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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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15. 幼き慟哭


 今日はどこにも行かず、ゆっくりしようということで、暖野は部屋に戻った。
 夜までにはまだ時間があるし、かと言って今寝るとまた眠れなくなりそうだった。毎日、元の世界にいた時よりも十分眠ってはいるのだが、きちんとしたベッドで眠れるのは1週間以上ぶりだ。
 柔らかで清潔なベッドは、今すぐ何も考えずに潜り込むよう誘惑してくる。
 床には入浴前に脱ぎ散らかしたままの衣服。
 ものは試しだ、やってみよう――
 暖野はそれらをまとめてずっと寝る時に使っていた布にくるみ、階下の受付横の外側から目立たない場所に置いた。そしてメモ用紙に、“ランドリー・サービスお願いします”と記してその上に載せた。
 マルカにもそうするように話したが、その答えは意外なものだった。
「私はいいです。お風呂に入れば、きれいになりますから」
 って、服着たままお風呂に入ってるの――!?
 まさか、それはないだろう。入浴ついでに洗濯もしているということか、と暖野は思うことにした。
 色々と器用な彼のことだ、きっとそうに違いない。
 久々のまともな寝床だ。それに食事も。
 特にすることもないので、食べたいものについて思いを巡らす。
 すき焼き、ハンバーグ、グラタン、茶碗蒸しにうどん、寿司。カルパッチョ、麻婆豆腐、ピザ、グリーンカレー……
 脈絡もなく食べ物が浮かんでくる。どれも久しく食べていないものばかりだ。全部一度に出て来ても困るが、どれか一つを選べと言われても難しい。
 まあ、いいか――
 ここの、お薦めで――
 こんなにお洒落な宿なのだから、料理もそれなりのものが出てくるだろうと暖野は思った。
 そして夕食。
 食堂は、レセプション・ホールに直結した、入口から見て左手にあった。
 ピンクと白のチェック柄のテーブルクロスがかかった上には、ちょっとしたフレンチのフルコースが用意されていた。白身魚のムニエル、小ぶりのステーキ、サラダにスープ、主食は白米だった。
 ごはん――!
 大げさだが、暖野は感激した。移動中ずっとパンばかりだったため、白いご飯は久しぶりだった。
「美味し」
 思わず笑みが漏れる。
 ご飯のお代わりが欲しいと思って見回すと、給仕用のものらしいカートの上に何故かお櫃が載っていた。この際、フレンチにお櫃という取り合わせについては不問だ。暖野自身も浴衣姿なのだから。
 料理の美味しさもあって、ついつい笑ってしまう。
「ノンノ、何が可笑しいのですか?」
 マルカが訊く。
「だって、美味しすぎて笑っちゃうのよ」
 ふふふ、と暖野は声を立てて笑う。
「そうですね。美味しいものを食べると、幸せな気分になりますからね」
「でしょ?」
 他には誰もいないと知りつつ、はしたなくない程度に聞きかじりのテーブルマナーは守る暖野だった。ただ、食べた量は淑女としては、いささか過ぎたかもしれないが、そこは致し方ないだろう。
「食べすぎちゃった」
 デザートのケーキまで平らげて、暖野は言う。「で、マルカはビールは飲まないの?」
「もう頂きましたよ」
 そうだったのか――!
 私の知らない間に、風呂上がりの一杯をやってたのね――
 マルカは言っていた。ノンノみたいに、と。
 彼がどんな風な飲み方をしていたのか見てみたくもあったし、自分の真似をしていたのなら見ないでよかったのかも知れないと、複雑な気分になる暖野だった。
「じゃあ、もうお風呂も済ませたのね」
 試しに訊いてみると、答えはもちろんイエスだった。
 変なこと、覚えられても……
 澄ました顔でナプキンで口元を拭っているマルカを、暖野は恨めしそうに見るのだった。
 レストランから前庭へは直接出ることが出来る。二人はそこで食後のコーヒーを飲むことにした。
 ここにはサロンのようなものはないのかと見てみたが、あいにくありそうになかった。近代的とは言えないまでも、雰囲気的に蓄音機や重厚な内装は似合わない。
 落ち着いて音楽でも聴きたい気分だったが、叶いそうになかった。人並みの空間で過ごせるだけでも有難いと思うべきなのだろう。
「今日はもう休みましょう」
 カップを置いて、暖野は言った。
「そうですね。今から出るには遅いですし」
「お腹いっぱいになったら、眠くなってきちゃった」
「無理もないですよ。ずっと歩き詰めだったんですから」
「ええ。マルカこそ」
 カウンター上にある水差しとグラスを持って、二人は部屋へと戻ったのだった。
 一人になると、することもなくなる。さりとてマルカといても、今は話すこともない。たまにはマルカにも一人の時間が必要だろう、とも暖野は思った。
 眺夕舘という名前だけあって窓からの夕陽は素晴らしかった。
 窓辺に寄り、湖に没しゆく夕陽を見つめる。これだけは、毎日見ていても飽きることがない。
 風の加減でか、湖面に一筋のラインが見える。窓からも港は見えるが、船の姿はない。
 そうしている間にも光源を失った空は暮れなずんでゆく。
 暖野は窓を閉め、カーテンを引いた。
 ベッドに腰を下ろすと、溜め息が漏れる。
 この世界へ来て十日以上になる。少しは慣れてきたが、元の世界が恋しくないわけではない。それと統合科学院のことも気になった。
 どの世界も時間的にはリンクしていないはずなのに。自分だけが皆の過ごす時間から外されて、無駄に気を揉んでいる気もする。
 この世界へも、通いだったらいいのに――
 暖野は思う。眠っている間だけこちらに来るのなら、幾らかは楽だったろうと。
 だが、果たしてそうなのか。眠っている間にこの世界へ来て、この世界で眠ると時々魔法学校へ行く。
 そう、この世界で眠っても現実世界には戻れない。
 それに……
 これって、ほとんど寝てないのと同じじゃ――
 それはさすがになさそうだった。十分な睡眠を取れていることは、体が一番知っている。むしろ寝過ぎなくらいだ。
 今日は、リーウと会えるかな……
 そう思いながら、暖野は眠りに落ちていった。

「お母さん……」
 暗い。
 電気は消えているのか。
 私は布団の中で丸まったまま思う。
「お母さん……?」
 返事はない。
 そうか、お母さんは――
 ここは家だった。つい数か月前まで楽しかった、どこにでもある普通の家庭だった。
 でも、今は……
 お母さんは出て行った。そして、帰って来なかった。
 私の知らない所で、お父さんとお母さんは喧嘩していた。いや、知らなかったのではなく、ただ分からなかっただけだった。喧嘩の回数が増えていることも、夜中に怒鳴り声が聞こえていたことも、知ってはいた。それでも毎日ふたりは私に優しくしてくれたし、いつも通りの日々が続くことを疑ってもいなかった。
 でも、ある日突然に、お母さんは買い物に行くと言ったまま、帰って来なかった。
 その日、家に私以外に誰もいない時間をちょうど見計らって、電話があった。
「ごめんね、暖野。お母さんとお父さんね。別れることにしたの」
 いきなりの告白に、受話器を握りしめたまま呆然とした。「いま、お婆ちゃんの所にいる。暖野も修司もこっちへ来られるようにちゃんとするから、それまで我慢して」
 電話の向こうで、お母さんは泣いているようだった。
「今まで黙っててごめんね」