久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下
13. 隠し部屋
目の前に自分の顔があった。
それが鏡だと気づくまでには少し時間を要した。
雰囲気からして、ここはトイレのようだった。だが、船内のものではない。
ドアを開けて外に出て、自分のいる場所が分かった。
統合科学院。
そうか……
暖野は思った。フーマに会いたいと思ったからだと。
ならば、やるべきことは決まっている。だが、ここが校舎のどこなのかも分からない。
とりあえず窓から外を見て位置を確認しようとしたところへ、クラスで見かけたことのある女生徒が通りかかった。
暖野は迷うことなく訊いた。
「フーマ君? 今日はまだ見てないけど」
女生徒は言った。
しかし、今はいつなのか。始業前なら、まだ来ていなくても不思議ではない。
廊下を進むと、見慣れた場所に出た。学寮部だ。ここまで来れば、教室までは迷わなくて済む。
扉を開けて教室に入ると、アルティアの姿が真っ先に目に入った。
いつもなら直ぐさま声をかけてくるはずのリーウはいない。
部屋の隅などで談笑している生徒たちの中で、彼女だけが座って本を読んでいた。アルティアの席は、教室のほぼ中央にある。
「アルティアさん、おはよう」
暖野は声をかけた。だが、アルティアは不思議そうな顔をした。
「タカナシさん、どうしたの?」
「え? どうしたって……」
「具合が悪いとかって聞いてたから」
「あ……ああ」
誰かが適当に自分のことを言っていたようだと、暖野は思った。「もう大丈夫。そんなに酷くなかったし」
「そうなの。良かったわ」
アルティアが言う。「それと、もう8時間目よ」
「すみません。元の世界に戻ってて、時間の感覚が」
「ええ、分かってるわ」
「それで、今日は――」
暖野は少し考えて言った。「あの警報の日からどれくらい経ったんですか?」
「5日前のことよ。何らかの原因で鐘を鳴らす機構に異常が発生したらしいわ」
「そうだったんですか」
フーマが言ったように、学院側は誤報という扱いで発表したようだ。
「あの後、大変な騒ぎだったのよ。タカナシさん、いなくて助かったのかも知れない」
まあ、そうだろうと暖野は思った。
「この前のこと、カクラ君に聞きたいんですけど、彼は今日は来ていないとか」
「そうね。昨日は来てたけど、最近来ないこともあるわね」
「それと、リーウもいないみたいなんですけど……」
「ああ、彼女ならお手洗いに、さっき」
リーウに関しては、ちょうど入れ違いになっただけのようだ。それならば、待っていればすぐにでも戻って来るだろう。
暖野は窓辺に寄り、外の景色を眺めた。先日の警報が嘘だったかのように、平和な光景が広がっている。あの警報は皆にとっては嘘だが、暖野とフーマにとってはそうではなかった。
何がそうさせたのかは分からないが、暖野は窓際を離れ、教室を出た。それは、ふとした思い付きだった。
暖野は廊下を進み、階段を上がる。
図書館。
扉を、そっと開ける。
誰もいない。
いや、そうではない。一人だけ――
「カクラ君」
フーマが顔を上げた。
相変わらず無表情に見えるが、彼は少しだけ微笑んだ。
「タカナシ」
「どうしてここに? 今日は来てないって聞いたのに」
「ああ。少し調べものだ」
「調べもの?」
フーマが頷く。彼の前には特殊統合科学院通史と書かれた本があった。
「この前のような事件が以前にもあったのかどうか」
「そんなことって、何度もあるようなものなの?」
「分からないから調べている」
「そ……そうよね」
「お前、今もあの扉が見えるか?」
言われて、暖野は首を振った。
「試してみたいことがある」
フーマが、暖野の手を取る。
「今度は、何をするの?」
「前と同じことだ」
それを聞いて、暖野は赤くなる。
その肩に、フーマが手を置く。
「そうか。やはりな」
「え? 何が?」
「見てみろ」
フーマが前方を示す。
「あ……」
そこには、扉があった。あの隠し扉が。
「これって一体――」
フーマが肩から手を放す。すると扉は徐々に見えなくなり、元の書棚と窓だけになってしまった。
「とりあえず、中へ」
今度は暖野の手を握ってくる。一瞬身を強ばらせたが、暖野は指をそっと絡ませた。
二人は扉を開け、中へと入った。
「ねえ、カクラ君――」
言いかけた暖野は、それ以上言葉を発することが出来なくなった。
「会いたかった」
フーマが唇を重ねてくる。
何も考えられなくなる。甘やかな暖かさがそこから拡がり、頭へそして胸へと拡がってゆく。身も心も蕩(とろ)けてしまいそうで全身の力が抜けてゆくのを、しっかりと支えてくれる力強い腕。
私、こんなに――
カクラ君のことが――
「好き」
潤んだ目で彼を見つめながら、暖野は言った。「私、カクラ君のことが、好き」
「俺もだ」
二人は再び熱い抱擁を交わした。
「痛いよ……」
込められた腕の力に耐えられず、暖野は声を漏らす。
「すまない」
フーマが力を緩める。だが、手は背中に添えられたままだ。
二人は互いにしばし見つめ合った。その余韻を、熱を冷ますかのように。
先に口を開いたのは、暖野の方だった。
「これって、どういうことなの? 初めは扉なんか見えなかったのに」
「ああ。おそらく、あの時にお前は俺に力を分け与えた。分散と言った方がいいのか」
「それで……」
「お前も俺も、今は力の半分ずつしか持っていないと思う。だから、お前ひとりでもここを見つけられなくなっていた」
フーマが、暖野に当てていた手を放す。それでも見えるものに変わりはなかった。それはきっと、以前キスしたときと同様に互いの一部を共有したからなのだと、暖野は思った。
「でも、どうして今またここに?」
「あの警報は、誤報だということになってるだろう? 人前では話せない」
「そうね。言っちゃいけないんだものね」
「お前まで嘘を信じなくていい」
フーマがリーウに言った脅し文句のことだ。「だが、あながち嘘とも言えないがな」
「どういうこと? あれが本当になったの?」
「あれから俺は学院長に会った。警報について何か聞けると考えたからだ」
「それで、何が分かったの?」
フーマが首を振る。
「そうなの……」
「学院直轄の部署が全力を挙げて調査中だ。だが、まだ確かな情報は得られていないそうだ」
「そんなに厄介なことだったのね……」
「ああ。それで、学内の調査機関では手が回らない部分について調べさせてくれるよう頼んだ。上の方は実質的専門的な調査で大変なことになっている。文献を調べることの許可も得た」
「それで図書館に」
「お前がいなければ何も先に進めない。閲覧可能な本に、そのような重要事項が記載されているはずがないからな」
知らぬ間に重大な役割を担わされてしまったと、暖野は思った。これでは純粋に再会を喜んでもいられない。
「じゃあ、あなたはここを開くために?」
「それだけだと思うか?」
暖野は首を振った。
「お前こそ、どうして図書館に来た?」
「分からない。ただ、何となく」
「俺もそうだ。ここにいると、お前に会えそうな気がした」
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下 作家名:泉絵師 遙夏