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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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14. 島影


 翌朝、暖野は誰よりも早く目を覚ました。
 トイが横で眠っている。
 暖野は身支度を整えると、トイ宛に書き置きを残して厨房へ向かった。
 食糧庫を漁ってベーコン、ウインナーを調達する。今朝は少しは手を掛けてみようと考えていた。それも失敗しない程度に。
 まずはスープの準備をする。
「入れる順番があったような気がするけど……」
 とりあえず人参だけは先に入れたが後が分からない。「ま、いいか」
 ブロッコリー、キャベツ、ジャガイモ、玉ねぎを一気に放り込み、コンソメの素を落とす。
 ベーコンは塊のままなのでスライスする必要があった。薄切りに出来ないため、厚めになってしまう。これも、食べ応えがあっていいだろうと暖野は思った。
 ここでひとつ言っておかねばならないことがある。暖野は右手にゴム手袋をはめている。理由は、言わずもがなだ。
「すっごいいい匂いがする!」
 トイが厨房に駆け込んでくる「あ、お姉ちゃん。おはよう」
「おはよう」
「何作ってるの?」
「ベーコンエッグとスープよ」
「美味しそう。楽しみだなあ」
 暖野は微笑む。
「ねえ、お姉ちゃん」
「ん、何?」
「あれ――」
 トイが指さす。
「あっ、いけないっ!」
 スープの鍋が噴いている。急いでそれを止めに行く。ほっとしたのも束の間、今度は焦げ臭さと共に煙が充満し始めた。
 結局、朝食は卵抜きになってしまったのだった。
「ノンノ、何かいいことでもあったのですか?」
 食後のお茶を三人で飲んでいる時、マルカが訊いた。
「ん? どうして?」
「何だか、とても嬉しそうです」
「そう?」
「それに、それは何なのです?」
 マルカが、暖野の右手を指す。そこには、昨夜フーマに結んでもらった髪があった。
「うん、ちょっとね」
 暖野は言って、これ以上ここでは話せないと目線だけで合図した。
「ではトイ、今日は何をして遊びますか?」
 マルカがトイに向き直る。
「知らない遊びがいい」
「ねえ、マルカは面白い遊びとか知ってるの?」
 暖野は訊いた。
「そうですね……」
 マルカは少し考えてから言った。「こうやって、ぐるぐる回るとか」
 体を捩じった姿勢で実際に回って見せる。
「それって、面白いの?」
「子どもの頃は、よくやりましたが」
「でも、それじゃ目が回るだけじゃない」
 二人が話している横で、トイが真似て回っている。
 え? 面白いの――?
 終いには、トイはよろめいて倒れそうになる。
「面白くないよー。気持ち悪いよー」
「マルカ」
 暖野はマルカを睨んだ。「変なこと教えたら駄目でしょう? 倒れて怪我でもしたらどうするのよ」
「すみません」
 マルカが素直に謝る。
「じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお部屋に行きましょ?」
 暖野はトイの手を引いて部屋へと戻った。
 毎日駆け回っていたので、あちこちが痛くなっていた。以前はクラブの練習などで基礎体力を鍛えていたが、ここ最近体が鈍(なま)っているような気がする。その上、子どもと対等に遊ぶには瞬発力やスタミナが不足していた。
 今日は部屋遊びをしよう。暖野はそう考えた。
「これね。ここを、こうやって――」
 ノートの紙を正方形に切って、折り紙を教えている所だ。一枚の紙から様々な物が出来ることに、トイは逐一驚いている。中でも一番気に入ってくれたのが手裏剣だった。
 昔、男の子たちと忍者ごっこをしていた時に覚えたものだ。暖野は“くノ一”役だったが、いつも守られてばかりで弱かった。
 暖野はふと、笑みを漏らす。
 今でも私、守られてばかりね――
 フーマ、マルカ、それにトイ。
 でも今は……
 暖野とマルカ二人がかりでもトイに勝てなかった。静かな部屋遊びのつもりが、いつの間にか体力勝負になってしまっていた。せっかく教えた風船までもが武器になっていた。
 まあ、こういうのもいいか、と暖野は思う。
 子ども相手にムキになって対戦しているのがとても楽しい。手裏剣は手加減しても、風船なら遠慮しないで済む。
 昼食後、トイに昼寝させてから暖野は一人リビングスペースで本を読んでいた。
 ふとした拍子に、つい右手の小指に視線が行く。そこには、しっかりと結ばれたフーマの髪がある。そのことが暖野に限りない安心感を与えていた。
 謎は幾らでもある。あの時、どうしてフーマは驚きの目で暖野を見ていたのか。そして、何故あんな言い方をしたのか。
『今度は、俺が守る』
 今度はということは、以前にも誰かに守られていたのか。それは、マルカやトイ以外の他の誰かなのだろうか、と。
 だが、彼は守ると言ってくれた。暖野はそれを信じたいと思った。この指に結ばれた髪こそが、その証拠だった。このことによって、二人の力は共有されているのだから。
「会いたいな……」
 暖野は呟く。
 つい昨日会ったばかりなのに、恋しくなる。
 会いたいと、心から思う。本当に。
 昨夜、そう願って会えたのだから、今もまたそうなったらいいのに。
 しかし、それは叶わなかった。それが一層、求める気持ちを強くさせるのだった。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!」
 揺さぶられて、暖野は居眠りしてしまっていたことに気づく。
「トイ、どうしたの?」
「お姉ちゃん、ちょっと来て!」
 いつになく、トイが慌てている。いったい何があったのかと暖野は一瞬で目が覚めた。
 トイが暖野の手を引いて、起こそうとする。
「何かあったの? そんなに――」
 言葉を継ぐ間も与えずに、トイが言う。
「来て!」
 起きがけで訳の分からぬまま、暖野は操舵室に連れて行かれた。
「何なの、一体?」
「あれ」
 トイが進行方向を指す。
「何もないじゃない」
 船の進む先には一面の湖面が拡がっているだけだ。
 そこへ、トイが双眼鏡を差し出す。暖野はそれを取って目に当てた。
「あ……」
「ね? 何か見えるでしょ?」
「うん……何だろう?」
 目を凝らしてみる。「島――かな?」
 双眼鏡で見ても、それはまだ遠くて判然としない。それはまだ水平線に辛うじて見えるだけの点でしかなかった。
「島?」
 トイが訊いてくる。
「よく分からない。でも、船とかじゃないみたいだし」
 この世界で船と言えば、人力か黒煙を上げるようなものしかなさそうだった。遠くに見えるそれは、煙を吐いているようには見えない。
「島って何?」
「うん、湖の中にある山みたいなの」
 そう言って、それでは湖底の山みたいだと、暖野は思う。
「湖の中の陸地?」
「う……うん。そう」
 知っていたり知らなかったり、その辺りの説明の加減が未だに暖野には掴めないままだった。
「あそこにも町があるのかな?」
「そうね。あったらいいわね」
「探検とかも出来る?」
「町なんかなくたって、探検は出来るわよ」
「そうなんだね」
 船は、どうやらそれに真っ直ぐ向かっているようだ。
 ただ、まだ分からない。途中で進路を変える可能性はある。ほとんど何も見えない湖上で、唯一の目印にされているだけかも知れないのだから。
 その後は、いつでも前方が確認できるように操舵室で遊ぶことにした。暖野の部屋からも前は見えるが、船首のポールもあり視界の良さでは劣っている。