小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」
泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
新規ユーザー登録
E-MAIL
PASSWORD
次回から自動でログイン

 

作品詳細に戻る

 

久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

INDEX|30ページ/110ページ|

次のページ前のページ
 

16. 前兆


 森は鬱蒼としていたが、決して密林という訳ではなかった。緩やかに登っている一本の道を、二人は進んでいた。マルカは少し遅れてついて来ている。
 子供にとっての探検とは自分の知らない場所に踏み入れることであり、必ずしも危険を冒すこととは限らない。極端なことを言えば、たまたま見つけた路地に入り込むことすら探検になってしまう。
 トイは今、途中で拾った棒を持って意気揚々と歩いている。
 本当に探検隊長になったみたい――
 暖野はそれを微笑ましく見ながら、彼のすぐ後に続く。
「お姉ちゃんは僕が守るからね!」
「はいはい」
 まるで勇者にでもなっているようだ。
 だが、そもそも大きくもない島だ。三人はそれほどの時間も要さずに灯台のある頂上に出てしまった。
 ふうん――
 暖野は見渡して思った。
 なかなかに絵になる光景だ。森の向こうの湖面に白い外輪船。写真に残せないのが残念なくらい。それほど遠く離れていないはずなのに、船は玩具のように小さく、そして優美な姿を見せている。
 振り返れば白亜の灯台。
 トイが手招きして呼んでいる。
「あ、うん。今行く」
 暖野はトイのいる所まで行った。
「ここから入れるみたいだよ」
 トイが言う。そこには木製のドアがあった。それは開け放たれたままで、まるで入れと言わんばかりだった。
 暖野は中学の修学旅行の時に灯台に登ったことがある。ここも同じようなものだろうと思った。
 しかし、トイにとっては初めてであるためか、見るものすべてに驚いている。
 レンズを回転させる装置、光を放つためのカンテラ、そこに至るまでの螺旋階段すら、暖野が注意していないと足を踏み外してしまいかねないほどに見入っている。
「あっ!」
 そう思っている矢先にトイが階段に躓く。
「ちゃんと足元を見るの。危ないでしょ!」
 慌ててそれを支えながら暖野は嗜めた。
「ごめんなさい」
「気をつけるのよ。トイは隊長なんだから」
「うん。分かったよ」
 巨大なレンズを間近に見る場所に、扉があった。
 外へ出た瞬間、風に煽られて、暖野は思わず髪を押さえる。
 遮るもののほとんどない高所は、地上にいた時には想像もしなかったほどの強風が吹いていた。
 でも、気持ちいい――
「お姉ちゃん」
 トイが言う。「僕、こんなきれいなの、初めて見た」
「うん」
 暖野は応えた。「私も、初めてかも知れない」
 一面の青。陽光を浴びて輝く湖面。
 前に登った時には集団行動だったため、ただ歩いて一周した後すぐに降りなければならなかった。ゆっくりと景色を楽しむというよりは、同じ班の子たちと喋っているだけだったような気もする。
 だが今は、思う存分景色を楽しめる。
 絵が描けたらなあ――
 暖野は思った。
 たとえ写真には残せなくとも、絵心があればこの光景をスケッチできる。だが暖野は絵があまり得意とは言えなかった。
「危ないから降りて来てください!」
 マルカの声がする。
 言われてそちらを見ると、トイがさらに上へと行く梯子の途中にいた。
「駄目よ、危ないから、降りていらっしゃい」
 暖野は言った。
 ここより上には足場はない。ただ保守のためだけの梯子なのだ。
「大丈夫だよ」
「落ちて怪我したら、どうするの?」
「いつもやってるから、平気」
 トイは気に留める様子もない。
「トイが怪我したりしたら、お姉ちゃんも痛いのよ」
 暖野は言った。
「どうして? 怪我しても痛いのは僕じゃないの?」
「だって、心配になるじゃない」
「お姉ちゃん、心配?」
 トイが意外そうに訊く。
「そうよ。トイが痛いと、私も痛いのよ」
「ほんとう?」
「ほんとうよ」
 トイはしばらく暖野を見ていたが、やがて言った。
「わかったよ。お姉ちゃんが痛いなら、僕やめる」
 暖野は安心した。そして、それと同時にこれで良いのだろうかとも思った。トイ自身が危険を判断してのことではなく、暖野が心配しないために行動をやめたことを。
 実際にはそこまで深く考える必要はなかったのかも知れない。彼はただ単に、年長者の前で自分を大きく見せようとしていただけだとも考えられるのだから。
「お姉ちゃん、僕が心配?」
「当たり前でしょ」
「僕がいなくなったら、心配?」
 その問いに、暖野ははっとした。怪我などではなく、何故“いなくなる”と言ったのか。
「いなくなる……って?」
「だって、落ちたらいなくなるでしょ?」
 暖野はその意味を計りかねた。
 確かに船から落ちたら、そういう風に言えなくもない。しかし、それでも完全にいなくなるわけではない。
「落ちたって、いなくなんてならないわよ」
 暖野は言った。
「そうなの?」
「そんなに簡単にいなくなるわけないじゃない」
 だが、トイはじっと暖野を見返してくる。「……ど、どうしたの?」
「ううん、なんでもない」
「何か、気になることとかあるの?」
「わからない」
 また、トイの分からない――
「ねえ、トイ」
 さすがにこれは気になる。暖野は少し訊いてみることにした。「わからなくてもいいから、少し話してくれる?」
「うん……」
 トイが答える。「でも僕、ホントにわからないんだよ」
「わからなくていいの。わかることだけで」
「僕ね……」
 トイがゆっくりと話し始めた。「すっごく大事にしてもらってた……と思う」
「うん」
「僕はホントに大事にしてもらってたと思う。……けど――」
「けど?」
「すごく、痛い。――これって、悲しいの? 痛いの?」
 暖野はトイを引き寄せた。
「悲しくて痛い。どっちもよ」
「悲しいのと痛いのは違うの? それと、寂しいのも」
「悲しいのと寂しいのは違う。でも――」
 暖野は考えた。「でも、痛いのは同じ」
「どっちも痛いのに、違うの?」
「そう、違うの」
 どのように違うのかと聞かれたら困っただろう。だが、トイはそれ以上は訊き返さなかった。
「寂しいのはね――」
 それでも、暖野は言った。「大事な人がいないこと、いなくなること。――悲しいのは、大事な人が痛くなったり、いなくなったりすること」
 言いながら、全く説明になっていないと暖野は思った。
 もっと端的に言えば、寂しさは孤独に繋がり、悲しさは寂しさを知った上での、いや、それ以前の根本的な喪失感なのかも知れない。だが、それをうまく表現することはとても難しい。
「僕、痛いのはいやだよ」
「うん。私も嫌。それが好きな人なんて誰もいないわよ」
「うん」
「トイは、優しいのね」
 真っ直ぐに暖野を見つめるその瞳が潤むのが分かった。
「僕、優しい?」
「そうよ。だって、トイはお姉ちゃんが痛いのが嫌だって言ってくれた。それが、優しいってことなのよ」
「分からないよ」
「そうね。それは、自分じゃ分からないものだから」
「僕のことなのに?」
 暖野はトイの頭を撫でた。
「そうよ」
「お姉ちゃんも、分からない?」
「私は、優しくなんかないと思う」
「でもお姉ちゃんは、僕が痛いのは嫌だって言ったよ。だから、お姉ちゃんは優しいんだよ」
「そうですね」
 マルカも言う。「ノンノは優しいですよ、とても」
 暖野は、自分は決して優しくはないと思う。