久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上
大通りを挟んで向こう側へは行ったことがない。ならば、進むべき道は明らかだった。河の方へ行っても、行き止まりなのだから。
そう言えば、前に河沿いを歩いていたとき、運河などなかったはずだ。この沙里葉へ来て以来、橋を渡った記憶はない。
暖野が思った通り、道はほどなくして大通りに出た。右手遠くに駅が小さく見えている。
大通りを突っ切り、今度は運河を右に見る舗道を進む。
電車の線路が橋の所で分岐して、運河沿いを走っている。線路は水路を挟んだ両側に敷かれている。一応は複線扱いということか。
舗道の運河側には、前に歩いた河沿いの遊歩道と同じような柵が設けられていた。
彼女は運河だと思っていたが、その水面は静かで波一つなく、かつ澄み切っていて水底まで見えるほどだった。
暖野は何度か運河を覗き込んでみたが、魚の姿は見えなかった。
同じような景色が続くと、途端に飽きが来る。ここには、おしゃれな店も気を惹きそうな何ものもなかった。
アゲハもマルカも、想像するように言っていた。
何も考えずに歩いてるのがいけないのかしら――
暖野は思ってみる。
さっき、道具屋について考えてみても駄目だったし、最初に見つけた本屋にも入れなかった。
何もない所から何かを想像しろと言われても、漠然とし過ぎていて途方に暮れる彼女だった。
先のことが思いやられる。
沙里葉は、暖野が思っていたよりも規模が大きな街らしい。それはとりもなおさず、街を出るには相当の距離を歩かなければならないことを意味していた。最初の町を出ること自体が難関になるということか……
それに、街を出ることは、それこそ端緒に過ぎない。乗り物がないのなら、移動は全て徒歩になる。彼女は歩くことは好きではあるし自信もあるのだが、これが果たして楽しめる状況であるのか。
登山なら行程は決まっているし、道も整備されている。自分がどの位置にいるのか、あとどれだけ歩くのかは道に迷いでもしない限り、いつでも確認可能だ。だが、この旅は目的地が定かでないだけに、歩く距離も無限大とも思えるのだった。
人間は、目的がないことを極端に嫌う。
何でもいい、とにかく目的を持たなければ――
暖野は考えてみる。
そうだ、湖に出てみよう――
湖畔に立てば、この先の見通しもある程度たつように思えた。街にいると、周りの光景はどうしても限られたものになる。塔でもあればいいが、そんなものはなさそうだし、もしあったとしても登るのが面倒だ。
彼女は同じ道を往復するのが好きではない。富士山がいくら日本一高くとも、登りたいとは思わない、それが理由だった。加えて、彼女は都会がどうも苦手だった。
風通しの良い、見晴らしの利く場所に行けば、幾らかは気分も晴れるだろうと思われた。
湖までは、どれくらいあるのだろう――
暖野は思った。
出発してから、1時間以上は経っている。寄り道しないとしても、あとどれくらい歩くことになるのか。
ああ、電車があればいいのに――
線路はあるのだから、電車はある。前に暖野もその目で見ている。
レールは空の色を映して輝いている。
線路は、電車の往来がなければすぐにでも錆が浮いてくるものだ。以前、通学で利用する駅が高架になったときのことを思い出す。高架に切り替わった翌朝、それまでの地上の線路は薄く錆が浮き、輝きを失っていた。
均された石畳の道は決して歩き辛くはなかったが、革靴ではいずれ足が痛くなる。それに、郊外に出てまでこの石畳が続くとも限らない。
希望的観測は、この際捨てた方がいいのかしら――
しかし、マルカは言っていたはずだ。この世界は暖野の思いを反映すると。だとすれば、いかなる状況にあっても望みを持っていさえすれば、何とかなるのだろうか。
ここまでの変化と言えば、道路沿いの建物の高さが低くなったくらいだった。空がわずかばかり広くなったように感じるのは、そのためだ。
運河はこの先も続いている。
見方によっては楽しめるのだろうかと、暖野は思ってみる。
見知らぬ街の見知らぬ道を歩いていることは確かだ。しかし、ここには期待したり望んだり出来るものがあるのか。例えば、特産品とか名物の美味しいものとか、変わったものを売っている土産物屋とか。
そんなどうしようもないことを考えていると、不意に背後から物音が聞こえて来た。それは、何かが唸るような――モーターの音のようだった。
暖野は振り向いた。マルカもほぼ同時に後ろを振り仰ぐ。
電車だった。前にフェリー乗り場の広場の片隅に停まっていたような、古風な電車が迫ってくる。
暖野はマルカの腕を掴むと、急いで横に飛びすさった。二人は道の運河の側、線路上を歩いていたのだ。
電車はすぐ後ろにまで迫っていた。
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上 作家名:泉絵師 遙夏