久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上
15. 森の駅で
仕方なく、暖野は駅に戻る。
外から見ると、駅舎はおとぎ話に出て来そうな可愛い外観をしていた。ありきたりな表現かも知れないが、可愛いとしか言いようのないものだった。
正面の入口両側に彩色ガラスを用いた照明があり、その周りの壁面と庇の天井に不思議な模様を映し出している。上部が半円形になった窓から灯りが洩れ、駅前にわずかながら明るさをもたらしていた。屋根の頂部に円形の窓が幾つかあって、そこからも明かりが漏れ出ていた。
扉を開けて、駅舎に入る。さほど大きくもないのに、何もない空間は必要以上に広く感じられた。
彼女はしばらくベンチに座っていた。特にすることもない。
いつもなら、暇なときは本でも読んでいるものだが、今はそんな気にもなれなかった。
「どこまで行ったんだろう……」
マルカは戻ってこない。
思った以上に町――もしそれがあったとしてだが――まで距離があったということか。
ホーム側の窓の外には、電車がまだ停まっているのが見える。
朝は二人を下ろしてすぐに走り去ったのに、まだ停まっているのはどういうことなのだろう。やっぱり、ここが終点だからか、はたまた終電だったのか――
暖野はいつも、そんなことを考えているわけではない。
普段、駅で停まっている電車を見ても、まだ発車時間が来ていないだけか、稀ではあるが何かの事故があったからだということは分かる。
だが、ここには全てに理由があるらしい。それも、暖野自身に。彼女もこの短い間に、漠然とながらそれを感じ始めていた。
暖野はホームに出た。
乗務員などいないため、動かない理由を聞くこともかなわない。
ステップに足をかけてみる。
動かない。
やっぱり、終点だからなのだろう。
その時、暖野はポールの方向が逆になっていることに気づきもしなかった。ポール集電の電車は、普通は進行方向の反対側にポールを伸ばしているものなのだ。
動かないことに安心して運転台の機器を観察していた暖野は、急な衝撃によろめいて窓枠に頭をぶつけてしまった。
「いったあ……」
何とかバランスを取り戻した瞬間、彼女は愕然とした。
電車が動いている。
いけない――!
慌てて飛び降りる。
幸い速度も出ていなかったため、何とか転倒は免れた。
電車は彼女が降りたのにも構わず、そのまま速度を上げ続けて走り去った。
暖野は赤い尾灯が樹々に隠れて見えなくなるまで、それを呆然と見送っていた。
行ってしまった……私のせいなんだわ――
これで、沙里葉へ戻る手段は無くなってしまった。マルカが何も見つけてこなければ、この駅で夜明かしするしかない。それは決して好ましいことではないが、さりとて一人で街へ戻るという選択肢は考えられなかった。
マルカが戻って来るまで、おとなしく待ってるべきだった――
暖野は駅舎に戻ると、うなだれて腰を下ろした。
この時になって、暖野はマルカの存在が自分の中でかなり大きな位置を占めているのに気づいたのだった。
それから程なくして、マルカが戻って来た。
「ごめんなさい……」
「どうしたんです? 何かあったんですか?」
俯いたまま謝る暖野に、マルカが言う。
「電車、行っちゃった……」
泣きそうになるのを何とか堪えて、暖野は言った。
マルカが、もう何もないホーム側の窓外を見やる。
「そうですか……。私の方こそ、もう少し考えるべきでした」
「違うわ。マルカは何も悪くない。私が……私が……」
「大丈夫ですよ」
暖野の肩をそっと叩いて、彼は言った。「ノンノのせいではありません。世界はまだ完全ではありません。そして、きっと……たぶん、ノンノも……」
暖野は彼の胸に、そっと額を預けた。マルカが彼女の頭に手を置く。
二人はその姿勢のまま、しばし動かなかった。
「ノンノは、一緒に来なくて正解でした」
暖野が落ち着きを取り戻してから、マルカが言った。「町はありましたが、誰もいませんでした」
「そう……やっぱり」
暖野は言う。期待するだけ無駄と言うものだった。「でも、それじゃ沙里葉と同じなんじゃないの?」
「それが、そうではなかったんです」
「どういう風に違ったの? 私には同じように聞こえるけど」
「とても、入って休めるものではありませんでした。一軒だけ明かりの近くにあった窓から中を見てみましたが、酷い有様でした」
マルカが言うのだから、よほど酷いものだったのだろう、と暖野は思った。
だが、その話しぶりからして、笛奈のような遺跡めいたものでもなかったことは確かなようだ。
では、その中間……?
「沙里葉は、新しい街と言ってもいいほどですが、ここは違います」
マルカが説明を続ける。「どう言えばいいのか難しいのですが、沙里葉には人がいた痕跡は全くありませんが、この町には……」
「それが、あったのね?」
「ええ……」
要するに、荒れていたと言うことか。暖野は納得した。
「でも、変なんですよ」
マルカは更に続ける。「たった今まで人がいたみたいな状態のままで、全てが朽ちていたのです。テーブルの上にはカップと皿、開いたままの本。奥のキッチンには炉にかけた鍋に杓が入ったままで、その前にはまるで人が立っているかのようにスリッパが揃っていました。住人が日常を過ごしているある瞬間に、突然消えてしまったみたいに」
そこでマルカは身震いした。「その人たちが私の方を見ているようで、私はとても恐ろしくなりました」
暖野は黙るしかなかった。
「今夜は、ここに泊まった方がよさそうです」
マルカが駅舎内を見回して言う。
帰りの電車が来ない以上、選択の余地はなかった。
駅舎は造りはしっかりしているし、中も明るい。戸を閉めてしまえば風だけはしのげる。しかし寒さまでは防ぐことは出来ない。
明け方にかけての冷え込みは、沙里葉よりも厳しいだろう。
今日はただの買い出しのつもりでいたため、いきなりこういう所で寝ることになろうとは考えてもみなかった。
当初の予定通り、店探しに専念すべきだったと暖野は後悔する。電車に乗ろうなどと考えた自分を愚かしく思った。電車など無視してしまえばよかったのだ。乗らないと分かったら、電車はきっと勝手にどこかへ行ってしまっていただろう。
はたして、そうなのだろうか――
湖に出てみようと考えたのは事実だが、それ自体が暖野の思いつきではなく、あの城跡に導かれてのことだったとしたら、どうだろう――
確か、ルーネアと言う少女はそう言っていたはずだ。
だが、その後は――
砂浜へ出て、ここへ至るまでのことは、どう説明すればよいのか。
何があっても、今夜は戻ると決めていたはずだった。まだ、装備も揃えられていないし、今日の出来事で着替えの必要性を思い知った。
ただ、街に戻っても、旅支度が出来たかどうかは怪しい。
街の商店はどれも扉を閉ざし、入ることも出来なかった。もし戻ることが出来たとしても、何も出来ずじまいという可能性もなくはなかった。
結局、なるようにしかならないのか――
暖野は思った。
それでも、気になることがある。
ここには何があるのか、ということだ。
何かに導かれて来たのだとしたら、それは何のためなのか。
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上 作家名:泉絵師 遙夏