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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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13. 湖畔


 左手には沙里葉からも見えた丘。その向こうには遠く山並みが続いている。そして、この城跡に至る岩場。
 右に目を転じると、少し先まで岩場が続き、その先は砂浜になっているようだった。
 湖は広く、水平線が遥か彼方で空と接している。
 ここに留まっていても、他に見るものもなさそうだった。早くここを去りたいような、それでいてずっといたいような、相反する思いが暖野の裡にあった。
 彼女は、周囲を見渡した。そこで見えた光景が、丘と山並み、湖だったというわけだった。
 気を惹きそうなものなど、もうなかった。
 本当に、何もない。
 直接に電車道へ出られる方法はないかと探したが、どうもそれは無さそうだった。そもそも降りた停留所名が笛奈城だと、マルカは言っていなかったか。
 またあの岩場を戻るのは億劫だった。
 右手には砂浜が見えている。
 砂地は土の道よりも歩きにくいに違いなかった。少しの間ならまだしも、長距離を行くのは辛いだろう。革靴だと砂が入り込んでくるのは避けられない。しかし、無垢の砂浜を歩くという誘惑には抗いがたいものがあった。
 そう、裸足になりさえすればいい。
 だが、わずかな距離とは言え、砂浜に出るには難儀した。
 先ほどとは比べ物にならない大きな岩を幾つか乗り越えて、二人は何とか砂浜に辿り着いた。
 こちら側には昔も道は無かったらしく、橋などの痕跡はなかった。
 城はそれなりの自然の障壁によって守られていたのだろう。彼女たちが知らなかっただけで、背後の森の中にも堀か何かがあったのかも知れない。
 スカートが汚れるのも構わず、砂浜に足を投げ出して暖野はそう思った。
 制服のまま大汗をかくのも決して快いものではない。空気はむしろ気味が悪いくらいに爽快だったが、無茶な動きを繰り返したためにすっかり汗だくだった。
 暖野は完全に汗が引くまで、砂の上に座り込んでいた。一方マルカは涼しい顔で遠い湖岸線を眺めている。
「この砂浜は、かなり遠くまで続いていますね」
 マルカが言った。
「そんなこと、分かってるわよ」
「今日一日で抜け切れるかどうか、分かりませんよ」
「どうして、そんなことが判るの?」
「歩く速度は、1時間で概ね5キロくらいです。砂の上だともっと時間がかかりますから、今から日没まで歩いたとしてもせいぜい30キロでしょう。途中で休息を取ることも考えると、20キロがやっとでしょうね」
 暖野は砂浜を遠く眺めた。30キロ、40キロ――見通しが良すぎて、ここから見えるどの辺りまでがそれに相当するのか見当もつかなかった。一応は町育ちの彼女には、これほどまでに荒漠たる光景を目にするのには慣れていない。
 日本の海岸では、砂浜ならば必ず海の家や漁船の一つは見える。自然の海岸が少ないため、テトラポットや防波堤が視界に入ることも珍しくない。だが、ここには距離の目安となるようなものなど、何もない。
 湖のものにしては広い砂浜を、二人は歩き始める。
 電車道は湖に沿う形で伸びているはずだった。それほど遠くはない所で、そちらへ抜けることが出来るだろうと暖野は考えていた。
 砂の感触が素足に心地よい。
 本当のところ、暖野は海で泳ぐのがあまり好きではない。泳ぐことや海自体が嫌いなわけではない。小学生の頃、砂浜で割れた瓶の欠片を踏んで怪我をしてから、裸足になることがトラウマになってしまっていたのだ。その時の痛みを思い出すと、今でも身の縮む思いがする。
 だが、ここは安全だった。
 ゴミや漂着物など一つもない。それどころか人っ子一人いない。彼女が何の憂いもなく砂の上を歩くのは、実に久しぶりのことだった。
 それはそうと、浜から出られそうな道は一向に現れなかった。背丈以上もある密生した草地が途切れることなく続いている。振り返ると、城跡のあった場所からそれほども来ていないことが判った。
 やはり、元来た道を引き返すべきだったのだろうか――
 暖野は思ったが、手遅れのような気もする。彼女としては、砂浜を延々と歩くつもりなどなく、行きとは別のルートを通りたかっただけなのだ。
 太陽は頭上に輝き、白い砂の照り返しが眩しい。
 どこかに座って休める所はないかしら――
 もとより休憩所のようなものなど期待してはいない。だが――
「ほら、あそこ」
 暖野は指さした。その先には、流木らしきものが横たわっていた。
 近づいてみると、それはまさしく流木だった。
「ねえ、ちょっと休まない? お腹も空いたし」
 暖野は言う。
「そうですね。ずっと歩き詰めでしたから」
 マルカが同意する。
 それは、二人が掛けるのにちょうどいい大きさだった。荷物を引っかけるのに都合の良い枝まである。
 ビニール袋から、朝方調達してきたパンを取り出す。
 マルカと分け合ってパンを食べながら、暖野は湖の彼方に視線を投げた。
 波音と、過ぎゆく風の音、背後の草が立てる乾いた騒めきだけが聞こえるものの全てだった。
 まだ昼を少し過ぎたばかりだった。
 また新たな疑念が湧いてきて、暖野はパンを千切る手を止める。
 ここでは、確かに一晩が過ぎた。だが彼女の本来属すべき世界では、全く時間は経っていないはずなのだ。と言うことは、ここで幾日も過ごし、朝昼晩の食事をきちんと摂ったとしたら、どうなるのだろう。考えようによっては、彼女は一瞬のうちに何食も食べたことになってしまう。
 しかしながら、現実問題として空腹は覚えるのだし、それを抑えるのにも限界がある。腹が減るということは、彼女が時間の枠外にいるわけではないことを教えてくれている。どこにいようと時間に捉えられていることには変わりはない。だとすると、ここで何十年も過ごしたとしたら――
 下手したら私、お婆さんになってしまうかも――
 暖野は慌ててその考えを振り払った。
 そんなことは、御免だった。
 宏美と浦島太郎がどうとか話したから、こんなことになったのか……
 さすがにそれはないだろうと、彼女は思った。
 時間は経っても年は取らない――これが一番なのだろうが、いくら夢の世界でも、そう虫のいいことはないだろう。
 それとは別に――
 夕方までに、沙里葉へ戻れるだろうか……。
 暖野は宿に、今夜も泊まる旨を書き置きしてきている。それに、ここまで来る間に装備についてのリストアップもまとまって来ていた。可能な限り早く戻って、旅支度をした方がいい。
 あまり長く休んでもいられないと、二人は再び歩き出した。
 行けども行けども、内陸への道はなかった。あの時点でやっぱり引き返すべきだったと悔やみ始める。もう、砂漠の中を何日も歩いているような気分になっていた。
「あそこ、見てくださいよ」
 マルカが声を上げる。
 少し先で、陸側の藪が途切れている。
 二人は急ぎ足になった。
 藪だけではなく、砂浜もそこで一旦途切れている。
 嫌な予感がした。
 それは、湖に注ぐ川だった。そう大きくはないが、川が砂浜を分断していた。
 これは、嬉しい発見なのだろうか――