久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下
7. 路地裏の幻劇
さすがに靴はリユースを買うのは憚られる。
幸いなことに、履きものの店は既製品店もあった。これまでは服ばかり探していたため、気がつかなかっただけだった。
でも、さすがにヒールは履きづらく、それに今着ているワンピースには合わない。
パンプスのような、この町の女性が履いている一般的な靴になってしまったが、それはそれで暖野は気に入った。暖野は歩くのが好きで、どうしても歩き易さを重視してしまう。これではいけないとは思いつつ、ヒールは憧れるだけで自分には縁が無さそうに思ってしまうのだった。
その点はフーマも同じで、ファッション性よりも機能で選んでいるようだ。結局のところふたりは同じような選び方をし、この町の人々と同じようなものを求めることになったのだった。
そうこうしている間に時間は瞬く間に過ぎ、時計塔の鐘が鳴る。ふたりは幾分早足で、先ほどの広場に戻った。
花火が上がる。
音だけの花火が、ひとつ、ふたつ、そして三つ。
広場に到着したときには、すでに人だかりが出来ていた。
「さあさあ皆さん、お待ちかね。はるか異国より伝わりし、古き伝承を語り継ぐ、道化の伝道師ことこのわたくしめが、これより披露いたしますのは――」
傍らの男性がバイオリンに似た弦楽器を優雅にかき鳴らす。「これもまた古(いにしえ)より伝わる異国の物語。近くて遠い、私の国の物語」
そこで口上を述べる先ほどの演者の女性が、ふたりに向かって合図する。声には出さず、前に来るよう促す。
暖野は誘われるままに、人混みをかき分けて前に出る。
そこには、木箱の上に簡素な敷物を敷いた席が設けられていた。
女性が頷くのを見て、暖野はそれに座る。フーマもその隣に腰を下ろした。ミカン箱二つくらいの特別席。自然、寄り添うような形になる。
二人が掛けるのを見届けて、演者は微笑んだ。暖野はそれに、軽く会釈で返した。
「時遡ること遥か昔、巡り巡りて時はいま、さらに巡りてまた昔、ひとりの乙女がおりました――」
さっきはバイオリンを持っていた奏者がシンバルを鳴らす。
「神と呼ばれし者の前、その神よりも古き者、人となるより遥かなる――」
高らかに抑揚をつけつつ口上を述べながら、演者が一体の人形を操り始める。
こうして、人形劇は始まった。
そう、それは神が生まれるよりも前。
人が神を知るよりも前のこと。
ひとりの乙女が森に降り立った。
少女はひとりだった。
少女ははじめ、そのありのままだった。
自然と一体に、自然のままに、自然が与えてくれるものだけを享受し、それだけで満足していた。
彼女は自分以外の存在を知らなかった。
だから、彼女が全てだった。
それに何の疑いも持たなかった。
彼女はひとりで、それで全てだった。
それが世界だった。
そこに、別の人物が現れる。
彼女とは別の存在。
それは、意思をもっていた。
彼女と同類のようで、それは少しずつ、いや、様々な面で異なっていた。
彼女はそれに興味を抱いた。
それが好奇心の始まり。
自分とは違う形態、意思をもった存在に、彼女は惹かれていった。
伝えること、伝えられること。
伝えられ、理解すること。
そして、何か共通のものがあること。
彼女は心をもった。
このときはじめて。
はじめての者を介して、彼女は自分を知った。
ふたりは、言葉ではうまく通じ合えなかった。
それでもふたりの言葉をさがした。
それは、ふたりの世界の誕生。
ふたつの一人の誕生だった。
そう、もうひとりの同類は、男性だった。
ふたりはそれまで互いに離れたひとりだった。
ひとりで全てだった。
ふたりは出逢い、ひとりになり、ふたりになった。
この瞬間、孤独ということばが生まれた。
ふたりはそれを埋め合わせようとした。
ふたつに分かれてしまった自分を取り戻そうとした。
そうして、三つ目の存在が生まれた。
それは、彼女が望み、その身の全てを賭して生み出したにもかかわらず、あまりにも弱々しかった。
だが、ふたりはその新しい存在を歓迎した。
それは、未知の希望だったから。
ひとつがふたつになり、それがひとつになって三つめが生まれる。
その三つめは、新たな一つだった。
彼女と、この誕生に携わったふたりめを繋ぐ、新たなひとつ。
彼女たちすら知らぬ新たなひとつ。
何も知らぬ小さな存在。
それを愛おしむ彼女。
同じく愛おしむ、もうひとり。
しかし、三つめはふたりの世界を壊した。
それまでの世界を。ふたりで解決できたと思っていた全てを。
三つめのちいさな存在は、あらゆるものに問いを発した。
ふたりの当たり前に、それが当たり前ではないということを突き付けた。
そこに、はじめて意味が生まれた。
ひとつめは原初、ふたつめは認識、三つめに意味。
小さな三つめは、ふたつのものに意味を与え、さらに多くのものの意味をかたち作った。
意味が生まれたとき、三つのものがそれぞれ別のものになった。
彼女と最初に出会った存在は、それを恐れ、彼女とさらにひとつになろうとした。
そこに、女と男、そして子が生まれた。
成す者、請う者、この者の三者が生まれた。
愛でる者、希(こいねが)う者、ここに在る者が。
これが、おとめ、おとこ、そして子。
ふたりが交わした音はことば。ことばは音。
子に伝える音。
音なる愛、音なる請い。そして、子。
請いは子であり、男は子。
子はまた女となり、あるいは男となる。
女は女となり、男は子に還る。
乙女は乙女。
男は男。
繰り返されるひとつからふたつ、そして三つ。
三つめは新たなひとつとなり、はたまたふたつめを求めてさまよう存在となり、出会ったときに三つめを育み、そこからまたひとつが始まる。
巡り巡るいのちの連鎖。永遠のひとつ、そしてふたつ。
三つ。
ひと一人にあらず実を結ぶ。
ひぃ、ふぅ、みぃ。
一ぃ、二ぅ、三ぃ。
ひと双(ふた)なりて身を成して世を生む。
一ぃ、二ぅ、三ぃ、四ぉ――
ひと、双(2)なりて身(3)を成して世(4)を生み、慈(5く)しみて睦(6つ)まじき、辺(7べ)て八重(8へ)ぞと知るならば、此処(9)ぞ問(10)いてはひと(1)となる――
観客の喝采で、暖野は我に返った。
え? 何――?
いまのは、何なの――?
ただの人形劇、演者が操る人形とその動き、詩のような歌のような台詞。その全てがまるで生命を得て独自の世界を眼前に繰り広げられるようだった。
そう、ただの人形劇。
自分は、夢を見ていたのだろうか――
暖野は、寄り添って座っているフーマを見る。彼も、暖野と同じように身を固くしている。周りの人々が口々に賞賛の声を上げる中、ふたりだけが最前列の特等席で身動きが取れないでいた。
演者が人形を傍らに置き、帽子を取って大仰に礼をする。
前まで来て小銭を置いてゆく者の姿、頭上を舞う紙幣やコイン、歓声。暖野にはそれらすべてがまるで映画の中の出来事のように思えた。それほどまでに、この熱狂を冷静にかつ遠いもののように感じていた。
旅芸人の座長らしい人形使いの女性が暖野に歩み寄る。
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下 作家名:泉絵師 遙夏