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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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3. 水の拡がりは癒しを


 暖野は昼もかなり過ぎてから起き出した。
 また余計な心配をかけるのも嫌なので、部屋の鍵はかけないままにしておいた。何度かドアを開け閉めされたような気がしたが、おそらくそれはマルカが様子を見に来たのだろう。
 いくら何でも、これはあまり良くないと暖野は思った。不用意にあちこち飛ばされるのも嫌だが、それで生活が乱されるのはもっと嫌だった。
 そう、振り回されて何もかも受け身でいる状況に我慢ならなかったのだ。
 思い切り伸びをして、ベッドから出る。
 シャワーを浴びようかと思ったが、夜に浴びたばかりなのでやめることにした。
 それよりも――
 ごはん――!
 昨夜に牛乳を飲んでから、何も食べていない。
 睡眠もそうだが食事の時間まで乱されるのは、どうも納得がいかない。とは言え、空腹ばかりはどうしようもない。
「ああ、そうなのね……」
 食堂に入ると、テーブルの上に一人分の食事が用意されていた。それも、リーウの好物のフルーツサンド。
 どうしても、思い出させようとするんだ――
「あ、起きてましたか」
 マルカが入ってくる。
「うん。時間の感覚がおかしくなっちゃって。心配かけたわね」
「いえ、今日は元気そうで安心しました」
「有難う」
「お茶、淹れましょうか」
 マルカが訊く。
「ええ、お願い」
 お茶を飲みながら、眠っている間に統合科学院で3日ほど過ごしたことをマルカに話した。当然、フーマとのことは全て伏せた上でのことだ。思うだけで心が乱れるのに、それを実際に言葉に載せたらどうなるか、考えるだけでも恐ろしい。それと、緊急警報のことも。
「なるほど」
 マルカが言う。「では、向こうでは普通に時間が過ぎていたにも関わらず、こちらへ戻ったらその分の時間は無かったことになっていると、そういうことですね」
「無かったことになっているのかどうかは分からないわ。でも、この時計は私の世界とは無関係だったのに、あっちの世界にいた時間だけがここでは過ぎてないことになってる」
「ノンノは、確かに3日過ごしたんですよね」
「ええ。二晩過ごしたもの。それに向こうを離れたのは、まだ朝だったのよ」
「申し訳ないのですが、私には理解できませんね」
 マルカが腕組みをする。「そもそも、ノンノがここに来たのには理由がありますが、その魔法学校に呼ばれた理由が分かりません。たとえ沙里葉で買った本が原因だったとしても、何故ノンノの意志に関係なく往き来させられるのかが私には分かりません」
「そうよね。私にだって分からないんだし」
「でも、ノンノはその学校が好きなんですよね」
 マルカが見つめてくる。
「ええ……」
「お友達も出来て、ノンノも前向きな言葉が増えているのは私も喜ぶべきだと思います」
「うん」
 それは、そうかも知れないと暖野は思った。リーウにもかなり助けられているし、それに――
 暖野はまた頭を振る。
「どうしました?」
「ううん。何でもないの」
「言いたくないことや言えないことの一つや二つ、あって当然です」
 訳知り顔でマルカが言う。「でもそれが、ノンノを悲しませるようなことであれば、どうか私に話してください。一緒に考えれば、きっといい解決策も――」
「ごめんね、そういうことじゃないの」
 暖野は言った。
 こればかりは、解決法を共に探れるというものでもない。心の問題は、アドバイスだけではどうにもならない。
「ノンノは……」
 マルカが言いかけてやめる。「いえ、いいです」
「いつか」
 哀し気な目をするマルカにいたたまれなくなって、暖野は言った。「言えるようになったらいいと、私も思う。でも今はまだ……」
「ええ。それがノンノの選択なら私は支持します」
「有難う」
 選択も支持も的外れな表現だと思うが、無理に聞き出そうとしない優しさだけは感じられた。
 二人はしばらく黙ってお茶を飲んだ。
 暖野は時おり考えに耽り、時に宙に目を彷徨わせ、時に笑みをたたえ、はたまた沈んだ表情になった。
 マルカは何も言わず、カップが空になる度にお茶のお代わりを注ぎ、そんな暖野を傍で見守っていた。
「散歩にでも、行きましょうか」
 暖野は言った。
 じっとしているのが辛かった。要らぬ考えばかりを繰り返していても、何にもならない。少し外の空気が吸いたかった。
「はい、そうですね」
 マルカが立ち上がる。
 二人は坂を下り、駅の方へ向かった。
 今は、駅などどうでも良かった。
 無性に海が見たかった。ここには海はないが、湖ならある。広漠たる水の拡がり、生命の源たる水。それはいついかなるときも人の心を癒し、時に自らの矮小さを思い知らせてくれる。自分の悩みなど、大自然の中では取るに足らないものだと教えてくれる唯一のものが自然の偉大さなのだ。
「どこへ行くんです?」
 駅を通り過ぎ、港とは反対の方角に向かいかけた時、マルカが訊いてきた。
「湖」
 暖野は一言だけ言った。
 マルカは、それ以上何も言わなかった。
 線路を跨ぎ、岬というには緩やかな曲線を描く湖岸に出る。そこはささやかな岩場だった。
 静かな波が打ち寄せ、岩に当たって優しい音を立てている。
 ここには海のざわめきも潮の響きもない。いっそのこと嵐に猛り狂う海を見てみたいと思う。全てを打ち砕き、洗い流す波を。
 だがそれは、ここでは叶わぬことだった。
 暖野は水面に手を伸ばす。
 そこには水草もなく、貝も甲殻類もいない。彼女の動きを見て逃げる魚の姿もない。
 生命のない水。
 水こそ全ての生命の源であるにも拘らず、ここには水にすら命の片鱗を感じ取れない。どこまでも澄明な水は、そこに生きることを許さない絶対的な拒絶を感じさせる。
 暖野は遠くに視線を投げた。
 日が沈むまでには時間があるが、午後遅い時間独特の強い陽が照りつけている。湖面に輝き映える眩しい陽の光を暖野は眺め続けた。
 湖は対岸が見えないほどに広い。かつてマルカが、この湖より広い海の存在を知って驚いたのも無理はないほどに。
 暖野はただ、まんじりともせず陽が水平線に沈むまで佇んでいた。
 丘の上の灯台が光を放ち、遠い彼方を指しては巡る。
「ノンノ」
 マルカが声をかけてくる。
「うん」
「風が冷たいです」
 すっかり暮れなずんでしまっていた。
 湖岸の通りからの明かりは、岩場を照らすには十分でない。マルカが慎重に導いてくれたおかげで、暖野は途中一度だけ転びそうになった他は大した危険もなく護岸まで辿り着けた。
 夜にこの町を歩くのは初めてだった。沙里葉(さりは)のように、どの建物にも灯りはない。無人の舗装路を街路灯が照らしているだけだ。明るいうちはともかく、人気(ひとけ)のない町はうらぶれて寂しい。
 宿の明かりが見えた時、暖野はほっとした。
 無人であることには変わりないが、そこだけは生きている。
 階段を上がると、部屋の前に包みが置かれていた。昨夜出しておいた洗濯ものだ。
 綺麗に畳まれた衣類を出す。食欲はあまりなかった。
 入浴を済ませ浴衣に着替えると、鞄から本を取り出した。
 読めるだろうか――
 ベッドに腰を下ろし息を整えてから、ゆっくりとページをめくってみる。
 大丈夫――
 そう言い聞かせる。