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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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3. いわれ


 日中の陽射しはまだ眩しく少し汗ばむほどだが、日が傾くと急速に冷え込んでくる。合服では肌寒いくらいだ。
 ルクソールのドアを開けると、鈴が心地よい音を立てて来客を報せた。
 店の中は、妙に静まりかえっている。
 静かなのはいつものことで、そのことも暖野がこの店を気に入っている理由でもあった。あまりに人が多いと、自分の存在が埋もれてしまいそうな感じがする。
 店内を見回してみる。いつもはスツールに掛けて新聞などを読んでいるマスターの姿も今日はない。大方、何かの用で席を外しているのだろう、と暖野は勝手に入り込んだ。
 背後でドアが閉まり、鈴が再び軽やかな音を立てた。
 そう広くない店の左側、所狭しと雑多な古物が置かれている方へ、暖野は向かう。店主がいないのだから、席にいてもすることがない。
 マスターが戻ってくるまで、いつものように古い芸術品を鑑賞するつもりだった。
 コの字型の通路の角のところにはテーブルが置いてある。アール・デコというのだろうか、凝った意匠の机上には、今日は陶器の花瓶が載っていた。以前来たときは確か、木の宝石箱があったところだ。
 その角を曲がろうとしたとき、暖野は思わず立ちすくんだ。両手で押さえた口からは、はからずも小さな悲鳴が漏れてしまっていた。
 通路の、ちょうどどの角度からも死角になったところで、柄物のベストを着たマスターがうずくまっていたからだ。
「いや、ごめん。驚かせてしまったようだね」
 驚いてふり向いたマスターは、苦笑しながら大きな耳当てを外して立ち上がった。
「な、何をしてたんですか?」
 暖野は、そう訊かずにはいられなかった。今も心臓が早鐘を打っている。
「うん、これだよ」
 そう言って、マスターは低い座椅子に置かれた物を示した。「鉱石ラジオって、知ってるかな?」
「ええ、まあ――名前くらいは聞いたことがありますけど……」
 暖野はその奇妙な機械を見つめた。確か、歴史か理科か、それとも他の何かの教科書では見たことがあるが、実物を見るのはこれが初めてだった。
「これを直しててね、君が来たことに全然気づかなかった」
「いえ、そんなことはいいんですけど……」
「もうすぐ直ると思うから、少しだけ待っててくれるかな?」
「はあ……」
 暖野が間の抜けた返事をする間に、マスターは再び通路にうずくまって耳当てをあてた。
 実際、暖野が待った時間はわずかだった。マスターはあちこちいじくり回して最後に耳当てを取ると、暖野に向き直った。
「やあ、ありがとう。おかげで何とか直ったようだ。待たせて悪かったね」
 マスターが笑顔で言う。「ちょっと、聴いてみるかい?」
「え? いいんですか?」
 張り詰めていた暖野の心が、それで一気にほぐれた。
「いいとも。ここじゃ何だから、向こうへ行こう」
 促されて、暖野は喫茶コーナーへと向かった。マスターは鉱石ラジオをカウンターの上に置き、自身はその向こうへ廻った。
「今、合わせるから」
 マスターがまた少し機械をいじってから、暖野に耳当てをよこす。「ほら、聴いてごらん」
 暖野はその古めかしいヘッドフォンを受け取り、耳に当ててみた。
 音楽が流れている。クラシックだ。NHKだろうか。
 雑音が多いが、それでもしっかりと聞こえていた。
「へえ、ちゃんと聞こえるんですね。」
 暖野は素直に驚きを述べた。
「そりゃそうさ。一応はラジオなんだから」
「これ、マスターが直したんですよね」
 至って当たり前のことを訊く。
「ああ、そうだよ」
「へえ、すごい!」
「特別なことはないさ。昔のものは、ほとんどが手作りだからね。人の手で作られたものは、人の手で直しもできるんだよ」
「でも、感心しちゃいます」
「もっとも、現在(いま)のラジオを直せと言われても無理だけどね」
 暖野はあらためて、そのラジオを見た。
「すみません、ありがとうございました」
 礼を言って、暖野はヘッドフォンをマスターに返した。
「まだ雑音が多いな」
 マスターがもう一度自分でヘッドフォンをつけて言う。「チューニングし直さないと……」
 そして、ラジオを少しだけ脇へ除けると、暖野に言った。
「ところで、この前の時計は直った?」
 暖野は、元はといえばそのことを訊くために来たのを、今さらながらに思い出した。
「い、いえ。――時計屋さんにも見てもらったんですけど……」
 暖野はポケットをまさぐって、時計を二人の間に置いた。
「そうか。やっぱりだめだったか……」
 残念そうにマスターが言った。
「これで動かないはずがないって、店の人は言ってたんですけど」
「うん、そうなんだ。だけど、動かない。どこがどう悪いのか、僕にもさっぱり解らなかったんだ」
 暖野は時計を見つめた。
「君は、ミルクティーだったかな」
 唐突に訊かれて、暖野は咄嗟に返答に困った。今日は余分なお金を持ってきていない。そのつもりで来たのではないからだ。
 心配げな暖野の表情を見て、マスターが笑顔を見せて言う。
「お金はいらないよ。待たせてしまったお詫びだ。それに、若いのに見る目を持ってる」
「いえ、そんな……買い被りすぎです。それに……」
 我知らず、暖野は赤くなって言った。「厚かましすぎます」
「ちょうど僕も、何か食べたいと思っていたところなんだ。付き合ってくれるとありがたいんだけどね。一人で食べるのも気が引けるから」
 そうまで言われると、無碍には断れない。暖野はとりあえず、紅茶にしてほしいと言った。十数分後、暖野の前にはお気に入りのケーキと、香り高い紅茶があった。
「おいしい……」
 一口すすって、暖野は思わず声を上げた。
「実は、一昨日までインドとネパールに行っていてね」
 マスターは言った。
「買い付けですか?」
 自分がここへ来なかった間にマスターが外国に行っていたなどとは思いもしなかった。しかも、昨日は店を閉めていたというから、今日ここへ来たのも偶然とは思えない暖野だった。
「そう」
「すごいですね。私なんて、まだ海外なんて一度もありません」
 暖野は言った。
「これから、いくらでも行ける機会はあるよ」
「そうですね」
「このお茶も、向こうでたまたまオーガニック農産品の物産展をやっていて、そこで買ったんだ。イラム・ティーっていうんだよ」
「銘柄ですか?」
「銘柄だし、地名だね。ダージリンと同じ」
「へえ。日本で宇治茶とか狭山茶とかいうみたいなものなんですね」
 マスターは頷いた。
「で、今回は何か収穫があったんですか?」
 暖野が話題を変える。
「これと――」
 マスターは二人の前の鉱石ラジオと、喫茶コーナーの片隅にあるものを指した。「あの二つ」
 暖野は今まで、その存在に全く気づかなかった。真っ黒でやたら重そうな、ボタンがたくさんついた機械に。店内が薄暗いせいもあるだろう。
「タイプライター……ですか?」
 確か、映画でそういうものを見たことがある。
「レジスター・マシーンだよ」と、マスター。
「それって、あの、スーパーとかにあるみたいな?」
 近づいてよく見ると、下の方に鍵がついた引き出しのようなものがあった。
「これを押すと――」