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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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 暖野は考えた。城跡を出て以来初めての変化ではあったが、あまり喜ばしいものでないようにも思える。広くはないとは言え、歩いて渡るには深すぎるようだし、川を遡るのも同じ理由でやめた方がよさそうだ。
 ここまで来ておいて、今更引き返すのか――
 暖野は力が抜けて行くような思いだった。
 さっき、引き返した方がよかったと思ったから――?
 着衣のままでは、とてもではないが泳げない。深さは目測で腰の辺りほどはありそうだし、流れも速い。
 ボートか何か、あればいいのに――
 暖野が勝手にいろいろ考え込んでいると、マルカが声をかけてきた。
「ノンノ、船がありますよ」
 うそでしょ? さっきは全然気づかなかったのに――
 草むらの中に、船の舳先(へさき)が覗いている。マルカがそれを引きずり出そうとしていた。
「私も手伝うわ」
 荷物をその場に置いて、暖野も加勢した。
 二人して水辺まで引きずり出し、まず暖野が荷物を持って乗った。マルカがそれを流れまで押し出してから、急いで飛び乗る。
 すぐに湖に出る。
 マルカが漕いでいたが、勢いで沖の方へと流されて行く。
「大丈夫?」
 言ってはみたものの、暖野が手伝うわけにもいかない。
 オールは二本しかない。一本ずつ分担するのも考えものだ。漕ぐ力の差で、同じ所をぐるぐる回ることにもなりかねない。
 暖野は気を揉んでいるしかなかった。
 ただ何もせず心配しているだけという状況では、あまり生産的な考えは浮かばない。
 まさか、船底に穴が開いてるなんてことは、ないでしょうね――
 ベタではあるが、古い漫画では大抵そんな場面が登場したものだ。
 足元が冷たくなって、暖野ははっとした。
 恐る恐る、視線を下に向ける。
 ――!
 いけない! 私ったら、何てことを――!
 水はくるぶしを浸すまでになっている。
「マルカ!」
 暖野は、すっかりパニックを起こしていた。「どうしよう!」
 船はすでに沖への流れからは外れていて、波打ち際までは3メートルというところだった。だから、慌てさえしなければ、何とか無事に岸に着くことが出来たはずだった。
「落ち着いてください!」
 マルカが叫ぶ。
 暖野は恐慌状態で立ち上がる。
 船が大きく揺れ、そのはずみで暖野はバランスを崩し、見事水中へとダイブすることになってしまったのである。

 暖野は大きなくしゃみをした。
 おかしな体勢で飛び込んだため、鼻にも耳にも水が入っている。落ちた場所は水深が50センチもなかったが、完全にずぶ濡れになるには十分だった。
 マルカがあの後無事に船を岸に着けたため、食料だけは濡れずに済んだのが幸いだった。一番心配していた携帯電話も、鞄の中の位置がよかったのか、壊れずに済んだ。
 今は、彼が熾してくれた火で暖を取りながら、濡れたものを乾かしているところだった。
 薪こそなかったが、ススキに似た丈高い枯草はよく燃えた。船を浜に揚げて裏返し、そこに靴や鞄や、その中に入っていたものが拡げられている。さすがに服まで脱ぐわけにもいかず、暖野は濡れたブラウスを肌に貼りつかせたまま寒さに震えていた。
「気にすることはないですよ」
 他意はないのだろうが、マルカは言ったものだ。
 濡れたものを着ていると風邪をひいてしまう。そう言う意味でしかないのは分かっていた。そんなことは暖野とて百も承知だ。いくら彼が気にしないと言ってくれても、自分が気にしてしまうのだ。
 空気が乾燥しているせいで、思ったよりも早く乾いてくれたのは助かった。だが教科書やノートといった厚手のものは、まだ生乾きの状態だった。
「もう、湖はこりごりだわ」
 暖野は言った。「本当に、道は無いのかしら」
「そうですね。この先道が見つからなければ、野宿することにもなりかねませんからね」
「そんなの、嫌よ」
「嫌と言っても、仕方ないじゃありませんか。それとも、夜通し歩く方がいいですか?」
 暖野はそっぽを向いた。
「そんな、わがままを言わないでくださいよ」
 マルカが困った顔で言う。
 暖野とて、マルカを困らせたいわけではない。濡れた服で歩き回るのが嫌なだけなのだった。そうは言っても、ここにじっとしていても事態の好転は望むべくもない。
 懐中時計は無事だった。時刻は3時過ぎ。奇跡的にも内部に水が浸入することは免れたのか。
 まさか、防水でもあるまいし――
 とにかく、先を急いだ方がよさそうだった。後3時間ほどで、日が暮れ始めてしまう。
 暖野はまだ湿っている本などを鞄に詰め始めた。
 マルカがどこからか棒切れを見つけてきて、それに制服の上着や靴などをぶら下げてくれた。ついでにパンの袋も結わえつけて、マルカが肩に担ぐこととなった。
「上着、着ていた方がいいですよ」
 火の始末をしながら、マルカが言う。
「いいわ、まだ。寒くなったら、そうするかも知れないけど、それまでには乾くだろうし」
「そうですか?」
 彼は心配げに暖野を見つめていたが、やがて先に立って歩き出した。
 それから1時間以上、二人は歩き詰めに歩いた。幾ら行っても変化はなく、いい加減疲れ果てて何もかも投げ出したくなった頃、砂地が大きく藪の方へ入り込んでいるのが見えた。
 今度こそ道だ――!
 暖野は咄嗟に思った。それまでの疲れもどこへやら、彼女はそこまで駈けて行く。
 果たして、それは道だった。
「やった!」
 助かった! これで、野宿しないで済む――
 暖野は胸元でガッツポーズすらしていた。
 そんな彼女を見て、マルカが笑っている。
「何よ。私の顔に、何かついてる?」
「いえ、そうじゃなくて」
 マルカが言う。「笑っているノンノは、とても素敵だと」
「え……ちょ、ちょっと。急に何を言い出すのよ」
 暖野は赤面し、しどろもどろになる。
「ここへ来てからのノンノは、そんな風に笑ってくれませんでしたから」
 言われてみれば、そうだったかも知れない。ただ、それにしても恥ずかしいことを臆面もなく言い出さたりされるのは、反応に困る。
「でも――」
 そう。そうなのだ。暖野は彼の言葉で気づいた。「マルカが笑ってるのも、私、初めて見た気がする」
 二人は顔を見合わせて、くすくすと笑った。