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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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11. 思いと言葉


「お姉ちゃん」
 目を開けると、トイの顔が間近にあった。
「ああ、トイ」
「お姉ちゃん、元気?」
「うん」
 暖野は体を起こした。「おはよう。今日は元気よ」
「よかった!」
 そう言うと、トイはリビングスペースの方へ駆けて行く。そしてすぐに何かの皿を持って戻って来た。「はい、これ」
「これは?」
「昨日、お姉ちゃんが作ってくれたの見てたから」
 そうか、あのサンドイッチを真似たのか――
「お腹空いてるでしょ?」
「う、うん……」
「いっぱい食べて、元気になってね」
 皿を受け取る。
 一見、生肉の塊にしか見えないが、よく見ると確かにサンドイッチのようだ。皿には上手く収まりきらなかった具が溢れ、野菜くずが散らばっている。
「有難うね」
 強ばった笑顔を浮かべ、暖野は言った。
 それに手を伸ばそうとする。
「お姉ちゃん」
 見ると、トイが手を合わせている。
 そうか、いただきますをしろと言うことね――
 自分が教えたのだから、やらないわけにいかない。
「いただきます」
 暖野は手を合わせて言った。
 恐る恐る手を伸ばし、グロテスクな物体をつまむ。だが、水分を吸ったそれは、いとも簡単に崩れ落ちた。
 それでも何とかして口に運ぶ。具はイワシのトマト煮のようだった。初めて食べるものだが、味は悪くない。見た目は最悪だが。
「ごちそうさま」
 ほとんど拾い集めながら食べなければいけなかったが、半分ほどを残してしまった。
「もうお腹いっぱいなの?」
「うん、せっかく作ってくれたのに、ごめんね」
「おいしくなかったから?」
 トイが悲しそうな眼をする。
「ううん。美味しかった。でも、まだちょっと元気ないみたい」
 心配させるのは悪いが、さすがにこれ以上は食べられなかった。
「そうなの? じゃあ、もっと寝てなきゃ」
 無理矢理ベッドに寝かせようとする。
「いっぱい寝たから、もう眠くないよ」
「でも」
「おトイレ行って来ていい?」
 子どもでも、それはさすがにダメと言うことは出来ないだろう。トイはそれでようやく暖野を解放した。
 まず手を洗う。次いで顔を。鏡に映る自分は、少しやつれて見えた。
 乱れた髪を直し、暖野部屋に戻る。
「ねえ、トイ。マルカはどこ?」
「おじさん? そこにいるよ」
 トイはリビングスペースを指した。
 そこには、ソファで寝ているマルカがいた。あの後、二人の間で何があったのか知らないが、マルカも慣れない子どもの相手で疲れてしまったのだろう。
「起こす?」
 トイが訊く。
「いいわ。そのままにしておいてあげて」
 トイは不満な様子だ。
 暖野はまたデッキに出る。カーテンを全て引いた室内は薄暗い。せっかく朝なのだから、明るい陽射しを浴びたかった。
「お姉ちゃん、寝てなきゃ」
「トイ、こっちにおいで」
 引き止めるトイを遮り、暖野は誘った。
「寒くない?」
「うん。お日さまが暖かくて気持ちいい」
 トイが暖野の隣に立つ。
「お姉ちゃんは、お日さまが好き?」
「うん。好きよ」
「僕も、たぶん好き」
 トイが“たぶん”と言った口調が、暖野は気になった。素直に好きと言えない、何らかの事情がありそうだった。だが、それをどのように聞いてよいのか分からないし、恐らくトイも答えることが出来ないだろう。
「お日さまはね、元気をくれるのよ?」
「本当?」
「本当よ。トイも、こうしてると元気になってくるでしょ?」
「そうかなあ」
 トイが首を傾げる。「でも、ちょっと元気になったみたい」
「うん。だから私も、お日さまに元気をもらうの」
「分かった。僕もお姉ちゃんと一緒に元気をもらう」
「おいで」
 暖野はデッキチェアに腰を掛け、トイを引き寄せる。
 トイは初め戸惑っていたが、暖野の膝に大人しく座った。
 その時、暖野の中に何かが流れ込んできた。
 これは――
 思わず暖野は繋いでいた手の力が抜けてしまう。
「どうしたの?」
 その僅かな動揺を感知して、トイが見上げて来た。
「ううん、何でもない」
 暖野は努めて優しく言った。「トイって、あったかいのね」
「うん。お姉ちゃんも」
 暖野はその小さな体をそっと抱き寄せる。訳もなく、たまらなく愛おしい気持ちになっていた。
 トイの頭を撫でながら、暖野は考える。
 さっき流れ込んできたものは何なのだろうか、と。
 優しく、切なく、やるせないような気持ち。言葉には出来ない無力感のようなもの。
 トイは“元気”という言葉に過敏に反応しているように思える。こんな小さな子供が、そこまでの思いを抱えているというのか。それとも自分の中の何かが、この子を介して何かを伝えようとしたのだろうか。
 暖野が引き寄せた時、トイの身体が少し強ばっていた。
 この子は、こうして誰かに抱(いだ)かれたこともないのかもしれない――
 我知らず、暖野はトイを抱きしめていた。
「痛いよ」
 言われて力を緩める。
「ごめんね」
「どうしたの? お姉ちゃん、またお腹痛いの?」
 トイが見上げて訊く。
「痛くないよ」
 言いながら、目頭が熱くなっているのに気づく。「トイ。寂しかった?」
「ううん」
 トイは首を振る。「さびしいって、何?」
「いいのよ。でも、こうしていたいでしょ?」
 今度は優しく彼を包み込む。
「うん。あったかくて、眠たくなってくる」
「寝ていいのよ。ずっと私を守っていてくれたんだから」
 この子は、寂しいという言葉も知らない。でも、きっと知らないだけで、寂しかったのだろうと暖野は思った。例えそれを表す言葉を知らなくとも、その感情は確かにあるはず。知らなければそれでいいということでは決してない。
 “あったかくて、眠たくなる”
 それはきっと、安心ということなのだろう。小さな子どもは、多くの言葉を知らない。だがその分思いは強い。伝えるべき言葉の単純さには、大人でさえはっとさせられるものがある。
 トイはいつの間にか、その言葉の通りに眠ってしまっていた。
 この小さな体に収まりきらない思いを、きっとトイは抱えているのだろう。
 安心して、おやすみ――
 そう言えば、まだ“おやすみ”を教えていなかったな――
 船は青い湖上を走り続ける。遥かな山並みに雲が湧き上がっているのが見えた。
 雲はあるのに、雨は降らないんだ――
 降ってくれてもいいのに、と暖野は思う。
 船上なら、濡れる心配もない。長らく聞いていない雨音、雨が降る前独特の土臭い匂い。曇りゆく空の憂鬱。雨は、時に嫌なことを洗い流してくれる。だが、ここでは雨は降らない。
 暖野はトイを抱きかかえて船室に戻ると、そっとベッドに横たえた。
 トイもマルカも眠っている。カーテンを開けるわけにもいかなかった。
 無性にコーヒーが飲みたくなる。
 部屋の隅にはコーヒーメーカーがある。ルクソールでの見よう見真似ではあるが、自分で淹れることにした。
「一杯につき一匙、少なく作るときは粉は多めに……」
 思い出しながらセットする。何杯飲むか分からないので、とりあえず4杯分にした。マルカが起きて来た時のために、というのもあった。
 初めて自分で淹れたものがどんな味か、カップに注いでまず匂いを嗅いでみる。
 香りはいい。だが、味の方はどうか。