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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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4. バス


 その日も朝から上天気だった。
 学園祭を1ヶ月後に控え、校内はどこか浮ついた雰囲気だった。
 そんな中、暖野はひとり沈んだ気持ちでいた。
 結局、ルクソールではたいしたことは判らなかった。マスターの話では、我が身に起こっていることを理解する助けにもならなかった。
 いま、教室では学園祭での出し物について話し合われている。劇か合唱か、あるいは模擬店かで意見が大きく三分されていた。
 挙手による多数決で決めることになり、クラス委員が上記3つの項目を読み上げたが、暖野はそのどれにも手を挙げなかった。
「高梨さん」
 クラス委員で議長でもある松丘千鶴が、それを見咎めて言った。
 しかし、暖野は自分が呼ばれたことに全く気づかない。
「高梨さん!」
「は、はい!」
 暖野は慌てて立ち上がった。
 べつに立つ必要などなかったのだと気づくと、恥ずかしさで赤くなって俯いた。
 教室のあちこちで笑いが起こる。
「高梨さんは、何か他の考えでもあるの?」
 松丘千鶴が訊く。
「考え――ですか?」
 暖野は今の状況を把握しようと努めた。なにしろこのHRの最初から、ろくに話を聞いていない。もっともそれは今朝からずっとのことで、今に始まったことではなかったのだが。
 彼女がこうして名指しされたのも、朝から4度目だったのである。
 黒板を見る。

  ○劇
  ○合唱
  ○模擬店

 嫌でも目立つ大きな文字が目に飛び込んでくる。
 それで、今は学園祭で何をするかが話し合われているのだということが判った。
 3つの項目の下には正の字で数を示してある。どうやら多数決をとっているらしい。だとすると、自分はこれ以外に何かやりたいことがあるのかと訊かれていることになる。
 暖野はこれだけのことを何とか理解した。
「ごめんなさい。聞いてませんでした」
 暖野は素直に謝った。
「しっかりしてよ。これから猫の手も借りたいくらいに忙しくなるんだから」
 松丘千鶴はひとつため息をついて続けた。「で、高梨さんは、どれがいいわけ?」
「私?」
 暖野はしばらく考えた。
「暖野。――暖野」
 後ろから誰かがつつく。その声は、宏美のものだった。「劇よ。劇って言って」
 暖野はかすかに頷いた。
「私は、劇がいいと思いますけど」
 何人かが拍手をした。男子の中からは聞こえよがしの非難の声が上がる。
「じゃあ、劇に決まりね」
 松丘千鶴が言った。劇と模擬店が同票だったのだ。つまり、この場では暖野が勝敗を決したこととなり、いささか責任めいたものを感じずにはいられなかった。

「――それならどうして、劇がやりたいなんて言ったのよ」
 暖野がふくれっ面をする。
 今は放課後、HRが終わっても教室に残っているのには理由があった。
「だって、他のはあまりにも陳腐じゃない」
 宏美が言うと、その場にいる皆が一斉に頷いた。
「ただそれだけの理由で……」
「学園祭は、全員参加が基本よ」
 真面目くさった顔で宏美が言う。
「だったら、合唱でもよかったでしょうに」
「あれだけ人気がなかったのに? それに、模擬店なんかやったら参加する人が限られてるわ。絶対、我関せずってのが出てくるに決まってるんだから」
 まあ、それはもっともな見解だった。
「いつまでもそんなこと言ってたって、始まらないでしょ」
 二人のやりとりを見ていた松丘千鶴が言う。
「そりゃ、そうだけど……」
 暖野は不服だった。
「とにかく、劇と決まったからには、何をやるのか決めないとね」
 と、佐伯(さえき)夏美。
 松丘千鶴、佐伯夏美、小鴨(おがも)好恵それに宏美と暖野の5人は、劇の実行委員だった。
 他の4人はともかく、暖野は最後の一票を投じた者として半ば強制的に責任をとらされるかたちで実行委員に加えられてしまった。宏美はといえば、学園祭実行委員になると堂々とクラブをさぼれるというメリットまで考えてのことらしい。元々劇を嫌がっていた男子からはひとりも選ばれなかった。
 暖野が不満を漏らしているのは、劇が嫌だからでは決してない。誰も、どんな劇をやりたいのかさえ考えていなかったことに呆れているのだ。
「まず、基本的なことね」
 千鶴が場を仕切る。彼女の前にはレポート用紙が広げられているが、その紙面には“学園祭”と“劇”の二単語しか書かれていない。「誰かの作品をやるか、全くの創作か」
「そりゃあ、創作よねえ」
「だったら、脚本はどうするのよ」
 当然のように言う佐伯夏美に、暖野は返す。
「こらこら、勝手に先へ進まない」
 千鶴がたしなめる。「どう? 脚本をどうするかはともかく、創作の方がいいと思う?」
 誰もが一応創作がいいと言った。
「もちろん、パロディよ!」
 と、またもや佐伯夏美。
「パロディといったら、やる方も見る方も元になるお話を知ってなきゃいけないのよ。夏美には何か思うところがあるの?」
 宏美が訊く。
「それは――」
 夏美は少し考える表情になった。「それも、これから決めればいいのよ」
「私は、今はそんなに限定する必要はないと思う」
 と、それまであまり口を開かなかった小鴨好恵が口を開いた。「ここにいるみんながそれぞれあらすじを書いて、その中で一番いいのを採用すればいいのよ。気に入らなければ書き直せばいいんだし、もちろんみんなのを合わせてひとつの作品にするというのも、ある意味では面白いかもしれないわ」
「でもそれじゃ、いくら時間があっても足りないじゃない」
 佐伯夏美が指摘する。
「魅力的な提案だと、私は思うけど」
 松丘千鶴が少し考えて続けた。「どうかしら? ここであれこれ言ってても仕方がないし、ひとまず今日は解散して、みんながプロットを考える。それができないなら何かやりたいお話を探してくるというのは?」
「そうねえ」
 宏美が言う。
 みんなが考え込む。しかし、松丘千鶴以上の案は誰も思いつけなかった。

「どうするのよ。全く――」
 暖野はため息と共に言った。
「まだ言ってるの?」
 宏美がうんざりしたように言う。「そんなこと言ったってしょうがないじゃない。今さら模擬店にしますなんて、言える? 私は絶対に嫌よ」
 時刻は5時前。これから帰って何か良い案が浮かぶとは、暖野にはとても思えなかった。他の3人は、ぎりぎりまで図書館に残って調べ物をするとかで、まだ学校にいる。宏美が早く解放されたのは、明朝もクラブの朝練があるからだ。
「私、模擬店でいい」
 暖野は情けない声を出した。
「何を弱気になってるのよ。今からそんなんじゃ、学園祭を無事に乗り切れないわよ」
「実行委員なんて、やりたくなかったのに……」
「でも、もうなってしまったでしょ?」
「うん……」
「そんなに嫌なら、はじめから断ればよかったのに」
 しかし、あの場の雰囲気では、とても断り切れるものではなかった。それに一旦は承知してしまった以上、今さら断ることはさらに困難だった。
「とにかく」
 宏美が立ち止まる。「くよくよしてても始まらないんだから、何でもいいから考えてみなって。有名なお話のリストを作ってみてもいいわね。そのうちに、何かやりたいのが見つかるかも知れないから。そうね、それがいいわ」