久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上
「それほど驚くことはない」
アゲハは至極当然のことのように言った。
「それは今すぐのことではない。君に自覚はなくとも、いずれそうなる。伝説とはその本人が自分で伝えるものではないからだ」
まあ、それはそうだろうと暖野も思った。
「私は、想像するだけでいいんですか?」
暖野の言葉に、アゲハが深く頷く。
「そうすることで、あとは何をすればいいか自ずと判ってくるだろう」
そこまで言って、アゲハは初めて暖野から視線を外して遠くを見やった。
「ごらん」
机の背後の大窓の方を向き、アゲハが言う。「間もなく、月が昇る」
窓の外は、ほとんど漆黒の闇だった。遠くの山が仄明るい光で縁取られている。
暖野はその稜線を見つめた。
部屋に沈黙が訪れる。三人は口を開くことなく、じっと窓の方を見つめていた。
やがて稜線から眩しい光が放たれた。月が昇ったのだ。
月の光がこんなにも眩しいものだとは、暖野はこれまで知らなかった。
少しずつではあるが月は着実に顔を出し、下端が稜線を離れる頃には外はもう闇ではなくなっていた。
月光は眼下の湖面に反射して、微かなさざ波は白銀の粉を散らしたように見えた。暖野はその光景に心を奪われた。
――こんなに美しいのに……
こんなにも美しいのに、ここは今まさに消え去ろうとしているのか……。
その頬を、知らず涙が伝い落ちる。
「あの……」
暖野は言った。「あなたは……」
「そうだったね」
アゲハは寂し気に笑った。「私は……もし、そう言うことが許されるなら宇宙意思、その代理者。君をここまで追い詰めてしまった。申し訳ない……」
暖野を見つめ、そして首(こうべ)を垂れた。
静寂の時が流れる。
「時は満ちた。これが、ここで見る最後の月となるだろう。そして、君にとっては最初の月となる」
やがて、アゲハが歌うように言った。「あとは、頼んだよ」
沈黙の中で、その言葉だけが取り残された。
蒼い光が眼下の湖、そして山野を照らしていた。三人は黙したまま、しばらくその光景に見入っていた。
ここで見る最後の月、そして最初の月……。その言葉は、暖野の心に深く刻まれた。
私は、新たな年代記(クロニクル)の創始者になるのだろうか――暖野は思った。
まさか、そんな大それたこと、と彼女はすぐさま心の裡で激しく否定する。
そんなこと、できるはずがない――
しかし、実際にはどうしようもなかった。何とかせねば、元の世界へ帰ることもおぼつかないのだ。
ここで経験したことを心に留め、想像する。それが、この世界を救うことになるとアゲハは言った。
それからのことは、自ずと判るだろうとも。
なんて漠然とした――!
一見簡単なようではあるが、暖野にはどうも腑に落ちなかった。
それだけで、果たして世界は救えるものなのだろうか、と。
作品名:久遠の時空(とき)をかさねて ~Quonฯ Eterno~上 作家名:泉絵師 遙夏