久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下
19. 暖野
「行ってみるか」
フーマが言った。
暖野は頷く。
そう、あの場所へ。
一面の花、花、花。靴が埋まるほどに積もった花弁を踏みしめて、二人は林の中へ分け入った。
それは、楽な道行きではなかった。距離にしてはさほどもなかったはずなのに、いつまで経っても辿り着けない。うず高く積もった花弁、木の幹に絡まる蔦、そして枝から垂れ下がる花房。それらが二人の歩みを鈍らせる。
結局のところ、二人はその場所に立つことを断念せざるを得なかった。
それは、諦めたからではない。
二人がそこに見たのは、泉だったからだ。
ただの草地だったはずの場所に、以前はなかった泉が出現していた。滾々と湧き出る水が花々の色を映して虹色に輝いている。
「これが……」
フーマが息を呑む。「お前の力なのか……」
「そんな……」
暖野が呆然と答える。
「お前が、これを産んだ」
「違う」
「それは、フーマと……」
「俺など、ただの触媒に過ぎない」
「そんなことない」
「お前、何か感じないか?」
フーマが周囲を見回す。
「感じるって?」
「ここにいて、何か感じることはないか?」
「……上手く、言葉に出来ない……」
「そうか」
少し考えて、フーマが言葉を継ぐ。「俺は、温かいと感じる」
「そう……ね」
「俺の言っている意味が、分かるか?」
「暖かい」
「そうだ」
「他に……何かあるの?」
「お前の、名前だ」
「え……?」
「お前の名前」
「私……の?」
「暖野」
「うん」
「お前は、暖野だな」
「ええ……」
「暖かい野という」
「うそ……?」
「嘘ではない」
「だって……」
「前にも言ったはずだ。お前の国では、言霊を大切にすると」
「だからって、これは――」
こじつけだと、暖野は思った。
「これは、お前の存在そのものを体現した奇跡だ」
「奇跡って……」
「そう、奇跡だ」
「確かに、これは奇跡かも知れないけど……」
目前に拡がる世界は、まさに奇跡としか言いようがない。
だが、それを産み出したのが自分だと言われて受け容れられるほどに、暖野は空想におぼれてはいない。
「お前が信じようが信じまいが」
フーマが言う。「これが、学院長の言っていた、マナ放射なのだと思う」
「……」
「俺は……」
「後悔してるの?」
「いや……」
「してるのね?」
「……」
「それは、やめて」
「ああ」
「私は、後悔してない」
「そうか」
「もしフーマの言う通りなら」
暖野は言った。「これは、私たちの――」
「ああ、そうだな」
「想いの結晶」
「ああ」
虹色の輝きを放つ泉。
それは、無限に湧き出でる愛。
「学院長は、最善を尽くしてくれた」
フーマが言う。
「どうして? 私たちに別れろって言ったのに?」
「別れろとは言っていない」
「同じことよ」
「違うな」
「どこがよ。一緒にいられなくなるのよ」
「3日の刻限は、おそらく……」
「おそらく、何?」
「お前の、限界だ」
「私の? どうして?」
「今、こうしている間にも、お前のマナは消費され続けている。これだけのものを産み出すのに、通常の人間では考えられないほどの莫大なマナを」
「……だか…ら?」
「それ以上、お前がマナを消耗し続けたら」
「……」
「お前は……消滅する」
「消滅……って?」
「なくなってしまう。存在そのものが」
「そんなことって……」
「お前、ワッツと闘ったときのことを覚えているか?」
「あんまり、よく覚えてない」
「お前は制御不能となった力を自分で受け止めようとした」
「ええ、それは聞いたから、知ってる」
「だが、あれはお前自身が放射したエネルギーだ」
「うん、そう……ね」
「いま、ここで起きているのは暴走ではなく――暴走……なのか、俺にも分からないが、自律したエネルギーの膨張」
「ごめん、分からない……」
「自律したエネルギーの膨張、それは――」
フーマが暖野を見据える。「俺たちの……」
言葉を選ぶように、フーマが口を閉ざす。
「俺たちの――命の継承だ」
「……」
暖野は思わず自分の下腹部を抑える。
それって、まさか――
「それは、肉体的なものではい。精神的な――エネルギーの胎動だと思う」
「赤ちゃん……じゃないの?」
「こんなにすぐに分かるものでもないだろう?」
「うん……」
「だが、お前はこの現象にマナを供与し続けることになる」
「もし、それをしなかったら?」
「お前に、それは出来ない」
「どうして? いつも出来るって言ってくれたじゃない。信じろって言ってくれたじゃない?」
「だから、自律したエネルギーと言ったはずだ」
フーマが苦しそうに言う。
「私には、どうすることもできないの?」
「すまない……」
恍惚を誘うような光景が、鋭い硝子の欠片で出来たもののように残酷に見える。
「じゃあ……」
暖野は言った。「もし、私がここからいなくなったら、この子はどうなるの? 死んじゃうの?」
「それは……」
フーマが目を背ける。
「ちゃんと私を見て!」
暖野はフーマを睨む。「あなたは、私を守るって言った。守ってくれるって言った!」
「ああ、確かに言った」
「私がもう、ここにいられない理由もわかった。だったら……」
暖野は視線を落とす。「せめて、……この子を守るって、言ってよ……」
「ああ……」
「約束して」
「分かった。出来る限り――」
「出来なくても!」
「……」
「ね? お願い……」
「ああ」
「ちゃんと言って」
フーマが、暖野に手を伸ばす。
暖野はそれを振り払って、彼の目を真っ直ぐに見つめる。
「分かった。約束する」
フーマが言う。
「ホントね?」
「ああ。ただ――」
「ただ?」
「このまま無制御のまま膨張を許すことは、できないと思う」
「それは、どういう意味?」
「ある程度の統制は、可能かも知れない。だが、無秩序な膨張は学院側としても許さないはずだ」
「躾?」
「お前の世界でそう言うのなら、恐らくそうだろう」
「自分で出来ないのが、悲しいな……」
「心配するな。維持くらいは何とかできる」
「維持じゃなくて」
「ああ、育てるんだな」
「ええ……」
溢れる虹、生命の泉。
息吹湛える花園に、ただこの瞬間の輝きを……
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下 作家名:泉絵師 遙夏