きく息をつく。
 久しく見ていなかった悪夢。なぜ今ここで再び見ることになったのか。
 あの最後の瞬間、笑っていたように思う。あの状況で、あの苦しみの中で、どうして笑えることができたのか。
 そうよね、あんなことがあったのなら。しかもそれがずっと続くくらいなら――
「あんなこと?」
 まだ曖昧な思考を凝らしてみる。
 嫌――
 心が拒否する。
 思い出したくもない夢の内容。その心の裡に抱えた爛れた記憶は、それに触れようとするだけで生きたまま焼かれるかのような戦慄を喚起した。
 思い出せない。そして、決して思い出したくはない何か。
 暖野は少し強めに頭を振った。
 少々豪華に過ぎる室内は、気分を重くさせた。
 忘れよう、と暖野は思った。
 ドアを開けると、廊下の先で小さな影が動く。
 やはり、こちらの様子を窺っているのだろう。恐れてはいても、初めて見る知らない二人連れには興味があるということか。
 それを追うことはせず、普通の足取りで暖野は操舵室へ向かう。
 机の上に飴は無かった。その代わりに、丸められた紙があった。
 それを開こうとすると、中からビー玉が転がり落ちた。
 紙は、暖野がしたためたメモだった。
 暖野はビー玉を拾い上げた。小さな笑みが漏れる。
 これは、あの子なりのお礼なのだと、暖野は思った。
「こっちこそ、ありがとう」
 暖野はどこかにいるであろう男の子に礼を言った。
 上部甲板は吹き晒しな分、風が強い。煙突からは絶えず黒煙が吹き上げ、背後に流されてゆく。
 陸地は遠く、青く霞んでしまっている。眠っている間にかなり遠くまで来てしまったようだ。
 手すりに手を置く。その冷たさが夢の記憶を蘇らせ、思わず身を強ばらせた。
 想像するのも言葉にするのも憚られる、恐ろしい記憶。だがそこには怒りはなかった。ただ哀しみと虚しさ、そして最後の安堵。
 自分の記憶ではない。だが、夢の中では自分のものとして経験していた。
 無意識――
 暖野は思った。
 深層無意識を介して、誰かの記憶と繋がっていたのか、と。
 そうであるならば、もっと楽しい経験を共有させてくれてもいいのに、と思う。だが人は楽しい経験はいつも表層で弄びたがるものだ。怒りや悲しみ、耐えられぬ苦しみをこそ無意識の底に封じ込めてしまう。
 リーウの言うように、本当に損な性分だと思う。
 全部一人で引き受けるなとフーマは……
 そこまで考えて、暖野はまた俯く。
 一人で抱え込むなと言ったって、私の所ばかり来るじゃない――
 手すりに肘を置き、軽く体を預ける。
 遥かを流れゆく景色、パドルが巻き上げる飛沫(しぶき)を見るともなしに眺める。背に当たる陽射しが心地よく、風がそれを適度に冷やしてくれる。
 ふと違和感を感じ身を起こした。
 スカートを引っ張られている。風の悪戯ではない。
 振り返ると、あの男の子がスカートを掴んでいた。
「おばちゃん、どこから来たの?」
 男の子が言う。
「おば――」
 暖野はショックを受けた。この歳でおばちゃん呼ばわりされるとは思いもよらなかった。
「ねえ、どこから来たの?」
「おばちゃんじゃなくて、お姉ちゃんよ」
 暖野は訂正する。
「じゃあ、お姉ちゃん」
 男の子は素直に言い直した。「どこから来たの?」
「さっきの町よ」
「比浅縫?」
「ピアサヌイ?」
 彼の問いを、問いのままに返す。「さっきの町は、そういう名前だったの?」
「そうだよ。でもあそこには誰もいないはずなんだ」
 確かに、自分たち以外は誰もいなかった。