小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

INDEX|33ページ/110ページ|

次のページ前のページ
 

17. 洗い流されたもの


 ドアは開け放ったまま、暖野は外を見ている。
 流れる雲が速い。
 目の前の光景が一瞬、青白い閃光に包まれる。
 ひときわ強い風が吹いたかと思うと、一気に降り出した。
 暖野はドアを閉めた。
 雨滴が窓ガラスを叩き、外も良く見えない。
 これではトイもマルカもずぶ濡れになってしまうだろう。
 不本意ではあるが、今夜はここに泊まらせてもらうしかなかった。たとえ雨が上がっても、舗装されていない坂道を下るのは危なそうだった。その上、船を探すのに湖岸を歩くのは無謀としか思えない。
 暖野は円形の室内を見回す。いつの間にか灯台の機械が動いていた。モーターの回転音と金属の擦れ合う音が虚しく響く。
 螺旋階段の上り口の横にドアがあった。
 開けてみると、そこは居住区のようだった。テーブルと椅子、簡素な台所。右手にはもう一つの扉。
 暖野はそちらへ向かう。
 寝室だった。こちらも何の飾り気もない殺風景な部屋で、戸棚と一人用のベッドがあるだけだった。奥のドアは開け放たれており、そこはバスルームになっていた。
 バスタブもない、ただシャワーだけの浴室。暖野は栓をひねり、湯が出るか確かめてみた。
 大丈夫そうだ。最初は水だったが徐々に暖かくなり、十分な温水になった。
 あとは――
 タオルと着替えが必要だった。
 それらのものを一通り揃えると、暖野は寝室の窓から外を見た。
 雨脚は弱まってはいない。
 どこかで雨宿りしててくれたらいいけど――
 森の中では直接雨に打たれることはない。しかし枝にたまった大粒の滴が絶え間なく降り注ぎ、最終的には同じように濡れてしまう。
「そうだ」
 暖野は思い出した。
 確か、雨を止ませる方法があったはずだ、と。
 しかしそれは無理なことだった。この世界では雨が降らないものと決めつけて、途中までしか読んでいなかったからだ。それに、本は船に置いてきてある。うろ覚えの知識で試してみようとしたが、何の変化もなかった。
 ここでも力が使えるかどうかはともかく、改めて勉強の大切さを知った暖野だった。
 ただ一人、じっと待っているのは耐え難かった。暖野は居住区の中を行ったり来たりし、何かやることはないかと考えた。
 時おり思いついたように窓ガラスが風に、そして雨滴に震える。
 雷鳴が轟き、照明が消える。
 思わず両耳を塞いで屈み込む。
 まだそんな時間でもないはずなのに、夕暮れ遅くのような暗さだった。それでも停電は僅かな間のことで、部屋はすぐに明るさを取り戻す。
 暖野は立ち上がり、もう一度室内を見渡した。
 キッチンにポットがあるのが目に入る。
 とりあえずコーヒーか何か飲もう――
 することが見つかると、他のことにも気が回るようになる。
 湯を沸かしている間に、暖野は戸棚を開いてコーヒーや茶葉の缶、そして食料を探した。弁当用に持って来たクラッカーは、昼にトイが取り分けてくれた数枚ほどしかない。それに、冷えた体には温かい食事の方がいいに決まっていた。
 コーヒーこそなかったものの茶葉は見つかった。
 マグカップに注いだお茶をゆっくりと啜る。
 テーブルにカップを戻すと、少しの間揺れていた赤橙の液体はすぐに静かになる。
 船に戻っていれば安全だったのかと、ふと暖野は思った。
 この雨風だ。湖上もきっと荒れているはずだ。嵐に翻弄される船上では、心休まる暇などなかっただろう。こうして心を落ち着かせるためにお茶を飲むということも出来ないまま、ただ不安な時を耐えるしかなかったかも知れなかった。
 船は、まだあるだろうか――
 まさかこの天候でどこかへ行ってしまうなど考えられなかったが、心配になる。
 暖野は居住区を出ると、螺旋階段を昇った。だが、その上端に達する前に、引き返す。
 窓の外は雨に煙り、湖は見えなかった。
 入り口のドアが風に煽られて軋んでいる。激しく当る風雨がまるで――
 違う――!
「ノンノ! ノンノ!」
 マルカの声だ。
 暖野は急いで駆け寄り、扉を開けた。
 雨が一気に吹き込んでくる。
 マルカはドアが開けられるなり飛び込んで来た。
「ど――どうしたの!」
 トイが、マルカに抱えられている。
 眠っているようだが、そうではないことは明らかだった。こんな状況で眠れるはずがない。
「こっちへ!」
 居住区へ導く。
 ベッドにトイを横たえ、洗面器いっぱいの湯を用意する。
「マルカも、熱いシャワー浴びて。あなたまで風邪ひいちゃうから」
 そう言って暖野はトイの濡れた衣服を脱がせにかかる。小さな体は冷たく、まるで生気が感じられない。
 胸が上下しているので死んでいるのではないのは確かだが、危険なほどに体温を奪われている。
 熱いタオルでその体を拭い。乾いたものに着替えさせる。クローゼットから毛布を出してきて、口元まで深く掛けてやった。
 マルカのために着替えとタオルを用意し、浴室のドアの前に置く。そこまでやって、暖野はトイの横に座り込んだ。
 あの時、強く止めなかった自分が悔やまれた。
 マルカが浴室から出てくる。
「トイを見ててくれる?」
 暖野は言った。そしてキッチンへと向かう。
 お茶を沸かし直し、マルカにカップを渡す。
「すみません、ノンノ」
 そう言ってマルカはカップを受け取った。「私がもっと――」
「違うわ。私が悪いの」
「それは違います。ノンノは私に、彼を連れ戻すよう言いました」
「でも――」
「これは、誰にも分からなかったことです。言い訳にしかなりませんが」
 その通りだった。暖野の知る限り、この世界では雨が降ったことはない。トイも雨を知らなかったはずだ。ましてやこのタイミングで大嵐になるとは、誰にも予測不可能なことだった。
「いきなり嵐なんて、何か意味があるの? これも――」
 そこまで言って、暖野は思い出した。
 かつて船上で、全てを洗い流す雨を望んだことを。雨が降る前の土の匂いを懐かしんだことを。この世界では、必ずしも暖野の望み通りには展開しない。食べるものや着るものなど最小限のものは何とかなっても、それ以上のことは叶いにくい。
 これも、そうなのかしら――
「ノンノは、雨が降って欲しいと思ったのですね」
 マルカが訊く。
 暖野は頷いた。
「今はもう、仕方のないことです。例えこの雨がノンノが望んだためにもたらされたのだとしても、それがいつ起こるのかは分からないのですから」
「それは、分かってる……」
「どの世界でも、望んだからと言って、それが現実に起こるとは限りません」
 マルカが言う。「それならば、これから起こって欲しいことを望んだ方がいいのではありませんか?」
 確かにその通りだった。
 では、何を望むか。
 それは当然、トイの回復だった。
 何はともあれ、それが最優先だった。
 暖野は立ち上がった。
「お茶、お代わりいる?」
「はい、もう一杯頂けたら」
 マルカが空のカップを差し出した。
 空腹は感じていないが、トイとマルカには食べてもらわないといけないと、暖野は思った。マルカとて疲れているはず。二人ともに寝込まれては、一人で看病出来る自信はなかった。