久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上
「君は、ここの分断された時間流を本流に繋ぐことができる唯一の存在なのだ。もっと上手く説明できればよいが、そう言った方が、君にも理解しやすいだろう」
確かに、時間を川にたとえた説明は理解できた。だが時間を繋ぐというのがどういうことなのかは、想像すらできなかった。
アゲハが深く息をつき、瞑目する。そして続けた。
「ここまでの私の話は、時間の流れが常にどこか一定の方向――未来へ向かっていると仮定してのものだった。だが、この世界に起こっていることは、そのような単純なものではない。この時空が取り残された真の理由は、ひとえに自然な時の流れを阻止する力が働いたためだ。それが、どのような力か判るかね?」
暖野は首を横に振った。
「それは、人間の力だよ」
アゲハがこれまでにない厳しい表情になって言った。「人間は自然を制圧することによって文明を築いてきたと言ってもいいだろう。だが、それが行き過ぎになってしまったことは、君も承知のことと思う。
人間はおおいに勘違いしているのだ。自然は決して人間に制圧されはしない。
自然と人間との関係は、人体とウィルスとの関係に象徴される。人体は、体内に異変が起こればそれに対処するが、自然もその裡に異変が起これば同様に対処する。つまり、人間がいくら強力なワクチンを開発しても、必ずそれが効かない細菌が生まれてくる。医学と病との闘いとでも言おうか。ある病気に対する治療法が確立されても、さらなる難病が発生する原因が、まさにそこにある。
つまり、人間がいかに自然に抗おうとも、敵うはずがないということだ。自然と人間との基礎体力は比ぶべくもないのだから。
話が逸れてしまって申し訳ない――
この世界が危機に曝されているそもそもの原因に話を戻そう。
人間が時の正常な流れを阻止しようとした。それはダムを造って川をせき止めるようなものだ。だが人間は時を制御するすべを知らないし、そのようなことは不可能なことなのだ。たとえ可能であったとしても、さっき言った理由から、また新たな不確定要素が現れることは間違いない。
一時しのぎにせき止められた流れは、やがて決壊を招くだろう。おそらく相当の混乱と無秩序が時空を支配する。人間はおろか、最悪の場合この宇宙にあるあらゆる存在に影響が及ぶのは必至だ。運良く生き残ったものが新たな時空の再編に充てられるだろう。だがこれは希望的観測でしかない。自然は自ら必要な存在を新に生み出すと考えるのが最も現実的だと私は考えている。
自然の時間は恐ろしく長い。人間の一生などほんの一瞬にも満たないが故に、君の世代が異変を知らないままになる可能性もあるが、変化はすでに起こり始めているのだ。
本来の流れがせき止められ、正常な流れが保たれなくなった結果、時空のあちこちで不穏な事態が起こり始めている。
――喪われてゆくのは、単にこの世界だけではないのだよ。
この世界の果たす役割は全ての時空間にとって未知数なのだ。それは、君にはしっかり知っておいてもらいたい。
人は、どんな時にあっても夢を見る生き物だと私は言った。この世界は人々の夢の産物だとも。夢を……本当の意味で夢を失うということがどれほど恐ろしいことか、想像するまでもないはずだ。それは不運や不幸などと言った言葉では表現し尽くすことのできない破滅的なことだ」
アゲハは言葉を止めたが、暖野を見据える視線はそのままだった。彼女は息を詰めて、それを真正面から受け止めていた。
あまりに多くのことを話されたため熱に浮かされたような感じがしたが、それでも暖野には不思議なことに、突拍子もないこととは思えなかった。
「大体のことは解りました。つまるところ、それを私に救えということですね」
アゲハが頷く。
「でも、私には無理です」
暖野は、きっぱりと言った。
「そんなことはない」
それに対し、アゲハが力強く言う。「でなければ、その時計が動くはずがないからだ。それは、君が動かしたのだよ」
「私が? だって、これは偶然――」
「世の中には、偶然などというものはない。全てが必然なのだ」
「だったら、どうして時間の流れが歪められたりするんですか? それだって必然だったんじゃないんですか?」
「そう思うのも当然だ。この世界が喪われるのも必然であると」
アゲハが言う。「人間が自然に働きかけることそれ自体は、文明の発達過程で必然だ。しかし、人間が必然を操ろうとすることは、どうかね? 人がそうすることすら必然かね?」
暖野は分けが分からず、黙っていた。
「人が必然を操作する――いや、逃避しようとした。或いは目を背けた。それだけではないのだ、この世界の消滅にかかわる力は。端的に言えば、ある存在が人々の意識から消去されたのだ。それも、それを最も必要とするであろう人々によって。全てが仕組まれたことだった。自然の成り行きでは決してない。因縁とでも言おうか、そういう全くいわれのない理由で、存在が時空間で弾劾されたのだ。それは即ち、宇宙そのものが弾劾されたようなものだ」
アゲハは憤りも露わに言った。暖野は体を硬直させた。だが彼はすぐに冷静さを取り戻し、元の柔和な表情になって暖野に言う。
「君にはできるんだよ。それに、君は自らの力でここへ来られたのだから」
「時計を動かしたのも、バスでここへ来たのも、私の力だと?」
「そうだ。いくら働きかけても、君がそれに呼応してくれなければ、どうにもならない」
「当然、戻ることもできるんですよね?」
暖野は、最も気になっていることを訊いた。
「帰れるとも。君は、“還(かえ)る”ためにここへ来たのだから」
「ここはもうすぐ消えると仰いましたね。それなら、私が来たことの意味なんてないんじゃないですか? もう手遅れなんじゃ……」
「そんなことはない。この世界は普通の時間軸に従って消滅するわけではない。時間を遡ったかたちで最初から存在しなかったことになるのだ。だから――」
「だから?」
「その最初から、始めるのだよ」
「最初から……」
「そう。世界は、君のもとで新に再編される。それしか方法は残されていないのだ」
「では、私は具体的に何をすればいいんですか?」
「ここで経験した全てを心に留めておいてほしい。そして、それを元に想像するのだ」
「想像……する?」
「そうだ。思い出してほしい。ここが、人々の思いによって成り立っていたことを。そして、この世界には最初の軸――種子となる想いが存在していたということを」
「想い……」
「その通り。想いは想像することと同意義であることもあるし、想像の種子を指すこともある」
「……それだけですか? 私がここで見たことを元に想像するだけで……」
「想いは創造を導く」
アゲハがとりわけ暖野に印象付けるかのように、ゆっくりと言う。「意思は現実を固定する。人はその過程を、伝説と呼ぶこともある」
「よく分かりません」
「伝説は世を育み、人を想像へと駆り立てる。その最初の種子に、君はなるのだ。君は伝説になるのだよ」
「私が? 伝説にですって?」
さすがにこれは、いくら何でも大げさに過ぎる。ただの一介の高校生がバスで訳の分からないところへ連れてこられて、あげくに伝説になってほしいなどとは。
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上 作家名:泉絵師 遙夏