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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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11. 廃墟


 ダブルルーフにオープンデッキ、屋根にポールのついた電車が二人の前に停まる。
 行き先の書かれているらしい札が前面と車体横に掲げられているが、またもやあの不思議な文字だった。
 運転台には誰もない。
 まさか、こんな電車が全自動でもあるまいし――
 目の前に停車した電車を、暖野はまじまじと見つめる。
 これに乗れってことかしら――
 この電車は、私がそれを望んだから来たのだろうか――
 さっき、彼女は電車が来ればいいのにと思った。その結果として、電車がここに現れたのだろうか。それを確かめる術はなかったが、せっかくの機会をみすみす棄ててしまうこともなかった。
 まあいいわ。乗っちゃえ。どうせ行く当てもないんだから、どこへ連れて行かれようと同じことだわ――
 二人は電車に乗り込んだ。
 そこは正規の停留所ではないようで、ステップはやや高かった。
 客室の引き戸を開けると、ヤニっぽいというか、甘いような匂いが鼻についた。それはニスの匂いだった。
 室内は、ほぼ完全な木造だった。公園のベンチのような木の椅子に二人が掛けるのを見計らったように、電車は動き出した。
 酷い揺れだった。吊革が、電車が揺れる度に網棚の縁にぶつかって、硬質な音をたてる。
 なるほどね――
 暖野は思った。二重屋根は、明かり採りのためにあるんだ――
 車内はやや薄暗い。昼間でも電気を点けている、乗り慣れた電車とは違う。その代わり、煩い車内吊り広告などもない。
 客室扉の脇には路線図が掲げられている。読めるわけはないと知りつつ、暖野は揺れる車内を移動してその前に立った。
 ひと際目立つように書かれているのが、おそらくはターミナル駅前だろうと見当をつける。地図上の線を辿ってみて、自分たちが郊外へ向かう路線に乗っているのだということまでは判った。
 暖野は、地図読みは得意な方だ。ただ、山で迷うときの原因は大抵彼女にあったから、自身で思っているほどではないのかも知れなかったが。しかし、そういう時は顧問でさえも彼女の判断を仰いでくる。なので、とりあえずは自信を持っていいとは思っていた。
「どこまで行くのかしらね」
 席に戻って、暖野は言う。
「さあ。ノンノは行き先を見なかったのですか?」
「見たって分からないじゃない」
「そんなことは、ないはずです。分からないと思うから分からないだけで、その気になれば読めるはずです」
「その気になれば……ね」
 何気に非難されているよう気がした暖野は、窓の外を流れゆく景色に目をやった。
 下らない口論はもういい。
 電車が運河沿いの道を左に曲がる。強引とも言える急カーブで、車輪の軋み音が高く響く。
 その道は、電車が走るには狭すぎるようだった。窓の外には、ほとんどすれすれに建物の壁がある。時速20キロくらいだろうか、酷くのんびりとした速度だった。こんな狭い道では、速度を上げることが出来ないのも頷ける。だが、何故にわざわざこの道を選んで線路を通したのかは理解できない。他に幾らでも広い道はあったであろうに。
 そんなことを考えているうちに電車は右に曲がり、再び広い道に出た。
 電車は心持ち速度を上げて、走り続ける。
 道の両側の建物が低くなり、疎(まば)らになってくる。家々の間からは緑が覗くようになっていた。
 あまり遠くへ行って欲しくないな、と暖野は思った。
 まだ昼前だからよいものの、夕方までには宿に戻りたかった。それに、道具屋探しもまだ出来ていない。車窓から見る限りでは、それらしいものはなかった。
 家並みが途切れ、見通しが良くなる。
 左手後方には黒々とした丘が見えている。アゲハの邸があった丘だろう。右手には、なだらかな山並みが遥かに遠望出来た。
 散在していた家屋も見えなくなると、周囲は完全な荒れ地となった。やがて電車はそんな道の真ん中で停車した。
 暖野はしばらく席を立たなかった。また動き出すだろうと思ったからだ。しかし、電車は全く動く様子がない。
「どうしたのかしら? 故障でもしたの?」
 不審に思って、暖野は訊く。
「まさか、そんなことはないはずですよ」
 モーターの音がかなりうるさかったために焼き切れたのかと思ったが、焦げ臭い臭いがしているわけでもない。と、いうことは――
「ここで降りろってこと?」
「たぶん、そうじゃないですか?」
「いい加減ね」
「とりあえず、降りてみましょう」
 客室扉を開けてデッキに出る。
 いつの間にか石畳は終わり、路面は土になっていた。一応そこは停留所であるらしく、簡素な足場が設けてあった。傍の電柱に何かが書かれた札があったが、やはり読めなかった。
 電車はふたりが降りて数秒後、短い警笛を鳴らして動き出した。
「行っちゃったわ」
 暖野は、電車が速度を上げて走り去るのを見送りながら言った。
 今度は、バスの時のように追いかけたりはしなかった。これ以上遠くへ行きたくなかったし、次にどこに停まるかも不明だったからだ。
 真っ直ぐな道を、電車は砂埃を上げつつ小さくなってゆく。
「また来ますよ。たぶんね」
 マルカが、彼女の肩に手を置く。
「そう、たぶんね」
 暖野は答えた。そして、マルカが読もうと思えば読めると言った、札に書かれたねじくれたような文字を見つめた。
 集中してみても、読めないものは読めない。昨夜は一瞬だけでも宿屋の看板を読めたのだから、そのうち読めるようになるのだろうか、と暖野は思った。
 二人が降ろされた場所は、荒れ地を突っ切る一本道の途上だった。辺りには一軒の建物もない。道の片側を単線の軌道が走り、来た方角を見ると遠く沙里葉が望めた。
 電車が去った方に目を転じると、白い道がどこまでも続いているだけで、あとは電車の電線くらいしか目に留まるものはなかった。
 こんな所に何があるというのだろうか――
 見回しつつ、暖野は思った。
 停留所があるからには、何かがあるはずだった。
 よく見ると、線路とは反対側の草原に踏み分け道らしきものがある。他には、電車道以外に辿れる道はなさそうだった。
 そちらへと向かってみる。
「湖に出られるみたいですね」
 先の方を見やりながら、マルカが言う。「行ってみますか?」
 暖野は頷いた。
 そうか。さっき、とりあえず湖畔に出てみようと思ったんだわ。だから、こんな所で降ろされたんだ――
 でも、もっと湖に近い場所くらい、あっただろうに。何もここでなくとも――
 二人は草むらの中に分け入った。実際、それは獣道と言ってもいいくらいに細い踏み跡に過ぎなかった。マルカが先を歩いて道を作ってくれるが、腰ほどの丈のある草の中を行くのは容易ではなかった。
 草の原が途切れると、そこは林だった。下生えの密生した中を、幾分広くなった道が続いている。
 だが、ここはここで歩き辛いものだった。木の根が至る所に露出していて、足を取られないように注意が必要だった。時おり現れる灌木の枝がスカートの端を引っかけるのも鬱陶しい。
 制服のまま来るんじゃなかった――!
 こんなんじゃ、すぐにぼろぼろになるだろうし、脚が傷だらけになってしまう。街にいる間に、先に服とか調達しておけばよかった。それに、この学生鞄! 邪魔ったらありゃしない――!