久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下
6. 開宴
「心の準備は良いかね」
舞踏会場、メインホールへのの大扉を前にして、イリアンが暖野に確認する。
覚悟はしていたものの、暖野は緊張に唾を飲み込んだ。
「少し、待ってもらえますか?」
何度か深呼吸をして心を落ち着けようとする。
ここは二階、中へ入ったら嫌でも注目を浴びてしまう。それに、イリアンのエスコートはここまでで、後は一人で皆の前に出なければならない。
「階段の上で一礼して、ゆっくり階段を降りるだけだよ。そう硬くならなくてもよい」
「そんなこと言われても……」
「さあ、こればかりは時間が解決してくれることでもない」
暖野は優しく背を押される。イリアンが後ろ手にサインを送る。
大扉の真正面に立つ。
イリアンが目につかぬように扉の脇に引き下がった。
扉が、音もなく静かに、静かに開き始める。漏れ出る光の筋はやがて暖野の全身を照らし、きらびやかな照明が目を射った。
会場中から拍手が沸き上がる。それは広いホールにこだまして流れ落ちる滝の音のように耳を打った。
一歩、また一歩と慣れない足取りで、暖野は前に出る。
映画でしか見たことのないような光景に息を呑む。誰もが動きを止め、暖野を見つめているのが見える。二階と言っても通常の高さではない、それに今は階下のホールが遥か下にあるようにも感じられた。
拍手が次第に収まり、暖野は階下を見る。ちょうど階段を降りた先に、フーマが一人で立ってこちらを見ているのを認めると、暖野はぎこちなく微笑んで見せた。その向こうでは、リーウが呆気にとられたように突っ立っているのが認められた。
気が遠くなるほどの緊張感を押し殺しながら、暖野は教えられたように腰を屈めてお辞儀をした。まさか自分が生きている間にこのようなことをしようなどとは、暖野は夢にも思わなかった。
再度、大喝采が起こる。
お辞儀は一度だけ。もう一度頭を下げたくなる衝動を抑えて、暖野は足を踏み出す。階段を踏み外さないように慎重に降りる。ここで転倒しては一生の恥だ。もっとも、今夜限りではあるのだが、自分が消えてなくなってしまうわけではない。恥を抱えて元の世界に戻って後悔するなど真っ平ごめんだった。
そんな暖野の動きを、フーマが目で追っているのが分かった。彼だけではなく、居合わせた全員が暖野を見守っているのも。
足元が見えないというのは心許ないことこの上ない。一段一段を確かめるように降りてゆく。それが自然と優雅な印象を与えてしまっているのか、皆が沈黙のうちに注視している。或いは、あまりにも不安定で心配しているだけなのかも知れないが。
何とか醜態を晒すことなく、無事にフロアに降り立つことが出来たときには、大きく息をついた。それまでは緊張のあまり呼吸すら忘れていたのだった。フーマが頷いて見せる。そして、暖野に向かって手を差し出した。
駆け寄ることも出来ないため、しずしずと彼の前に立ち、その手を取ると、三度目の喝采に包まれた。
「お前は、やはり美しい」
喧騒の中で、フーマが言う。
「嫌よ、そんな……」
暖野は頬を赤らめる。どうも、美しいと言われるとこそばゆい。
「暖野」
フーマが腰を屈めて、暖野の手の甲にキスをした。
「え……あ……」
衆人環視の元での仰々しい儀礼など、暖野は慣れていない。せいぜい入学式か卒業式くらいが精一杯だ。すっかり頭に血が上ってしまい、何も言えなくなる。
「お前は最高だ。その髪飾りも似合っている」
真っ直ぐに立ち、フーマが言う。
「そんな、最高だなんて……」
静かな音楽が流れ始める。煽るでもなく静かに、そして軽やかに。
「フーマこそ」
「何だ?」
「恰好いいよ」
「そうか?」
暖野は微笑んで応えた。
礼装に身を包んだフーマは、いつもよりも遥かに凛々しかった。
「なんだか、照れくさいね」
「そうだな」
「ねえ、こんな時って、どうしたらいいのかしら?」
「まずは一曲、踊れということだ」
「え? 私、踊ったことなんてないよ」
「心配するな」
フーマが、手を取ったまま左腕を暖野の腰に回してくる。
「ちょ……ちょっと!」
音楽が変わる。同じようにスロー・テンポで落ち着いた曲だった。
「俺に合わせろ」
「合わせろったって……」
フーマが僅かに左右に体を揺らし始める。バランスを崩さないよう、暖野もフーマの腰に左手をあてがう。
「フーマ、こんなこと、どこで覚えたの?」
「俺だって初めてだ」
「嘘」
特に何かをしているわけでもない。ただ向き合って揺れているだけ。
「嘘じゃない」
「だって――。でも、ダンスってこれだけなの?」
「これだけとは?」
「ずっと、こんな風でいいの?」
「もっと派手に踊りたいのか?」
「そ……そんなんじゃないけど――」
「ほら、回れ」
右手を高々と掲げられ、言われるままに暖野はその下で回転する。そして、今度は左手で暖野の手を取り、右手を腰へ。
「急に何するのよ?」
弧を描くように、フーマが右へ移動する。ある程度行くと、もう一度回転。そして左右の手を入れ替えてから左へ。
「適当に、この繰り返しだ」
「うん……」
「何も考えるな。ただ感じろ」
暖野は頷く。
次の動きは目で合図してくれる。暖野の瞳はそれに釘付けになる。周囲からは、互いに見つめ合っているようにしか見えない。
演奏が次第に高まりゆく中、二人の動きも熱を帯びたものになってくる。
それに合わせて、ティアラ、腕輪、そして足元から光軌が尾を引く。
ひと際高くフィナーレが奏され、二人のダンスは終わった。
見とれていた人々の間から自然に拍手が沸き上がる。二人は観衆に向かって何度か形式ばったお辞儀をした。
「ああ、緊張したぁ」
暖野は正直な感想を言った。
「初めてと言う割には、様になっていたぞ」
「馬鹿、もう足が攣りそうよ」
「ノンノ!」
文句を言っているところへ、リーウが走り寄って来ようとする。だが、バランスを崩して前のめりに倒れ込みそうになった。
「あ! 危ない!」
暖野が叫ぶのと同時に、フーマが飛び出して素早くリーウの身体を受け止めた。
「ふぅ……助かった!」
「マーリ、少しは考えろ」
「大丈夫? その格好で走るのは幾らなんでも……」
暖野も手を差し伸べる。
「ごめん、つい」
「次は助けないからな」
悪いとも思っていないリーウに、フーマが言う。
「気をつけるわよ。そうそう何度も転んでたまるもんですか」
その言い方に、暖野は笑ってしまう。
「さっさと立つのよ」
二人の手助けで、リーウがようやく立ち上がった。
「ノンノ」
改めて、リーウが暖野を凝視する。「見違えたわ」
「そんなに?」
「うん、もう天使じゃない?――ううん、女神様よ!」
「それは、さすがに言い過ぎ」
暖野は苦笑する。
フーマが暖野にだけ分かるように目配せして、そっとその場を離れた。
「それでも言い足りないくらいよ。あんたが出て来た時とか、女神様降臨そのものだったもん。思わず拝んでしまうところだったわ!」
「だからって、ホントに拝まないの!」
目の前で手を合わせるリーウの胸を軽く突く。
「でも、女の私でも惚れ惚れしちゃうくらいに綺麗よ。もう、フーマから奪ってしまいたいくらい」
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~下 作家名:泉絵師 遙夏