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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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16. 残り香


「フーマ……」
 暖野は、その首に腕を巻き付けた。「ありがとう……」
 フーマが何も言わずに、抱擁を返す。
「嬉しい……」
「そうか……」
「フーマは、どうなの?」
「もっと……」
「もっと?」
「こうしていたい」
「うん……」
「このままで、いいのか?」
「このままがいい」
「これで、よかったのか?」
「うん……」
「お前は……」
「それは、言わないで」
 暖野は、フーマの唇に人差し指を当てた。
 フーマの重みが、暖野を圧する。ただ、それだけでも愛おしい。暖野はその華奢とも言えるフーマの背を掻き抱いた。
 こんなにも……
 こんなにも愛されて、なお足りない思い。
 充たされつつも満たされないもどかしさ。
 もっと。
 もっと……。
 もっと――
「大好き……」
 ありきたりな言葉。
 それしか言えない。
 もっと、言いたいことはあるはずなのに上手く言えないことが、暖野は歯痒かった。
 だが、いつまでもそうしているわけにもいかなかった。
 陽は傾き、闇が迫って来ている。このまま夜を明かしてもいいと思ったが、むしろそうしたかったが、それは出来ないことだった。
「戻らなきゃ」
 暖野は言った。
「ああ……」
 フーマが力なく言う。
「なんだか……」
 今更ながらに、暖野は恥ずかしさを憶えた。「私ったら……」
「お前は、美しい……」
 フーマが言う。
「え? ……よしてよ」
「いや、本当に、美しい」
「照れくさい」
「じゃあ、何と言えばいい?」
「普通でいいよ」
「……綺麗だ」
「……うん。……ありがと」
 暖野はうつむき加減に微笑んだ。

 二人は川辺を離れ、ビークルの通う道へ戻る。
 暖野はそこを離れる時、その小さな草原を目に焼き付けた。
 小さな花が咲く、ささやかな草地。もう宵の闇に半ば没しかけた、誰も知らない秘密の場所。
 小さな花弁がゆらめき、仄かな光を宿す。
 暖野は、このような光景を以前にも見たような気がした。
「どうかしたのか?」
 フーマが訊く。
「ううん、何でもない」
 暖野はその肩に頭を預けた。

 寮へ戻ったのは、すっかり陽が落ちてからだった。
 フーマは送ると言ってくれたが、暖野はそれを断った。
 本当は、そうして欲しかった。だが、そうすれば彼も女子寮前で降りることになる。
 出来れば長く一緒にいたい。その気持ちは抑えることが難しい。
 でも、これ以上一緒にいたら、離れられなくなる。
「ノンノ!」
 ビークルを降りた途端に、リーウが駆け寄って来た。「どうしたのよ! 心配してたんだから!」
「え? ああ――うん」
 抱きついて来ようとするリーウを、暖野は無意識に避けてしまう。
「何かあったの?」
「うん……べつに」
 汗は引いていたが、ばれはしないかと身構える暖野。
 視線が微かに泳いでしまう。
「医療院に訊いても、とっくに帰ったって言うし。どこ行ったのかって」
 だが、そのことにリーウは気づいていないようだった。
「迷子になったと思った?」
「それもあるけど」
「けど?」
「ちょっと、ね」
「ごめんね。心配かけて」
 二人は寮に入る。
 まだ門限を越えてはいない。寮監に咎められることもなかった。
「あんたって通いだから」
 廊下を歩きながら、リーウが言う。「知らない間に戻っちゃったとか」
「うん、ね」
「フーマと何かあったとか」
 暖野は立ち止まる。
「どうして?」
「だって、二人きりでしょ?」
「まあ……、それはそうだけど……」
「襲われたりとか」
 リーウがおかしな笑みを浮かべて言う。
「まさか!」
「ああ、やっぱり?」
「何がやっぱりなのよ」
「うん。あいつ鈍感だから、それはないよねって」
「……」
 暖野は分かっている。
 フーマは、知っているにも関わらず、知らないと装っていることを。それも、暖野を気遣ってのことだということを。
「え? どうしたの?」
 リーウが覗き込んでくる。
「ううん、何でもない」
 暖野は慌てて言った。「でも、フーマは鈍感なんかじゃないわ」
「あらら」
「何よ」
「また始まったから」
「この!」
「ごめん。ごめんってばっ!」
 暖野が拳を振り上げると、リーウは全力でガード態勢を取る。
 でも、これでいい――
 暖野は思った。
「馬鹿にしてるでしょ?」
 言いながら、暖野は感謝していた。余韻を残したまま、どう顔を合わせてよいか分からなかったから。こうしてふざけ合って、いつも通りの流れに戻る。
「いやさ、普通思うじゃない? 私の前でもいちゃいちゃしてんのに、二人だけになったらって」
「変な想像しないの」
「でも、ご飯は食べて来たんでしょ?」
「え? あ……うん」
 実はまだだということを、言いそびれてしまう。
「しっぽり、デートはして来たってわけね」
「そ……そんなんじゃないって」
「いいよ。私もさっき食べたから」
 リーウが言う。「だって、ノンノったら遅いしさ」
「ごめん」
「いいよ。あんたが楽しくやってんならさ」
「うん。ありがとう」
「でも、お風呂はまだでしょ?」
「私、今日はいい」
「え……?」
 リーウが目を大きく開いて暖野を見る。「まさか、それも一緒に入って来たとか」
「ば……馬鹿!」
 真っ赤になって、暖野はリーウを叩いた。
「冗談よ! そんな所、ここにないし」
「んもう! あんまりからかわないでよ」
「だって、ノンノの反応が面白いから」
 リーウが笑う。
「いつか、リーウに彼氏できたら、思いっきり仕返しするから」
「出来てからね!」
「なに威張ってんのよ。自分で言ってて、虚しくない?」
「うん……ちょっと」
「リーウも、本気で誰かを好きになったら分かるわよ」
「すっごい、余裕ね」
「そんなんじゃないって」
「悔しいけど、ノンノには負けっ放しだし」
「勝ち負けじゃないでしょ」
「でも、ちょっと悔しい」
 二人は、暖野の部屋に入る。
「あのね」
 暖野はクッションを抱えて言う。「どうして、誰かが誰かと付き合ってるとか、好きとか、そんなに冷やかされるのかな」
「うーん……」
 リーウが考えながら言った。「やっぱり、興味あるからでしょ?」
「そりゃあね、私だって興味ある」
「でしょ?」
「でも、ホントにそうなったら、そっとしておいて欲しいっていうか……」
「まあ、そうよね」
「なのに、どうしてそんなにからかわれたりするのかって」
「ごめん」
 リーウが真面目な顔になる。「ノンノ、気に病んでたんだ」
「そうじゃなくって」
 暖野は言う。「私はいいよ。えーと……その……、一応――、両想いなんだから」
「ふむん」
 リーウが鼻を鳴らす。
「でもね、そうなる前に冷やかされたりしたら、上手くいくはずだった人も、そうならなくなってしまうって言うか……」
「まあ、そうよね」
 リーウが、テーブル上のクラッカーを口に放り込む。
「リーウも、そう思うでしょ?」
「結局、みんな羨ましいのよね」
「それでも……」
「嫉妬……かな」
「リーウは、私に嫉妬してるの?」
「そうね……」
 言いながら、リーウは飲み物を口にする。
 暖野は知っている。
 会話の最中に、やたら何かを口にする時、リーウは自分の感情を懸命に抑えようとしているということを。