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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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18. 記号空間


 イリアンがしばし瞑目する。
 そして、語り始めた。
「さっきも言ったように、君が行った空間は、恐らく時間のない場所、言うなれば固定された場だと、私は考える。その空間は君の心の裡にある記憶を固定する位置情報でしかなく、本来は存在しない」
「それは……」
 暖野は言う。「写真みたいなものなのでしょうか?」
「そうだね。そう考えると解り易いだろうね」
「では、私たちは、その写真みたいな世界に行っていたということなのでしょうか」
「正確には、写真ではないな。そう……」
 イリアンは言葉を選ぶように宙を見つめた。「君は、写真を見たとき、何か感じたりすることはないかね?」
「と、言いますと?」
「その写真から、何らかのイメージを想起したり」
「……それは、あります」
「その時、一枚の写真は一つの時空の欠片になる」
「写真が、ですか?」
「いや、その思い、イメージがだ」
「それと、私たちが行った所と関係があるのですか?」
「そう。君たちが行った空間は、恐らく君の記憶にある現実に存在している場所、その複製のようなものではないかと、私は思う」
「すみません、ちょっとよく分かりません」
「すまない。そうだね……」
 イリアンが、また考える目をする。「その空間は、君の記憶のある一定の時点での核となるニュートラル空間なのかも知れない」
「ニュートラル空間?」
「そう、だから、写真なのだよ」
「すみません、もう少し詳しくお願いします」
「記憶というものは、多かれ少なかれ感情を喚起する。これは分かるね」
「はい……」
「時には楽しかったり、時には悲しかったり、様々な感情が伴う。それが記憶だ。――だがね、君たちが行ったのは学校と言っていた。特に学校に限定する必要はないが、君が持つイメージや感情の他に、学校と言うニュートラルな位置情報がある」
「そう……なんでしょうか」
「人間は様々な情報に意味付けをし、時には感情を付加する。だが、そのもの本来は人間の意味付けなく存在している。つまり、君たちが行った場所は、君が意味付けする以前の、或いは単なる記号としての世界ということだ」
「でも……」
「言いたいことは、少しだが分かる」
 イリアンが言う。「君がそこで何を見て何を感じたのかは、残念ながら私には知る由もない。だが、君がそこで体験したことは、ここでは話すことが出来ない、そうではないかな?」
「……はい。……」
 暖野は俯いた。 
「思うに、その空間は記号空間――ニュートラル空間で、そこから君の意味付けした各記憶へと繋がっている。つまり、イメージの核となる空間だと考えられる」
「それは、つまり――」
「そう、その核となる記号空間を軸にして、様々なイメージが形成される。君たちは、その中心点、核に触れた」
「だから、あそこでには誰もいなかった、そういうことなのでしょうか」
「あくまでも仮説だがね。ただ、そこで君が見たものは仮説以上のものを含んでいるはず。それは、君自身が薄々感じているのではないかね?」
「……」
「話さなくてもいい。――だがね、そこの時間は動き始めてしまった。そのことは、こちらでも確認できている。それが何を意味し、どのような結果になるのかは、まだ我々にも予測不可能だ」
「そう……なんですね……」
 あの時、フーマと行った、かつて通っていた中学校。どうでもいいような瑣末な思い出しかない学校。だが、そこで屋上から飛び降りた自分。
 記憶の欠損。そもそも経験してはいないことの記憶と体験。もしあれが事実なら、自分はここには存在していない。
 暖野は、フーマを見た。
 フーマは険しい表情で目を閉じている。
 ねえ、何か言ってよ、フーマ――
 暖野は彼の手の強く握りしめた。
 ゆっくりと、フーマがその手を握り返してくる。
「それと――」
 イリアンが言う。「これは非常に残念なことなのだが……」
 その表情は悲痛だった。可能ならば、言いたくない。それでも言わねばならないことを告げる責任を負った者の顔。
「君たち二人が共に、この統合科学院に在籍し続けることは出来ない」
「え……」
 暖野の表情が凍り付く。
 隣で、フーマが身を強ばらせるのが分かった。
「君たちのような優秀な学生を迎えられたことは、我々にとっても誇りだ」
「では、何故!」
 フーマが声を上げる。
「規則だ」
「ここは、通常の規則などという下卑たものの範疇にはないはず!」
「規則など、その都度変えればよい。だが、これはもう、我々の手には負えない」
「それは、どういうことですか? 生徒を保護するという考えは、ここにはないのですか?」
 フーマが言い募る。
「君の気持は分かる」
「だったら、何故なのですか!?」
「我々にとって、生徒の保護は最優先だ。だが、それよりも優先せざるを得ないものがある」
「それは、一体何なのですか⁉」
「世界だよ。それも、全時空」
「……それは、どういう意味です?」
「君たちは既に、時間を持たないひとつの空間に生命を与えた。それは今後、その時空を軸とした宇宙が展開されることを意味する。君たちどちらか一人ならば問題ない。だが……」
「学院長……」
 フーマが、イリアンを見据える。「それは……」
 暖野は、フーマの手を強く掴んだ。
 やめて――!
「君たち二人は美しい」
 イリアンが言う。「だが、同じ基軸時空に存するもの同士、さらには時間を異にする者同士が結ばれることは、許されない……」
 暖野は唇を噛み締めた。
 縋るような思いで、フーマを見る。
「では、私たちは……」
「そう……」
「どちらかに、ここを去ってもらわなければならない」
「……」
「愛し合う者同士を引き離すのは、私としても避けたいことなのだが……」
「それは、最終決定なのでしょうか……」
 フーマが低い声で言う。
「申し訳ない」
 イリアンがテーブルに頭を擦りつける。「この通りだ」
「学院長……」
 暖野は言った。
「暖野」
 フーマが言う。そして、イリアンに向き直る。「顔を上げて下さい」
「私はもう、君たちに顔向けできない」
「お聞きしたいことがあります。なので、顔を上げて私たちを見て下さい」
 イリアンがゆっくりと顔を上げる。
 その瞳は、涙で光っていた。
「私に答えられることなら」
「期日は、いつなのですか?」
 フーマが訊く。
「3日後。その日限」
 暖野は気の遠くなるような思いだった。
 あと3日。
 たった3日。
 たったそれだけしか、フーマと共にいられない。
「それは、変更可能なのですか?」
 フーマが、さらに問う。
「前倒しにはできる。だが、延ばすことはできない」
「そうですか……」
 重い沈黙が流れる。
「すまない」
 イリアンが、再び首を垂れる。
「分かりました」
 フーマが言う。「では、お願いがあります。私たちに、残りの日数分の自由行動をお許しください」
「分かった」
「それと、外出許可を」
「手配する。いつでも好きな時に行くといい」
「ありがとうございます」
 フーマが頭を下げる。
「本当に、申し訳ない……」
 頭を下げ続けるイリアンを後に、二人は学院長室を出た。
「フーマ!」
 暖野は緊張が解けたこともあって、扉の前でフーマを掻き抱いた。