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泉絵師 遙夏
泉絵師 遙夏
novelistID. 42743
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久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上

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6. 風に吹かれながら


 暖野は周りを見回した。
 マルカは、いるのだろうか。暖野は思った。彼がいなければ、どうにもならない。こんな所に一人きりで放り出されては全く成す術がない。
「待っていましたよ」
 すぐ後ろで声が聞こえた。
 暖野は、ゆっくりと振り向いた。
「ノンノ、よく来てくれました」
「マルカ!」
 思わず抱きつきたくなる。
 でも、そうはしなかった。仲間と再会できた安心感は、すぐさま理不尽にもここへ連れ戻された怒りへと変わった。「どうして、いつもこうなの⁉ これじゃ、まるで人さらいじゃない!」
「人聞きの悪いことを言わないでください。私はてっきり、自分の意志で戻って来てくれたのだと」
「そんなわけないじゃない。私は時計の時間を合わせただけなのよ」
「あ……」
 マルカは、今更それに気づいたようだった。「あれは、そういうことだったんですか」
「今日は、そんな気分じゃなかったのよ。まだ決心すらついてないのに」
 そう言いながら、果たして決心がつくことなどあったのだろうかと、暖野は思う。
「でも、もう来てしまったんですから」
「今度は、いつ帰れるの?」
「さあ、私にもそれは。あなた次第だってことくらいしか……」
「どういうことよ、それ?」
 暖野は訊いた。
「不確定要素が多すぎるんですよ。だから、具体的なことは分からないし、言えないのです」
「じゃあ、ずっと帰れないってことも……?」
「ないとは、言えないです」
「じょおっだんじゃないわよ! それって詐欺じゃない!」
「でも、帰れないって言ってるわけじゃ――」
「……」
「ちょっと、どうしたんです⁉」
 マルカが慌てて言う。
 暖野が泣いていたからだ。
「そんな……。酷いじゃない……」
「お願いですから、泣かないでください。もっと、今のノンノの気持ちを考えるべきでした」
「今更そんなこと言われたって、どうにもならないわ」
「そんなに悲観的にならないで下さい。――まったく帰れないなんて、決して思ってはいけません」
「私に、どうしろって言うのよ」
 暖野はしゃくり上げながら言う。「何を期待してるわけ? 私なんて、何も出来ないのに……」
「そんなことは、ありませんよ。ノンノには出来るんです。もっと自分に自信を持ってください」
「こんな右も左も分からないのに、自信も何もないじゃない」
「よく思い出してくださいよ」
 マルカが見つめてくる。「ここは、あなたの世界なんですよ」
「私の……?」
「そうです。これから、あなたが創っていく世界なんです。ここは、その出発点なんですよ」
「私が、創っていく?」
 マルカが深く頷く。
 暖野は駅前広場を見回した。
「前と、どこも変わらないじゃない。ここは、なくなったんじゃなかったの?」
「完全には、そうならなかったんです」
「じゃあ、良かったじゃない。もう私はいらないってことでしょ?」
「それは違います。ここはまだ閉ざされたままなのです。開くには、ノンノの力が必要なのですよ」
「じゃあ、これあげる」
 暖野は懐中時計をマルカに差し出した。当然ながら、マルカは受け取らなかった。
「私では無理なんです。前にも言ったでしょう」
「分かったわよ……」
 暖野は時計を引っ込めた。「でもどうして、ここはなくならなかったの?」
「記憶が発動したからでしょう」
「記憶?」
「そうです。博士の話だと、記憶の発動が再編を起動するとか」
「よく分からない。って言うか、さっぱり」
「今はまだ、分からなくていいですよ」
「マルカは、いつもそうなのね?」
「そう、と言いますと?」
 マルカが怪訝そうに訊く。
「肝心なところを、何も話してくれない。それで信用してくれって言われてもねえ」
「今の時点で全てを話したら、却ってノンノは混乱してしまうでしょう。これは、あなたのためでもあるのですよ。それに、いずれ時が来れば、あなたは知ることになります。嫌でも、そうならざるを得ないのですから」
「……」
「時には、知らない方がいいこともあるのですよ。知ることは、ある意味で責任を背負うことでもあるのですから」
「それでも知りたいのよ。記憶が発動したって、どういうこと? それは誰の記憶なの?」
「じゃあ、一つだけ教えてあげます。それに関する質問は一切しないと約束してください」
 暖野は頷いた。
「いいんですね?」
 マルカが念を押す。
「ええ。わかったわ」
「それは――」
 マルカはそこで、ひと呼吸置いて言った。「あなたの記憶です」
 暖野は次の言葉を待ったが、彼はそれ以上話さなかった。
「それだけ?」
「そうです。ここを消滅することから救ったのは、ノンノの記憶です」
「記憶って、どんな?」
「ほら、もう約束を破っている。それ以上の質問は無しだと言ったじゃありませんか」
「そんな――。そんなんじゃ、何も解らないじゃないの」
 暖野は唇を尖らせた。
「そんなことは、ないでしょう。ノンノには分かるはずですよ。あなた自身のことなんですから」
 暖野は、ここを消滅から救ったという記憶が何なのかを考えてみた。
 以前ここへ来た時には、すぐにでも消えてしまうようなことを言っていた。だとすれば、あの後にそれは起こったのか。
「待って。まさか――」
 あれが、記憶だというのか?
 就職活動をし、どこの誰とも知れぬ男に一目惚れして……。
 そんなはずはないと、暖野はそれを否定した。いったい誰が、未来の記憶を持てるというのか。
 きっと、他に何かあるはず。
 暖野は思い出そうと努めた。だが、思い出すべきものもないのに、それは無駄なことだった。
『それじゃ、やっぱり――』
 慌てて首を振る。『嘘よ、嘘。あれは、ただの夢だったんだから!』
 何か大事なことを忘れているという感覚が、また襲ってくる。
 一体何を忘れているというのだろう。そして、ここを救った記憶とは何なのだろうか。その二つは同じものなのか、はたまた全く別のものなのか。
「否定することは、誰にも出来るんです」
 マルカが言う。「でも、受け容れることは、そう誰にでも出来ることではありません」
 否定するなってこと?
 暖野は表情で問い返す。
 では、あの夢は――夢だと思っているものは、本当の記憶だとでもいうのか。
 確かにあの夢の現実感は、今までに見てきたそれとは全く異質なもののようにも思える。その上、今に至っても鮮明に詳細が思い出せるほどだった。
「分からない……。分からないことだらけよ」
 暖野はかぶりを振った。
「一つのことを知ると、多くの知らないことができるのは仕方のないことです」
「知ったようなことを言わないで」
 その言葉に、マルカが憐れむような眼差しで暖野を見る。
 たそがれた広場に、噴水の水音だけが響く。
 昂った気持ちを静めなければと、彼女は思った。このままでは、とても理性的に会話を続けることなど出来そうになかった。
「しばらく、一人でいさせて」
 暖野はぽつりと言った。
 猛烈に一人になりたかった。八つ当たりする相手がいなくなれば、もう少し落ち着いて状況を把握出来るかもしれないと思った。
「分かりました」
 マルカが頷いて数歩退がる。
 暖野はなおもそこに立ち尽くしていたが、やがて駅の方に向かって歩き出した。