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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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 お母さんが、また謝る。「もっと早くに言ってあげられたら良かったんだけど……」
 その後、何と言っていたのかは思い出せない。ただ、最後に“修司のこと、お願いね”と言われた以外は。
 それからのお父さんは、毎日狂ったように電話をしていた。お婆ちゃんの所に電話しているのは、その内容からも分かった。
 私と修司がいるにも関わらず、大声で罵っていた。
 お願い、やめて――!
 私は心の裡で叫んだ。まだ幼稚園を上がったばかりの修司は、怯えて私にしがみつくだけ。それを庇いながら、部屋の隅で小さくなっていた。
 お母さん、もういないんだ……
 隣では、修司が安らかな寝息を立てている。
 泣いちゃいけないんだ。私が泣いたら、修司がもっと寂しがる――
 私は修司に背を向けて泣いた。声を殺して。
 泣かせてよ、私にも……。涙でぐちゃぐちゃになるくらい、泣かせて――
 私だって、寂しいんだよ……

 暖野は跳ね起きた。
 今のは、何――!
 頬が涙で濡れている。
 それに、体全体を絞られるような悲しみ。まるで毒薬に侵されたように脳髄が悲鳴を上げている。あたかも体中の体液を涙に変えてしまうかというほどの苦痛だった。
「待って――!」
 暖野は声を上げる。
 そして、頭を抱え込む。
「これは、私じゃない。私じゃない――!」
 だって、お父さんはこの前、私が倒れた時、心配して起こしてくれたじゃない!
 家族で温泉に行こうって言ってたじゃない!
 ……晩酌しながら、お母さんと楽しそうに話してたじゃない……
 夢の中で泣けなかった分、暖野は泣いた。
 なぜ泣かねばならないのかは分からないままに。
 夢なのに、ただの夢のはずなのに――どうしてこんなに悲しいの――?
 訳の分からないままにひとしきり泣いた後、暖野はしゃくり上げながらベッドにいた。
 あれだけ泣いたのに、まだ泣きたい衝動が突き上げてくる。それを断ち切るように暖野は立ち上がると、洗面所で顔を洗った。
 暖野はマルカに気づかれないよう静かにドアを開ける。
 無性に音楽が聴きたかった。それも、とびきり悲しい曲を。それでしか慰められないかのように、楽しいメロディは聴きたくもなかった。
 階下にはそういうものがないのは知っている。暖野は屋上に出てみようと思った。
 ドアを開けると、パラソルが目に入った。テーブルと椅子もあり、ちょっとした展望レストランのような雰囲気だ。灯りが消えているせいで、どれも夜の蒼に沈み耽っている。
 風が、暖野の哀しみを癒すかのように優しく吹いている。温かくもなく、冷たくもなく、そっと。
 ビールでも飲んじゃおうか――
 暖野は思う。しかし、それはやめた。一度、あまりに雄三が美味しそうに飲んでいるのを見て、口をつけたことがある。苦いだけで、美味しくもなんともなかった。
 雄三は、そんな暖野を見て、“まだ子供だな”と笑っていた。
 お父さん……
 俯いていた顔を上げると、屋上への出口の脇にカウンターがあるのが目に入った。屋上スペースの半分には屋根がある。カウンター横にはジュークボックスが置かれている。暖野はそれを映画やゲームセンターで見たことはあるが、実際に使ったことはない。
 近づいて見ると、コイン投入口がある。曲目が書かれているらしいボードは読めない。
 ここで使える通貨など持っていない暖野は、どうすべきか少し考えた。
 まさかと思いつつ、マナを使うイメージをしながら適当に曲を選ぶ。
 中で音がして、ややあってから曲が流れだした。
 優しい曲だった。
 いつの間にか、カウンター上に瓶と氷の入ったグラスが置かれている。
 随分と気が利くのね……
 暖野はそれを持って、一番湖に近いパラソルの下に座った。
 明かりは点けないままに、グラスに瓶の中身を注ぐ。それは、アップル・ソーダだった。
 弱い炭酸の刺激と甘い香り以外に特に主張のないそれは、今の気分にぴったりだった。
 ピアノの旋律が終わり、自動的に次の曲がかかった。暖野はただそれに耳を傾ける。聴いたことのないメロディ、それなのにこの世界で聴く曲はどれも懐かしい。もちろん、暖野が昔聴いたことのあるどの曲でもない。
 先ほどまでの体中から絞り出されるような悲しみは、今はない。
 寄せては返す、波のような悲哀。知りもしない哀切。旋律が感情に同調し、それを崩さぬまま共に引き上げてくれる。
 また、涙が零れる。
 暖野は手を強く握りしめた。
 皆が離ればなれになるなんて――
 そんなのって、ない――!
 お母さんもお父さんも、あの生意気な修司も、みんな一緒なんだから――
 帰るんだ。みんなの所に――
 絶対に。