久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下
どうしようか迷った挙句、一か八か暖野は受付の方に行くことにした。トイと自分の汚れた衣服を持って。湯冷めしてはいけないので、トイには布団にくるまっているように言っておいた。
「ああ、やっぱりね」
受付には子供用の衣類一式が用意されていた。
ここでも暖野の要望はある程度通用するらしい。
だが、とりわけ暖野がこだわってしまうことがあった。
「トイ、ご飯にしよう」
着替えをさせてやった後、暖野は言った。
「やったー!」
トイが素直に喜びの声を上げる。
マルカを誘って食堂へ向かうが、そこに食事は準備されていない。
暖野のこだわり、それは――
料理することだった。
別段料理自慢という訳ではない。トイが見て喜ぶというそれだけの理由だ。着替えのように想像すれば出てくるのかも知れない。だが、下手でも美味しいと言って喜んでくれると、どうしても手料理を振舞いたくなる。
そして、実際暖野は料理が上手くなかった。ワンゲルで多少の経験はあるとは言え、家ではバレンタインのチョコすら作ったこともないのでは致し方ないことだった。
今日もハンバーグを作ろうとして、ただのそぼろ炒めになってしまっていた。スープはインスタントがあったので、それで誤魔化す。
「ノンノ?」
出て来たものを前にして、マルカが言う。「これは、何なのでしょう?」
「ひき肉のケチャップ炒め」
暖野は言った。
「思うのですが、ノンノがわざわざ――」
言いかけるマルカを、暖野は険しい目つきで睨んだ。
「――作ってくれたので、とても美味しそうです」
マルカが何とか察して言う。だが、顔は引き攣っている。
「お姉ちゃん。いただきますしよう! いただきます!」
「あ、はいはい。そうね」
暖野はトイに言って、食事が始まった。
この食事で喜んでいるのは、トイだけだった。マルカは顔を顰め、暖野は複雑な顔をしていた。
単純に子どもが喜びそうなものという理由でハンバーグにしようとしたが、初心者には難易度が高過ぎた。昼もオムライスを作ろうとしてケチャップライスになっていた。もっと料理の勉強をしておくべきだったと後悔する暖野だった。
食事の後は、部屋で昔話を聞かせた。ほとんどうろ覚えではあったが。しかし、両親という概念すら知らない彼にも話せそうなものを選ぶのに難儀した。
話の間にトイは、思いもつかぬ疑問を幾つも投げかけてきた。
「ねえ、どうしてマッチを擦るとご飯が見えるの?」
「どうして木の中から子供が出てくるの?」
前者はマッチ売りの少女、後者はかぐや姫のお話に対する質問だった。かぐや姫については、竹を知らないだろうと思い、木ということにしていた。
だが、子どもの“なぜ、なに”に答えるのは困難を極めた。
答えに窮した暖野が出した答えはこうだった。
「そのマッチは魔法のマッチだったから、欲しいものが見えたのよ」
「木だと思ったけど、本当は小さなベッドだったの」
だが、そこから更に質問攻めに遭ってしまう暖野だった。
遊び疲れていつしか眠ってしまったトイを見ながら、暖野は考えた。お話選びはもっと慎重にしよう、と。そして、料理も背伸びせずに自分の出来る範囲でやって行こうと。
でも――
暖野は思う。
自分の子供の頃、マッチ売りの少女に疑問とかあったのか、と。
今では思い出せないだけで、お母さんを困らせてたのかな――
次の日も、また次の日も、暖野はトイに様々な遊びを教えてそれに興じた。自分ではしたことのない男の子の遊びも適当なルールで楽しんだ。そして手を抜くこともあったが、可能な限り美味しい料理を自らの手で作るよう心掛けた。
おかげでトイは夜は早くぐっすりと眠ってくれるようになったが、その後暖野は今までで感じた以上の疲労を憶えていた。
お母さんって、大変なんだな――
暖野はつくづく思う。
元の世界に戻れたら、もっとお母さんを手伝わないと、と。
子供は元気だ。精一杯遊び、そして疲れたら寝る。自分もそうだったのかと暖野は考える。
ごっこ遊びという言葉が浮かぶ。
私は、お母さんごっこをしているだけなのかな――
船はその間も、どこの港に着くこともなく湖上を走り続けていた。夜の湖。水の匂いだけはする、月のない夜。船の明かりが水面を照らし、パドルが跳ね上げる水音が波のように静かに響く。
暖野はデッキにいた。
遥か前方を見てみても、そこには何も見えない。微かな水平線が視界を分かつだけだった。
会いたい――
暖野は思った。
リーウに。そしてフーマに。
この新しい経験を分かち合いたい。
会いたい――
風が髪をなぶる。
カクラ君……
好き――
「好き」
暖野は声に出して呟いてみた。
その言葉は風に乗り、はるか後方へ流されて行った。置き去りにした世界の向こうへ。
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下 作家名:泉絵師 遙夏