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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下

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2. 流せないもの


 暖野は跳ね起きた。
 全身、汗まみれだった。
 状況が分からない。
 ただ汗だくで激しく肩で息をしているだけ。
 強く握りしめた手の痛みで、ようやく我に返る。
 激しくドアが叩かれている。
 ドアの向こうから彼女の名を呼ぶ声が聞こえる。
 それは、聞き覚えのある声のはずだった。
 音のする方へ、ゆっくりと顔を向ける。
 視線は、自分の置かれた立場を認識するためでもあるかのように、しばし宙をさまよった。
「ここは……」
 港町の宿屋。その自分の部屋だった。
 戻って来た――
 他人事のように思った。
 と、いうことは――
「マルカ!」
 暖野はベッドから飛び降り、危うく転びそうになった。布団が足に引っかかってずり落ちる。それを蹴り飛ばしてドアに駆け寄る。
「ノンノ!」
 ドアを開けようとするが、なかなか開かない。掛けた覚えはないが、スライド式の鍵が引かれていた。
「待って! そんなに――!」
 ドアを開けると、マルカがノブを掴んだまま前のめりに倒れ込んできた。
 暖野は慌ててそれを支える。
「ノンノ、何があったんです!? すごい悲鳴でしたが!」
 マルカが息せき切って言う。
「うん、ああ――」
 マルカの慌てぶりを前にしては、戻って来られたという事実や自分の感情など二の次になってしまった。「なんとか」
「何とかではないでしょう。あれだけの大声だったんですから」
「そんなに大きかったの?」
「そうでなければ、こんなに驚きはしませんよ」
「びっくりさせて、ごめん。夢を見てたみたい」
「また、恐ろしい夢を見たのですか?」
「そうね、多分……」
 今は、詳しく話せる気分ではなかった。「でもマルカ。よかった」
 暖野はマルカの肩に両手を置いた。
「ちょっとノンノ、どうしたんです? そんなに怖い夢だったのですか?」
「違うの。マルカが無事で」
「私が? 私がどうかしたのですか?」
 マルカが怪訝な顔で訊いてくる。
「ううん」
 暖野は首を振った。「何でもないの」
「何でもないということは、ないでしょう」
「本当に。驚かせてごめんね」
「いえ、そんなことはいいんですが」
「少し、一人にしてくれる?」
 暖野は言った。
「一人で、大丈夫なのですか?」
「うん。多分」
「分かりました」
 マルカはしばし暖野を見つめていたが、やがてそう言った。
「ねえ」
 出て行くマルカに、暖野は訊いた。「今は、いつなの?」
「いつと言われましても……」
 マルカが困惑した表情を向ける。「明日も、町に出るのはよしましょう。ノンノには休養が必要なようです」
 ドアが閉められる。
 せっかく気を遣ってくれたのに悪いことをしたと思いながら、暖野はそれを見送った。
 マルカは“明日も”と言った。何日も会えなかったような素振りなど全くなかった。それはつまり、こちらでは日は過ぎていないということだ。
 暖野は溜息をつく。また新たな謎が生まれてしまったからだ。
 懐中時計を取り出して眺める。あの時は統合科学院の制服のポケットの中だったが、それはベッドサイドのチェストの上に置かれていた。
 この時計では日付や午前午後までは判らない。だが針は真夜中を指していた。2時過ぎ。あれは1時間目が終わってすぐの出来事だったから、明らかなずれがある。
 時計を閉じると、暖野は浴室へ向かった。
 考えるのは後だ。汗にまみれた身体は酷く不快だった。どうせこのまま眠ることは出来ない。とりあえず、体だけでもすっきりさせたかった。
 いつもより熱いシャワーを浴び、心のざわめきを整える。汗と共に身にまとわりついた不快なものを洗い流すかのように。
「やるか」
 入浴を終えると、少し気合いを入れる。
 湿ってしまった浴衣は、もう着る気になれなかった。仕方なく暖野は制服に着替えて階下に向かった。
 食堂で、冷蔵庫から牛乳を出す。
 リーウが全力で降参していたのを思い出し、笑みが漏れる。だがそれも、直(じき)に寂しいものになる。
 暖野はそれを振り切るかのように、牛乳を一気に飲み干した。
 部屋に戻り、汚れた浴衣をまとめた。以前のように洗濯してもらおうと考えたからだ。これこそが現実的な思考と行動なのだろうが、暖野にとってはある種の現実逃避のようでもあった。
 窓を全開にする。閉め切ったままの部屋の匂いは自分でも嫌になることがある。どうせこの世界には虫もいない。
 部屋にいてもすることもない。暖野はドアを開けた。
 そこには、マルカがいた。
「眠れないのですか?」
 心配げな表情だ。
「ごめん、起こしちゃったのね」
「どうぞ気にしないでください。そんなことより、本当に――」
 マルカが言いかけるのを遮る。
「眠れないのは確かだけど、眼が冴えちゃったのよ。それだけ」
「本当に、それだけなのですか?」
「ええ。たまにはね、一人で考えごとしたい時もあるのよ。明日もゆっくりするんなら、いいでしょ?」
「ええ、それは、まあ」
「ごめんね、いつも心配かけて」
「……」
 マルカが不審げに暖野を見つめる。
「ドアは開けておくわね。風を通したいから」
「はい。私が見張っておきます」
 その言葉に思わず笑みがこぼれてしまった。
「どうせ誰もいないんだし、その必要はないでしょ?」
「そうですが……」
「じゃあ、私はちょっと屋上で風に当たってくるね」
「はい」
「戻ったら自分でドアを閉めるから、マルカは寝んでて」
 暖野はそう言って、屋上へ向かった。
 灯りは全て消え、ジュークボックスの派手なネオンだけが無人の空間を寂しく彩っていた。暖野は機械に向かい、今の気分に一番合いそうなものを選曲するよう念じた。
 照明の点け方は知っているが、そのままで湖の見える席に腰を下ろす。
 色々なことが一時に起こり過ぎて、どこから手をつけてよいのか悩んでしまう。
 そして、フーマのことを思った時――
「あっ!」
 思わず声を上げる。
 洗ってしまった……
 唇に指を当てる。そして、ゆっくりとなぞる。
 こういうのって、洗ってはいけないものではなかったのか。少なくとも心惜しい気持ちのひとつでもあればまだしも、汗まみれになって気持ち悪いからという理由で何の考えもなく洗い流してしまったことに自責の念を憶えた。
 でも――
 そもそも、何故後悔しなければならないのか、と思い直してみる。
 フーマのことなど、別にどうでもいい。そのことに気を捕らわれる必要はないはずだった。
 でも、私の初めての……
 自分でも顔が熱くなっているのが分かる。頭の中が痺れたようになり、あの瞬間のフラッシュバックに占領されてしまう。
「あー! ダメダメダメ!」
 激しく頭を振る。
 思い出しただけで、自分で恥ずかしくなる。
「もう! 何てことしてくれたのよ!」
 いない相手に怒りをぶつける。
 でも――
 彼は何か言っていなかったか。
 最後の最後に。
 信じろと……
 いや、それだけではない。
『許せ』
 そう聞こえた気がする。
 それまでの暖野を励ましたり先へ進ませようとする言葉とは異質な、許せという言葉。あれはどういう意味なのだろう?
 無理に唇を奪ったことに対してか、それとも――
 何か他に意味があったのだろうか、と考えてみる。