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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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 キーの一つをマスターが押すと、大げさな音を立てて引き出しが開いた。中に仕切りがあり、紙幣などを入れるようになっている。
「日本でも、僕の子供の頃はこういうのがたくさんあった。でもこれは概ね150年くらい前のものだから、もっと年季が入ってる」
「高かったんでしょう?」
 値段を聞くのもどうかとは思ったが、好奇心には勝てない。
「高いと言えば高いし、そうでないと言えばそう」
 まあ、骨董品の価値なんて、そんなものなんだろうな、と暖野は思った。
「物々交換だったんだ。普通の雑貨屋で使われていたのを見つけてね。新しいレジを買ってあげる条件で引き取らせてもらった」
 なるほど、そういう取引もあるのか。暖野は感心した。
「どう? 2杯目は向こう式で飲んでみる?」
 手垢が付き、所々文字の薄れた機械を物珍しげに見ている暖野に、マスターが訊く。
 というわけで、暖野は2杯目もごちそうになってしまった。
 しばらくは買付旅行の話を聞いていたが、ふと会話が途切れたときに、暖野は例のことを口にした。
「あの……」
 マスターが注視する。その顔は、わずかの間に変わった暖野の表情に、明らかに戸惑っていることを物語っていた。
 暖野は手にした時計に視線を落とした。
 見つめられて、言うべきかどうか今さらながらに迷いが出てくる。時計の出所などについて訊いてみようと考えていたのだが、内容が内容だけに話し辛かった。
「なんだね?」
 マスターが心持ち表情を弛めて訊ねる。
「……」
「どうかしたのかな?」
「いえ。……そういうわけじゃないんですけど……」
 はっきり言って、自分のしようとしている質問は馬鹿げていると思った。しかし、ここで訊かなければ、後々までしこりが残ってしまう。
「あの……」
 思い切って、暖野は口を開いた。「この時計、どこで仕入れてきたんですか?」
 こんな何でもない問いを発するのに、どれだけ勇気が必要なんだか――。
 だが、とりあえずきっかけを掴んだ暖野は、気持ちが萎えないうちに続けて言った。
「この裏に、何か文字が彫ってあるの、知ってました? ひょっとしたら、マスターなら知ってるかと思って――」
 どうも取って付けたような理由だなとは思った。それでも暖野は裏蓋を外し、そこに彫られたものをマスターに見せた。
「ああ。これはタンセンで見つけたんだ。といっても分からないね。ネパールの小都市だよ。でも、そこに書いてるのは向こうの文字じゃない。僕の知る限り、そんな文字は見たことがないよ」
「そうですか。これもネパールで……」
「うん。3年前にね」
「よく憶えてますね」
「当たり前さ。こんな商売をしてると、出所とか由来を聞いてくるお客さんもいるからね。それに――」
 マスターは、言いかけて口をつぐんだ。
「何ですか?」
「ああ、この時計は特に印象に残っているんだ」
 暖野は心持ち身を乗り出した。
「何かあるんですか?」
「この時計はね、ちゃんとした店で買ったものではないんだ。とは言っても、この仕事は骨董品店で買い物して流すようなことでは成り立たない。大抵は人から見向きもされないようなところを巡っては、誰もが価値を認めそうにもないものに価値を見つけるって言えばいいのかな」
 マスターが自嘲気味に言う「それは潰れかけた雑貨屋みたいな店の奥で、たまたま見つけたんだよ。普段なら職業的な勘で見向きもしないような店なんだが、そのときは何故か吸い寄せられるようにそこに入った。そして、この時計を見つけたんだよ」
 マスターは、そこでお茶の残りを飲み干して続けた。
「僕はどうしてだか、これを買わないといけないような気がした。で、そこの主人に訊ねた。最初は1万円くらいの値段を言ってきたんだけど、最後にはただ同然で引き取ることができた。でも交渉が成立したとき、店主が奇妙なことを言ったんだ」
「奇妙って、どんな?」
 暖野は勢い込んで訊いた。
「どうしたんだい? そんなに慌てて。まさか、何かあったんじゃないだろうね?」
 暖野は思った。やはり、この時計には何かいわくがあるのだ。
「いえ、何でもないんです。先を続けてください」
「そうかい? それならいいんだけど。――この時計が見つけられたからには、また旅に出る気になったんだろうって、その店主は言ったんだよ」
「旅に出る?」
「その人の言うには、この時計は本来の持ち主を捜しながら旅をしているらしいんだ。そして、その持ち主が手にしたとき、再び時を刻み始めると――。でも、もうかれこれ30年近くその店にあって、店主ですらそのことを忘れていたらしいけど。もちろん、僕もそんな話はでたらめだと思っていたさ。でも、どうやっても動かないんだ。その時ばかりは馬鹿げた話を信じる気になったね」
「そんなことがあったんですか……」
「まあ、僕もいろいろな所でものにまつわる因縁話は聞くがね、こればかりは突拍子もなかったから特に鮮明に憶えているんだ」
「それで、これが本来の持ち主の手に渡ったら、どうなるんですか?」
「また動き出す」
「それだけですか?」
「さあ、その後のことまでは、聞かなかったからなあ」
「そんな――」
 結局、肝心なところは誰も知らないのだ。暖野は悲痛な面持ちになった。
「暖野君、だったかな。本当に、何もないんだね?」
「いえ――そんな、……何も……」
「……」
 沈黙が流れる。
「冗談だよ、きっと。向こうの人は冗談が好きだから、からかわれただけなんだよ。――本当に、何もなかったんだね?」
 マスターが念を押す。
「……すみません。私、これで失礼します」
 辛うじて理性を保ちながら、暖野は席を立った。
「もし何かあったら、いつでも言ってきなさい。お金はきちんと返す。ただの物だからと言って甘く見てちゃいけないよ。おかしいと思ったら、すぐに手放すべきだ」
「はい。――今日は、どうもありがとうございました」
 心配げなマスターの声を後に、暖野は店を出た。
 暖野の背後で、入ってきたときと同じように鈴が音を立てた。
 本来の持ち主――果たして、自分がそうなのだろうか。
 どうせ迷信なのだとは思っても、簡単には割り切れなかった。
 暖野は初めてこの時計に出逢ったときのことを思い返してみる。あれは、自分がその“持ち主”であるが故に感じたものなのだろうか、と。
 だが、まだそうと決まったわけではない。なぜなら、時計は動かないままだからだ。
 しかし――
 だとすると、あの夢はどうなのだろう?
『やっと会えた』
『待っていた』
 あの少年の言葉の意味は。
 暖野は確定されることのない解を求めて、しきりに問いを繰り返した。それはあたかも決して尽きることのない円周率のようでもあった。